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ゴーストランドの惨劇

ここでも何度か言ってますが、僕は子供の頃からホラー映画が好きでずっと観て来ているんですね。で、2017年の「ゲットアウト」と去年の「ヘレディタリー 継承」で、また、ホラー映画が新しいフェーズへ入ったなという感じがしてるんですけど(奇しくももうすぐ両監督の新作が公開されますね。楽しみです。)、それより前に「あ、これは新しいの来たな。」と思ったのが2009年公開のパスカル・ロジェ監督の「マーターズ」だったんです。当時は、フランス・ニューウェーブ・スプラッターのひとつとして紹介されてたと思うんですけど(あとのふたつは、「屋敷女」のアレクサンドル・バスティロ&ジュリアン・モーリーと「ハイテンション」のアレクサンドル・アジャだったと思います。)、その都市伝説的な空気感のある舞台設定とほんとに容赦のないスプラッター表現、そして、最後にはなぜか崇高な気持ちになってしまうストーリーで、当時観た時は(スプラッターは見慣れてるはずの僕が)、途中でもう観るのやめようかなと思ったくらいの痛々しさと禍々しさだったんですね(観ていて力が抜けて来るんですよね。痛すぎて。)。そのロジェ監督の最新作ということで、それは、まぁ、観たいくないけど観なくてはということで行って来ました。パスカル・ロジェ監督の最新作「ゴーストランドの惨劇」の感想です。

えー、前回の感想も「サマー・オブ・84」でホラー映画だったんですが、いや、前々回も「メランコリック」でホラー要素の入ってる映画だし、そんなこと言ったら、その前の「よこがお」もホラー的解釈が充分に出来る作品だったわけで。んー、夏はやはりホラー的なものに惹かれるんですかね(いや、夏じゃなくても「ハウス・ジャック・ビルト」なんか、ラース・フォン・トリアの皮を被ったホラーですからね。最近の映画はホラー要素高めのやつが多いですよね。)。まぁ、というか、僕が個人的にそういう不穏さを持った映画を好んで嗅ぎ分けてるだけだと思うんですけど。では、何がそんなにホラーなものに惹かれるのかと言われたら、ロマンなんですよね。あの、僕が映画に求めてるものが大きく分けてふたつあるんですけど、まず、ひとつは自分の知ってる(かつて知っていた)感情を呼び起こしてくれる様な映画(共感)ってことで、もうひとつが、それまで知らなかった感情や世界を教えてくれる様な映画なんです。で、ホラー映画っていうのはこの"それまで知らなかった感情や世界"の宝庫なんですよね。例えば、普段、素通りしてる路地に入ってみたら今まで知らなかった世界が拡がっていたとか、街はずれの廃屋に忍び込んだら正体不明のパーティーが行われていたとか、なんなら、自分の部屋の隅の暗闇を良く見てみたら得体の知れないモノが生息していたなんて、ロマンですよね。で、パスカル・ロジェ監督の映画の面白さって正しくこれなんです。実際スクリーンに映し出されるのは信じられない様な残酷なシーンなんですけど、もしかしたら、自分が知らなかっただけでこういう世界っていうのがほんとうは存在しているのかもしれないっていう感覚があって(ほんとにむちゃくちゃ酷い世界なんですけど)、信じたくないけど信じたいというか。そこに恐怖と同時に何か新しい扉が開いた様なワクワク感があるんですよね。

