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「職業に貴賎なし」という言葉について考える

10ヶ月の間の転職活動を経て、やっと長期で携わるプロジェクトが決まりました。海外で、特にオーストリアに住みながらの就活はかなり厳しかったです。

厳密には単発・シーズン毎にしている仕事はあったのですが、UX/UIデザイナーとしては一度は一つの場所でガッツリみっちり、という願いがあったので...嬉しい〜!

はてさて、今までもずっと思ってきたし書いたこともあったけど、また改めて書きたいこと。「職業に貴賎なし」(= 職業によって、人格に貴賎はない / 職業には貴賤はあるが、それをする人間には貴賤はなく平等である)という言葉について。

私の経歴は結構カオスです。

昔から自分の特質やしたいことと両親が私に望んでいたことがまるで違ったので、(反抗期でもある程度親を敬うべきだと思っていたし、住む部屋を借りるのに保証人になって貰う必要等もあり自分の意志だけでの決定は出来ず。)

学校・卒業後も進路の諸々、間を取っていく必要があり... 更に結婚後は海外な上、時勢の影響もあり...当然全て環境のせいではなく、自分の意志で選択し歩んできた人生なのですが。

世的な言葉で言うならば、私は「器用貧乏」でキャリア的には傍目から見て「長らく彷徨い詰んでた状態」だったのですよね...汗苦笑 本人的には気苦労の多ささえあれど楽しんでたし今が幸せなので良いのだけど、中々人には理解されず、日銭暮らし期も長く経験した〜!

ざっくり書くと、

15歳時全日制高校から通信制高校に転入/週3&一日2時間の学校に通いながら、上京資金を稼ぐため週5で飲食店アルバイトを卒業迄

奨学金も借りて上京し、文化服装学院の3年制学科に通いながらフリーでモデルやタレント(恋のから騒ぎ、オムニバスCDに参加)等の活動、学生マーケティングサポート・コーヒーワゴン等のアルバイト

卒業後は就職せず短期留学した後、ホテルのラウンジやカフェで働きながら舞台役者活動、フリーでイラスト個展や雑貨販売

中小企業で受付事務兼セールス&企画アシスタントとしてOL、大企業のイベントコンパニオン等をしながら、知的障害のあるパフォーマーへの指導&俳優・ADとして参加した教会フィルムプロジェクトで夫と出逢い結婚

渡欧前に国際線TAXショップでとある商品のキャンペーンガール

渡欧後、映画やコマーシャル出演・コスチューム制作、少しライティングとイラスト、写真の仕事

コロナ発生で夫婦共に失業し、一家の大黒柱としてオンラインゲーム会社の技術サポートエージェントとして勤務、ミニストリーで少し翻訳

ウィーンのイノベーションスクールで3ヶ月UX/UIデザインを学ぶ

単発・シーズン毎のプロジェクトをしながらの10ヶ月間の転職活動を経て、企業のUX/UIデザイナーになる

こんな感じで。短期の仕事は殆ど含んでないので実際にはもっと色々してました。好きなことをするため常に貧乏暇無しで働いてて、結婚してからは専業主婦期もあり。だから私のことをよく知ってる人でない限り、「?」な経歴だというのは私自身よくわかっています。だからそもそも書類落ちしやすいし、面接まで進んでも必ず突っ込まれました。

で、戻るのですが、今回話したいのは「職業に貴賎なし」という言葉についてですね。

私ずっと悔しかったんですよね。肩書きや収入によって人からの視線や扱われ方がまるで変わること。本当は尊いはずの職種が世間的に全然評価されていないこと。

大体自分の夢を追ったりやりたいことをしたりしながらできる職となると、アルバイトや派遣で雇ってもらえるサービス職になるので、結構長くやってきたのですが。

サービス職はマネージャーやスペシャリスト等にならない限り他の職種に比べると給料が低く、日本だと世間的な評価も低いことが多かった。それは「多くの人々に出来てすぐに替えがきく仕事」であり「金銭的生産性が低い仕事」と取り扱われるからなのですよね。納得したくはないけど、アルバイト・派遣枠が多いのは前者の理由によるのだし、ある程度の理屈はわかる。

