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情報は主観的に。データは客観的に。

インターネットやSNSの中で個人が発信する意味は、客観性ではなくて主観をいかに知らしめることではないかと思います。

個人は本来、主観的なもの

主観とは・・

  • 私はこう考える

  • 私はこう感じた

  • 私はこう理解している

  • 私が出来ることはこれだ

  • 私はこれを求めている

というようなことです。
個人がいくら客観的に考えたとしても、せいぜいそれはその人の中にある客観性であって、世の中の一般的な認識とは必ずしも一致しないでしょう。(そもそも一般的な認識など存在しないのかもしれません)

また、私たちが情報を得るときには、数ある情報の中から自分が欲するもの、自分に合うものを選択するはずです。そのことも決して客観性があるとは言えません。

個人によって示された情報は、他の個人によって選ばれます。それらが無数に繋がり複雑に絡み合った世界が、個人によって形成されたSNSでありインターネットなのです。

だから個人は、自分自身が客観的な存在になろうとする必要はありません。
主観的でいいのです。発する情報そのものが本来、主観的なのですから。

情報とデータの違い

ということがしばしば説明されます。

  • 情報
    自然界(世界)に存在するあらゆるものが発しているもの。
    色、形、音、鳴き声、言葉、現象、、、などあらゆるもの。

    情報は、発するもの自身が持っている特性が反映されます。例えば「赤色」はその物質が光の中で赤い波長だけを反射し、他の波長を吸収する性質を持っているから赤く見えるのです。

  • データ
    情報を利用できる形に整えたもの。例えば自然観察をしてその結果まとめられたレポートや、それが電子的に記録されたものなどを指します。

自然界の動物である人間が一次的に発するものは「情報」であって「データ」ではないのです。

そのような意味でも、一次的な情報は本質的に主観的なものであり、個人が発信する情報も、社会から見れば主観的であって当然、と言うことができます。
たくさんの主観を知って整理し、それを多くの人が利用可能なものにすることで初めて、客観的なデータとなるのです。

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