で、「マーターズ」も、今回の「ゴーストランドの惨劇」もそうなんですけど、シチュエーション自体は普通に考えたらそうとうぶっ飛んでるんです。例えば、「マーターズ」だったら、ある女性が監禁されてるっていうのがほとんどなんですけど、理由も分からずその女性が拷問されるのを延々見せられ続けるんです。で、「何なのこれ?」、「一体、何を見せられてるの?」ってなって、「もう限界なんだけど…。」ってなった辺りで少しだけ世界が広がって、そのありえないと思ってた状況がギリギリ現実と交差してるっていうのが分かるんです。つまり、観客はそれまで実態の分からない暴力っていう、その得体の知れなさに怯えていたんですけど、実態が見えたらもっと怖かったっていう。この、ギリギリ現実としてありえるかもしれないっていう世界の描き方がですね。怖いんですよね。で、それは劇中の登場人物たちと感覚を共有するってことになっていて、どこかで自分とは無関係だと思ってた暴力が自分も存在しているこの世界のものだったって受け入れることになって、そのことに絶望するんです。あの、ロジェ監督ってクールで世界を平等に見てる人だと思うんですけど、そういう視点の人に、「人間て普通にこの位おかしいですよ。」って言われたら、「あ、そうなんだ。」って思うしかないっていうか。虚構だと信じたかったものを現実だって断定されるっていう。圧倒的に信じられない世界を見せられてるのに「なんか、分かる。」っていう感覚に(つまり、共感)させられるんです。この(共感という)感覚が怖いんですよね(「ヘレディタリー」が新しかったのは、それを心霊映画でやったからだと思うんです。)。だから、ロジェ監督の映画は、僕が映画に求めている"知らなかった世界を見せてくれる"っていうのと、"自分の知っている感覚を呼び起こしてくれる"っていうのの両方を満たしているということになるわけなんです。

で、今回の「ゴーストランドの惨劇」は、正にその虚構と現実っていうのを嫌っていうほど見せられる話で、例えば、主人公のベスは小説を書くのが好きでどちらかと言えば空想の中で生きている様な少女なんですね。姉のヴェラはその逆で現実主義というか、空想に生きて現実を見ないベスをバカにしてる様な少女なんです。そのふたりの姉妹と母親の3人が亡くなった叔母がひとりで暮らしていた古い屋敷に越して来るところから物語は始まるんですね。で、越して来たその夜にふたりの暴漢に家に押し入られるんですけど、母親の決死の反撃で暴漢を殺すことによって家族は助かるんです。ただ、その時のことがトラウマになり姉のヴェラは、それから16年経った現在も屋敷の地下に引きこもって生活している様な状態なんです。一方、妹のベスは屋敷を出て、夢だった小説家として成功もし結婚もして幸せに暮らしているんですけど、あの事件のことを書いた小説を発売した位のタイミングで、母親と姉の様子を見に事件のあった屋敷に戻って来ることになるんですっていうのがベーシックな舞台立てなんですよ。つまり、ここまではよくあるスプラッター映画的な展開になっているんですね。様々なホラー映画のオマージュなんかも入ってたりして、ロジェ監督にしては割とオーソドックスな展開だなと思っていたんですが、やっばりそんなはずはなくてですね。えーと、まず、夢見がちな少女のベスと現実主義のヴェラって正反対のふたりが出て来ることがもうロジェ作品的というか。「マーターズ」は虚構だと思っていたものが現実と地続きだったと思わせられることが怖いって書きましたけど、この「ゴーストランドの惨劇」は最初から虚構と現実が混ざった状態にあるっていうことを言っているんだと思うんですね。で、それがまた、ここから世界が少し広がることによって観客が何を見せられてるのか段々と分かって来るって構成になっていてですね。今回の場合は、ふたりの姉妹が美しければ美しいほど、設定が良くあるホラー設定であればあるほど、何が起こっているのか分かった時に、あー、やっぱり、パスカル・ロジェとんでもねーなってなるんですよね。あの、「レディ・プレイヤー・ワン」で「シャイニング」のシーンの中に入るってシーケンスあったじゃないですか。あの感覚になりますよ、この映画。だから、相変わらず、怖いとワクワクが同居してるんですよね。こういうのやっぱ凄い監督だなと思いました。

直接的な暴力(痛さ)って意味では「マーターズ」の方が圧倒的ですが、精神的にジワジワ追い詰められるのはこっちの方が上かもしれないですね。描かれた夢とか希望が逃げ道を全部塞がれて絶望に変わって行くの、ほんとに嫌だけど「お見事!」と思っちゃうんですよね。それと、暴漢ふたり組のキャラクターとか、そのふたりが乗ってるキャンディ・トラックとか、ベスがラブクラフトのファンとか、屋敷の造形とか、そこに置かれた人形たちとか、そういうホラーやファンタジーの小ネタ的仕掛けが満載で、そういうオーソドックスなホラーとしても楽しめました。ただ、まぁ、相変わらず精神的にはやられますので、そういうの興味あるという方は是非。

http://ghostland-sangeki.com/

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