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命綱なし、自分の手足のみで断崖絶壁を登りきるという、正に死と隣り合わせのクライミング・スタイルのフリーソロ。その第一人者であるアレックス・オノルドさんの常人にはまるで理解出来ない挑戦と、そこまでの淡々と過ぎる日常(それがまた狂気を感じさせるんですが。)を追ったドキュメンタリー映画「フリーソロ」の感想です。

えーと、狂ってることを狂ってると、それを何か良きものとしてまとめたりしてない誠実な映画だったと思います。あの、映画を観ることの面白さのひとつに、自分が経験出来ないことを経験させてくれるというのがあると思うんですが(同時に見た事ない景色を見せてくれるというのも。)。僕自身は結構な高所恐怖症で、机の上にイスを乗せたら、もうその上には立てないほどなんですね。で、その僕が全長1000mの断崖絶壁を素手で登りきるなんてことは、まず、何があっても経験し(ないだろうし、したくも)ないわけです。ただ(というか、だからこそか。)、そういうことをする人が一体どの様な精神構造をしてるのかってことにはもの凄く興味があるんですね。つまり、この映画の主人公アレックス・オノルドさんがどんな凄いことをやったのかよりも、その頭の中がどうなっているかの方にとても興味があるんです。で、この映画、正しくその"なぜ、こんなことをするのか?"っていう方に話がフィックスして行くんですよね。映画が進んで行くと、やってることの凄さよりもそれに付き纏う恐怖の方が(映画のテーマとして)大きくなっていくんです。

あの、一応、ロッククライミングとか登山てスポーツの範疇に入るじゃないですか。だから、最初はそういう気持ちで観始めたんですね。そしたら初っ端の"フリーソロとは?"っていう、その定義のところからうまく飲み込めないんですよ。最初に書いた様に、フリーソロって断崖絶壁を命綱なしで登るんですけど、ほんとに数ミリの、遠目で見たらほぼ平面にしか見えないデッパリに手の指や足先をひっ掛けるんです。つまり、この数ミリの(例えば、雨が降っただけでも形が変わってしまいそうな)デッパリに命を預けることになるわけですよね(ね、この時点で、ちょっともう理解不能なんですけど。)。しかも、ひとりで登るんですね。自分のペースと自分の考えで登って行くんです。だから、誰かと順位を争うとかタイムを競うって話でもないんです。もちろん、崖そのものを制したっていう達成感はあるんですけど、ほぼ、自分との戦いなんですね。というか、自分の中にある恐怖との戦いなんです。つまり、その恐怖に勝つということが断崖絶壁を登るってこととほぼ同じ意味を持つことになるわけなんです。だから、こうやって考えていくとどんどん意味が分からなくなるというか。えーと、崖を登る為に恐怖を克服するっていうのが順番だと思うんですけど、アレックスさんを見てると逆なんじゃないかって気がしてくるんです。つまり、" 恐怖と対峙して死に近付く" 為に崖を登ってる様に見えるんです。死に魅せられてるというか、自らの意思で死に近付いてる様に見えるわけです。で、それが映画として不快で倫理観の方が勝ってしまうんであれば、そこで観るのを止めると思うんですよね(観ることは強制ではないので。)。でも、観てしまう。あの、この"でも、観てしまう。"っていうのがもの凄く映画的だと思うんですよ。なぜ、怖いのに目が離せなくなってしまうのか。ほんとに数ミリのミスで人が死んでしまう様な光景を見せられて、やる意味も、それに対する倫理観も希薄なままなのに、人智を超えた何か圧倒的なものに見ることを強要されてしまうというか。表現の持ってる善悪とか成否とか常識なんかを超えたところにある自由さ。それを見てみたくなるんですよね。だから、唯一理解出来ることがあるとすれば、アレックスさんは自分の中の"恐怖"に対峙することがほんとに好きなんだろうなということ。他人には理解されないけど、その人にとってこれじゃなきゃダメということはあって、それが表現に昇華された時って、なぜか(例えば人の生死に関わることであっても)美しいと感じてしまうんですよね。この映画を観てて本当に怖さを感じるのって、このことを改めて突き付けられるからなんじゃないかと思うんですよ(で、そのことが理性を越えたところで理解出来てしまうからだと思うんです。)。

で、もうひとつは、この映画もの凄くキャッチーなんですよね。ドキュメンタリーというより劇映画を観てる様な心地良さがあって。あの、いくつか前に「ゴーストランドの惨劇」というホラー映画の感想を書いたんですけど(「ゴーストランドの惨劇」の感想。)、そのパスカル・ロジェ監督の作品に「マーターズ」っていう映画があるんですね。内容をもの凄く簡単に言うと、人間を肉体的にも精神的にも痛めつけていくと神に近づくんではないかっていう話で。映画の中でめちゃくちゃ痛々しい拷問が繰り返されるんですけど、なぜかラストでは崇高な気持ちになってしまうという。あの、今回の「フリーソロ」、この映画に近いです。いや、違うんですけど、なんて言いますか、人の精神の理解出来ない部分に触れようとする行為を"恐怖(=死)"を媒介にして見せようとしているというか、死にギリギリまで近づくことで何か超越した瞬間を描こうとしているというか、やってることの暴力性と観終わった後の清々しさのギャップとか、思いついたことをそのままやってしまうことへの純粋さとそれへの畏怖の気持ちとか、そういう精神性の部分が近いと思うんです。だから、ホラーとかサスペンス観てるみたいな気持ちで観ることになるんですけど。

例えば、アレックスさんのキャラクター(個人的にホラーはキャラ勝負だと思ってます。)、とても純粋で魅力的なんですけど、人としてそうとう謎なんです。いや、考えていることとか超シンプルで分かり安いんですけど、分かるからこそ怖いというか。明らかに自分とは違う生き物だなと。例えば、この世界とは感情の振り幅が100分の1くらいの平行世界にいる人の話を聞いてるみたいなんです。生きることへの刺激にとにかく飢えていて、それを自らを死に近付けることで満たしている様に感じるんです(映画の中でCT検査したら脳の刺激を感じる部分が機能していないってことが分かるんですけど、ということはやっぱり、前人未到の偉業を成し遂げたいとか、自分に打ち勝ちたいとかではなくて、単純に死に近づくことで喜びを感じているんですよね。アレックスさん。)。つまり、この人は死を身近に感じていないと生きる実感が湧かないんだと思うんです。恐ろしいだけに非常に魅力的な人なんです。だから、アレックスさんの人物造形だけでも映画としてそうとう面白いんですよ(非情な程の割りきりと死に魅入られた様な情熱を持つのに日常がめちゃくちゃ穏やかっていうのもね。なんか悪魔と天使が同居してる様な人なんですよね。「コクソン」の國村隼さんがやってた役とか思い出しました。)。

で、当然、彼に魅了されたからこそ振り回される周りの人々がいて、実際、映画はこっちの人たちの物語なんですね。だから、彼の偉業を語ったり、人間性を称えるわけではなく、アレックス・オノルドという人がどういう人間で、だからこそ彼をどう肯定しようかということを語るんです(つまり、悪魔に魅了された人たちの話なんだと思うんです。それをドキュメンタリーで見せられるんですからスリリングこの上ないんですけど。)。で、そういう人たちの言葉と彼自身の行動で映画を観ている僕もどんどん感化(洗脳)されていって、終わる頃には興奮やそこはかとない感動もしているんですけど…エンドロールの辺りで「…でも、いや、待てよ。」ってなるのがめちゃくちゃ面白かったんですよね。そうとう哲学的な映画でした。

http://freesolo-jp.com/

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