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【映画感想】ノマドランド

『ファーゴ』、『スリー・ビルボード』のフランシス・マクドーマンド主演。今年のアカデミー作品賞最有力候補となる(その後、作品賞、監督賞、主演女優賞の三冠を獲得しました。)、アメリカ西部で車上生活をする"ノマド(遊牧民)"と言われる人々をフィクションとドキュメンタリーの交錯したバランスで描いた『ノマドランド』の感想です。

何回か前に感想書いた『ミナリ』もそうだったんですが、この『ノマドランド』も現在アメリカの深部をつく様な映画で(ただ、両作品ともアジアにルーツを持つ監督なんですよね。『ミナリ』のリー・アイザック・チョン監督は韓国系のアメリカ人、『ノマドランド』のクロエ・ジャオ監督は中国出身の監督なんです。なので、アメリカで暮らしながらも外側からの視点というのも入っていると思うのですが)、正直、アメリカがこんなことになっていたなんて思ってもいなかったし、その歴史と共に暮らしていない僕にはよく分からないことも多かったんですが、不思議と飽きることなく観られたのは、恐らく、この映画が何を言おうとしてるのかが全編を通してずっと曖昧だったからじゃないかと思うんです。

で、それは明らかに意図されていて、そもそもドキュメンタリーとフィクションを混ぜた様な作りからしてそうなんですが、今、その場で起こっていることと、それを経てそのコミュニティーに入った時に感じた違和感ををなるべく脚色せずに描こうとしてるんだろうなと感じたんですね(まぁ、ドキュメンタリーでも、映画というものは監督の意図が必ず入るものだし、個人的にはそういうものの方が面白いと思っているのですが。なので、この映画にも監督の意図するとことはあって、それが安易に結論を出さないってことなんじゃないかと思ったんです。)。フランシス・マクドーマンド演じるファーンは2008年に起こったリーマン・ショックにより、住んでいた街を仕切っていた企業が倒産、そのまま街ごと閉鎖されてしまい、その後夫にも先立たれRV車で寝泊まりするノマドとなるんですが、映画を観る前は、そういう資本主義社会への反発としてノマドとなった人たちの精神的な自由さを描く映画なのかなと思っていたんです。でも、ちょっと違うんですよね。えーと、確かに世界に拡がる格差というのがあって、最早、勉強していい会社に入ってある程度頑張ればそれなりの暮らしが出来て将来安泰なんていう時代ではないですし、その中でもう今のシステムの中では生活出来なくなってる人というのはいて、その人たちが経済的な縛りから精神的に開放されることで新たな生き方を手に入れてるってそういう映画なんですけど、僕には車上生活している人たちの気持ちがいまいち理解出来なかったんですよね。

要するに、共感とか感動みたいなことは全くしなかったってことなんですけど、『ミナリ』と同じ様にこの映画に最も感じたのは"虚無"なんですよ。なぜ、アメリカの真実を描こうとすると虚無になってしまうのか。車上生活してる人たちの誰ひとりとして今の生活に納得してるようには見えなかったし、広大な自然も世界の終わりの風景にしか見えなかったんです。つまり、あっちも地獄だしこっちも地獄だけど、こっちの地獄の方がまだいいというか。多くの物を持つことを拒否した筈なのに、その真逆の様なamazonの工場で日銭を稼がなくてはいけないという現実を見せられて、とてもこれが自由だとは思えなかったんです。だって、何も選べてないんですよ。選んだつもりになって体よく納得させられているというか、そういう風に見えてしまったんですよね。かつて自由の国と言われたアメリカには、もう、自由はないのだなという閉塞感を最も感じたんです。

確かに、それでも広大な大地は美しいんです。でも、それも誰かのものなんですよね(だから、ノマドの人たちは移動し続けなければいけないんです。)。そんな光景美しければ美しいほど空しいじゃないですか。で、監督が用意したこの映画にとっての唯一と言える意図とは何かというと、俳優として出演しているフランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーンのふたりが演じた役には帰る場所が用意されてるってことなんですよ。明らかにそっちを選んだ方が幸せになれそうでもあるんです。だから、やっぱり、帰る場所があるのにそれを選ばないという本人の意思の様に見せながら、じつは選べないっていうことを言ってるんだと思うんです。最終的にはそのよく分からない個人個人それぞれの気持ちの部分ていうのが重要で、それをきちんと選べる様な世界にするのが大事だってことなのかもしれないですね(まぁ、こうやって考え続けさせることがこの映画の役割なんだと思いますが。)。美しさが虚しさで覆われてるような映画でした。


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