でも実際中に入り込むと、「入口さえ広いけれど、多くのソフト/ハードスキルが必要で、この人が居ないと困るという存在が必ず居る、ちゃんとやろうとすれば誰にでもできる訳ではない、突き詰めればどこまでも深い仕事」なんですよね。お客様相手だからサービススタッフにファンが付いて店が保たれたり繁盛したりすることもあり、お店や企業イメージへの貢献度も高く、責任重大。お客様と対面してるのだから、サービススタッフとしては直接関係ないようなお怒りのクレームだって日々受ける。プロフェッショナルのホスピタリティは一夜二夜で身に付くものじゃない。

瞬発力・忍耐力も試されすぐに辞めていく人も多く、残ってる人が重荷を背負ってたりする...これは職種を越えた問題でもありますが。社員でなくともかなり責任を担っていて過酷な場合多々。休みを取りやすいようで、傍ら残業だらけで働かなければならないことも...15〜17歳でレストランやカフェのホール、カフェではモーニング作り(名古屋〜!)まで含め忙しい上結構大きな店をたった一人で回してる時もありました。それでも仕事としての貢献価値が低いでしょうか?そんなわけ無いと思います。

然しながら経験上、何故か日本ではあまり「しっかり働いている」「尊い仕事」とはみなされにくく、仕事についてのみならず、その仕事をしている私という人間そのものを見下されるような言い方、接し方をされることを過去に幾度も経験しました。そしてそういうことをするのはやっぱりサービス職経験のない・少ない人達だった。皆サービス職の方々には日々お世話になってるはずなのにね。

ずっと納得がいかなかった。でも自分が他の仕事もある程度経験しない以上、言っても説得力がなく負け犬の遠吠えとしか思われないとわかってた。だから...今なら以前よりは説得力があると思うので...叫びたい‼︎

サービス職(のみならず他の職に至っても)は誰にでも務まる訳ではない!お客様と直接関わりながら俊敏に動けなければならない、肉体労働のみならず頭もフル活用する、責任負担も大きな仕事。もっと評価されるべき職だと思う!

そこに至るまでの経緯や裏側をよく想像せず、職種や肩書きのイメージだけで人の人格的価値まで決めるなんておかしい!

...

今から書くことも私個人の経験の範囲で感じたことであり、他の方にもそのまま当て嵌まるとは思っていないことを先に記しておきますm(_ _)m

例えばコマーシャル出演。時と場合にもよりますが、特に欧州では無名でも数時間働くだけでかなりの報酬を得られます。良いものだとそれだけで数ヶ月暮らせる位。更には送迎、素敵なホテルを用意され、至れり尽くせり扱って頂けることも多いです。

やはり向き不向きはありますし事前の準備や練習・特別なスキルが必要なこともありますが、劇場映画作品等とは違い、仕事として過酷な現場は殆どないと私自身は感じています。

そんな内実の反面こういう仕事をしたと表明すると、世間では希少性と、よく知られた企業名だけを見て「凄い人」と評価されやすいことに、当事者として「奇妙だな」と感じた経験が結構あります。

過去の実績から繋がっていくことが多いので積み重ねはありますし、競争率の高いオーディションを経てのことも多々ありますが、運やタイミングですんなり仕事が得られることもあるので、「凄い」はざっくりとしたイメージによるものでしかないと感じるのです。

個人的には、仕事そのものや仕事を獲得する工程に対する努力や誠意を想像又は知って凄いと思って下さったなら、素直に嬉しいです。(自分の周りの人達が言ってくれる「凄い」はそういうことだと理解してる、特に仕事を獲得する工程に対しての。)逆に極端に「まともな仕事じゃない」という見方についてもハテナハテナです。

例えば今やっているUX/UIデザイナーの仕事。職場やプロジェクトによっても変わるに決まっていますが、専門分野で一社少人数採用というのもあり、給料は今までしてきた接客やカスタマーサポートの仕事をしていた頃より大分上がりました。また海外でUX/UIデザイナーをしているというだけで、なんとなく人からポジティブに受け取られやすい・認められやすいとも肌で感じます。

