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#10 コロナという文字を見るのすら辛いが、向き合わねばならぬのだ

保健所勤務時代の話の続きをしたい。

いつ頃からだろうか。
新聞やテレビのニュースを見るのが辛くなった。

国の対応への不満、保健所への不満……

不満を持つのも無理もない。

だがメディアでずっと不満ばかり流されていると、不満の元凶で働く自分はいったい何?
と思えてくる。


患者や関係者のインタビューで
「保健所は助けてくれなかった」
「何もしてくれなかった」
と言われるのも、心理的にこたえるものがある。

助けたくなかった、何もしたくなかった職員なんていないはずなのに。

上の記事の終盤でも書いたが、ネットで保健所の批判や非難めいた話を見ると気がふさいだ。

自分の心が弱いのかと思ったが、
先輩も「またネットニュースでこんなこと言われてるよ……」と愚痴っていた。

批判はメディアの正しい役割であることは承知しているが。

いつまでこんな状況が続くのだろう。



ある日、しばらく会っていない友人からLINEが届いた。

今保健所で働いてるんだっけ?
コロナで大変じゃない!?
コロナだから飲みにも行けないしな!
早くコロナ落ち着くといいね!!

という文面であった。


反射的に
「コロナコロナうるせーよ!!」
と、思ってしまった。 


人が心配してくれているのに、
うるせーよ!
という心無い感想が自分の中から湧き上がったことが、何よりショックだ。


相手は全く悪くない。
自分の受け止め方の問題だ。


心配しているのは承知している。

本当に、本当に申し訳ないのだが、

コから始まってナで終わるこの単語を見るだけで気が滅入るほど、心が弱ってしまっていた。


年賀状に「コロナ終わったら会おうな!」と書かれたときも
これ下手したら一生残るじゃねーか、と絶望。

こっちを労っている文章なのに、素直に受け止められないのが辛かった。



保健所を離れた今でも、これを書くのにキリキリと胃が痛む。

自分の心理的負担が増すので、タイトルとタグ以外では、極力このワードは使わないようにしている。

じゃあなんでわざわざこんな文を書いてるの?
理由は下の記事にも書いているが、我々のことを知ってほしいのだ。

ここに書くのも憚られるほど酷い言葉を浴びせられた職員もいると聞く。

もしその人の身近に保健所の職員がいて、職員たちの状況を知っていれば、そんな暴言は吐けないと思う。

とはいえ、普段の生活で保健所の職員と知り合いになる可能性も少ないものだ。
(自分も都道府県勤務の友人は何人かいるが、保健所配属の者はゼロ)


微力ながら情報発信することで、同士が傷つく可能性をちょっとでも減らしたいのだ。




しかし皮肉なことに、タイトルに大嫌いなこのワードを入れた方が、(アクセス数的に)多くの人に届く傾向があるんだよな。

どうしたもんかね。

日々、ジレンマを抱えながら執筆している。