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東京の河川 呑川と隅田川(2024年3月1話)

 令和時代の日本列島を舞台に、美少女キャラ達と主人公あなたが紡ぐブログマガジンです。

私小説『地球学徒の日記

 初春3月(弥生)の日記です。今月から、このブログの書き方を少し変えようかと思います。

 今月末の31日(日曜)は、世界中の教会が復活祭イースターで賑わいます。教会信徒のヒジリお姉ちゃん達は、讃美歌を歌う聖歌隊の練習に参加しています。

ヒジリ
「楽譜を見ながらパート練習なんて、中学・高校の合唱コンクールを思い出しますね」

 ところで、教会と言えば聖書ですが、その前半部である『旧約聖書』(ヘブライ聖書)は39巻と非常に長く、これを『新約聖書』(27巻)と併せて持ち歩くと、それなりの重さになります。しかし、今は電子書籍という便利な代物を使える時代であり、聖書にもデジタル版があります。例えば、スマートフォンで聖書を読むなら、下記のようなアプリケーションが販売されています。

 但し、携帯電話などの操作に疎いヒジリお姉ちゃんが、このような物を使いこなせるかは疑問です。お姉ちゃんは、伝統的な紙の書物のほうが好きそうです。


2024(令和六)年3月16日(土曜)

 今日は、予定が多くて忙しい日です。まず私達は、散髪のため大森駅に行き、毎度の事ながら、駅ビルのスープ屋さんにも寄って御飯(カレーセット)を頂きました。

東京 大田区 大森 入新井町
東京 大田区 大森 入新井いりあらい

 3月と言えば、あの東北大震災があった月でもあるため、今月の期間限定スープには、三陸海岸にある陸前女川おながわ湾(宮城県 女川町)の食材が使われていました。

 しかし、忙しいのはこの後で、これから私達は自転車に乗り、南西の久ヶ原くがはら(久が原)へと向かう必要があります。


池上から久ヶ原まで呑川を溯上

 大森駅(入新井)から南西に進んで池上町に入り、そこから呑川のみがわに沿って北西に向かいます。その途上の谷築やちく橋に、次のような「都営浅草線地下湧水活用事業」の看板があります。

大森 池上町

 馬込まごめ町の地下湧水を、池上梅園池と呑川谷築橋に放流し、水質改善を目指すプロジェクトが実施されているようです。

 大田(大森・蒲田)区を流れる呑川は、都市化と共に天然の河川水が減ってしまい、現在は淀橋落合(新宿区)から再生処理水を流して川を維持している都市河川です。そこに天然の地下湧水を与える事で、呑川の自然環境が少しでも良くなれば…という事ですね。

 なお、映画が好きな人に説明すると、呑川は「新ゴジラが侵入して(周囲をぶっ壊しながら)溯上した川」らしいです。

 そんな事を考えながら、目的地の久ヶ原に到着。


久ヶ原の地形と歴史

大森 池上町 久ヶ原
大森 池上町 久ヶ原

 今日の午後は、東京の都市河川を研究・保全する「呑川の会」の月例会が開かれ、地学の好きなアキさん達が参加しました。今回は、いつもの小学校舎(蒲田蓮沼)ではなく、池上久ヶ原の図書館が会場でした。

アキ
「ここが、久ヶ原…大学の教科書で見た事のある地名ね」

 呑川の右岸にある久ヶ原台地は、氷河時代に多摩川などの作用で形成された武蔵野台地(隆起扇状地)の一部です。そのうち久ヶ原台は、約7万年前のウルム最終氷期という寒い時代に出来た「武蔵野面」の台地であり、呑川左岸(大森貝塚~池上本門寺)の荏原台地(下末吉面)より新しく平らな地形と考えられます。久ヶ原の古代史を要約すると、下記のようになります。

  1. 旧石器・先土器時代(約2万5000年前)
     久ヶ原台地に人類が住み始め、呑川の湧水を飲んだり、打製石器を使ったりして生活する。

  2. 新石器・縄文時代(約6000年前)
     地球温暖化で東京湾が海面上昇する中、久ヶ原台地の呑川中流域に多くの貝塚が築かれる。その後、気温と共に海水面が下がって陸地が増えると、久ヶ原の下流域にも人が住めるようになる。

  3. 金属器・弥生時代(約1800年前)
     呑川とその湧水を使った稲作(米作り)が始まり、久ヶ原に村落が出来る。台地に住居を建て、低地を水田として使い分ける。3世紀後半~4世紀前半には、この久ヶ原村が南関東最大級の村落に発展。

  4. 大和古墳時代
     久ヶ原でも古墳が造られ、金属工芸品などが埋められる。

 そんな歴史のある久ヶ原で、私達は下記のような議題を話し合いました。

  • 小学校の呑川ウォーキング学習を例に、都市河川と流域住民の関わり(親水)を調査する研究の紹介。

  • 新しいウェブサイト(ホームページ)の作成。

  • 地元の小学校と協力して、呑川に鯉幟を飾る行事などの担当者を増やす。


墨田区の雨水利用に学ぶ下町の防災・環境保全

 休憩後、墨田区向島むこうじまのボランティア団体「雨水市民の会」をお招きして「都市の雨の行方と私達にできる事」というテーマでの学習会が行われました。

 東京東部の墨田区は、北部の向島区域と、南部の本所区域とに分けられます。

 墨田区は、西の隅田川(墨田川)と東の荒川に挟まれ、ほかにも多くの河川が流れる下町(沖積低地・三角洲)であり、地盤沈下や洪水の被害を受け易い地形です。更に近年の都市では、道路舗装(コンクリート化)や気候変動の結果、豪雨によって多量の水が下水道に流れ、それが下水と共に溢れてしまう「都市型洪水」が増加しています。

 この事態に対処するため、貯水容器を設置したり、植物を植えた土壌を増やしたりする「小規模分散型雨水管理モデル」(自然基盤解決策)という対策を、墨田区向島から広げる活動が行われています。これには、災害防止と都市緑化という一石二鳥のメリットがあります。適切な雨水活用によって、雨水は都市住民の味方になるのです。


 こうして、池上久ヶ原での河川学習会は有意義に終了し…たのですが、今夜は浅草橋でアイドルのイベントがあるので、次はそちらに向かわねばなりません。その話は、次回の記事で書きたいと思います。少し疲れたので、何かアイドルの神曲でも聴いてリフレッシュしたい気分です。




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