UX/UIデザイナーとして海外で働くことは、器用貧乏と感じてきた自分の素質にピッタリ合い、洋服デザイン、文学やビジュアルも取り扱う舞台芸術、語学等の学び、好きで続けているライティングを含めた経験全てが活かされるので、内的喜びは大きく満足しています。然しながらこの職そのものに向けて専門的に学んだのはほんの数ヶ月間で(当然働きながら無限に学び最中でもありますが)、

今の段階では「必要なものを長年積み重ねてきた実感はあるけど、その道のプロフェッショナルという意味で言うなら今は"人より何故か得意で出来る"からこの肩書きがある、というイメージなんだよな...評価は大袈裟で実力が届いてないような気がする...」等という心持ちでいます。この仕事だって誰にでも出来るとは言わないけど、やってみたら向いてる人は結構いるのでは...と、難しそうな仕事のようでも、やるかやらないかの選択が大きいように感じるのです。

だから世間一般に、なぜ対面・電話受付をこなすと同時に複数の部署の要求に応え、日々新しいことを覚えまくり、あらゆる複雑な書類を絶えず捌き、社内の物品を事細かく管理し、時にはデザインやイラスト、イベント企画や準備等までスーパーマルチにしていたような受付事務職をしていたことは評価されにくく、UX/UIデザイナーという肩書きがあると結構な新米でもそれだけで持て囃されやすいのか、疑問に思います。

全体の比率として見た希少専門性、お金の動きという意味で給料面の理解を汲んだとしても(いやぁそれでもフェアじゃないでしょ...と言いたくなるけど)、イメージ評価に関しては...どうなのでしょう。

そして何より、企業名や肩書きを知り人格まで一括りに評価してしまうのは、とても短略的で雑なように感じるのです。そんな人"だけ"では全然ないけど、そういう人がめちゃくちゃ多かった。

「職業が変わる度に人からの見られ方や接され方が変わり続けてきたけど、私はいつだって私自身だったよっ!その度に頭が良くなったり悪くなったり、性格が良くなったり悪くなったりした訳じゃないぞっ!笑」

と。

どんな仕事も、自分なりに一生懸命にやってきたつもりです。

同時に、自分が納得いかずとも"マジョリティな物事の見方や感じ方"を心得ておく必要があることも流石にもうよくわかっています。私も自分のこと棚に上げられるほど真っ直ぐ全てのものを見られている訳じゃないだろうし、時には見られ方を戦略利用する強かさが必要にもなる。悪い意味での小賢しさではなく、ね。

ただ、私のnoteだから言わせてください!

どの仕事も幅広く奥深いから一概には言えないけれど、"私の場合には"、自分の15年間の職務経歴の内、飲食店接客や受付事務等のサービス職をしていた時が一番心身頭フルに使いまくっていた実感がありますし、勤務継続に多大な忍耐と努力、共感力、学習を必要としました。

企業の方針に基づきお客様と直接コミュニケーションを取り合いながら、一度にあらゆる業務をこなす職...めちゃくちゃ大変だし重要だし、もっと評価されるべきだと、真面目に働いてる人が軽んじられるべきじゃないと、それらの仕事を離れた今も強く思う。

だから、すぐに予定はないけど、いつかもし!自分が会社を経営し人様を雇うことがあるとするなら。どの職種も大尊重し、しっかり評価したいと思うのです。金銭的生産性だけでなく、その人の仕事の中身を評価したい。同じように捉え実行してる企業社長の話を他にも聞いたことがあり、大共感しました。

自分を含め、人ってきっと無意識のうちにでも偏見の目があって、(このnoteさえそうなのかもしれないけど)何かを特別に評価して何かを偏って評価しないってあると思う。

教育やメディアによる影響も大きいと思うのだけど、何にせよ物事のイメージの内実をいつも繰り返し疑っていたいというのが、15歳の時からパラレルに働いてきた自分のこれまでの経験から来る思い。

「職業に貴賎なし」という言葉、本当に大事。握っていたい。

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