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僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46

えー、僕は欅坂のファンでありまして、どのくらいのファンかと言われれば、ライターの中山洋平くんのnote(bossston cruizing mania・カシマエスヒロ、欅坂46を語る【前編】【後編】)において臆面もなく欅愛を語るくらいにはファンなのですが(どうやって興味を持って行ったかなどについてはこちらに書かれてますので気になる方は是非ご一読を。)、いわゆる確固たる推しメンがいて、ファンクラブに入り、ライブに行き、グッズを買いまくるというわけではなく、基本的には楽曲とパフォーマンス、それに伴う映像作品の世界観にやられていたんですが、言うなれば、それが虚構と現実の狭間にある偶像という意味でのアイドル・カルチャーから、現実の社会にまで影響を与える様な存在として現れたのが面白かったわけです。で、それは僕にとって思春期に出会ったSEX PISTOLSやブルーハーツなんかと同じく、自分の価値観を揺るがしてくれる存在だったわけで。まさかアラフィフになってまでそういう気持ちにさせてくれるものと出会えるとは思ってもいなかったんです。そんな欅坂46の誕生から終わりまでの5年間を通して「欅坂46とは一体何だったのか」というのを追ったドキュメンタリー『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』の感想です。

というわけで、まぁ、ファンではあっても、それはあくまで欅坂の作り出す作品のファンだったということで、この映画も欅坂の数ある作品の中のひとつという括りで出来る限り映画内で描かれていることだけに限定して(そうじゃないとほんと様々な思いがあるので。)書いていこうと思います。はい。で、そうやって観るとですね、もの凄く良く出来ていると思うんですよ。ドキュメンタリー映画として。個人的にドキュメンタリーというのは決して真実だけを映し出すものではないと思いますし、この映画の中に恣意的な部分というのは沢山あるんですけど(例えば握手会なんかのいわゆるアイドル活動の部分を全く描いていないとか…。)、それは監督がこの映画をどう見せたいかということに繋がっていると思うんですね。ただ、画面に映っているものそれ自体は事実なので、その事実の重ね方によって浮かび上がってくる ” 真実めいたモノ ” というのがあるわけなんです。それが観た人によって微妙に違ってくる様に作られているのがこの映画の上手いとこだなと思うんですが。あの、欅坂を好きな人たちの間でずっとモヤモヤしていることのひとつに ” 欅坂=平手友梨奈なのか? ” 問題というのがあるんですね(全く詳しくない人の為にちょっと説明しますと、平手友梨奈さんというのは欅坂46の絶対的センターと言われているメンバーで、楽曲中の主人公に憑依してしまう様な圧倒的なパフォーマンスで、デビュー曲の『サイレント・マジョリティー』から今年の1月に脱退するまでの8枚のシングル全てでセンターを務めた人なんですが、この平手さんの存在が大き過ぎて、欅坂というグループが平手さんの表現を見せる為のグループと化してしまっている。それ以外のメンバーが全く目立たないということがあったんです。)。で、この映画では開始そうそうこの問題にある結論を出しちゃってるんですよ。つまり、” 欅坂=平手友梨奈だ ” と。で、その示し方っていうのが凄くて。2018年のツアーのある公演で平手さんが舞台から落ちてケガをするという事件が起こったんですね。そういうことがあったという事実はニュースとしては知ってたんですが、その時のライブ映像はこれまで出てなかったんです。それをこの映画では初っ端でやるんです。

欅坂はダンスパフォーマンスが売りではあるんですけど、この日の『ガラスを割れ』(という曲)のパフォーマンスも鬼気迫る感じで凄くて、曲の最後に踊りながら前進して行くってパートがあって(欅のダンスでは割とよくあるんですけどね。踊りながら前進ていうの。)、平手さんだけが他のメンバーとは離れて花道を前進して行くって演出になっていて、花道を使ったライブならではの演出で、まぁ、めちゃくちゃカッコイイんですよ。やっぱりライブの演出スゲェなって感じで。その圧巻のパフォーマンスを映画冒頭で見せられるんですけど、曲が終わったあとに平手さんが力尽きて花道から落ちるんです。で、よく状況が掴めないまま他のメンバーがMCに入るってとこまでやるんですけど、その後のモノローグでこの『ガラスを割れ』のパフォーマンスが平手さんのアドリブだったってことが分かるんです。ケガして途中退場したって事実だけは知ってたんですけど、それがこれだけのパフォーマンスをやった果ての出来事で、しかも平手さんのアドリブだったっていう。さすがにライブの演出凄いなと思ってたら、誰もそこまで求めてなかったっていう(でも、パフォーマンスとしては完璧なんですよ。その絵としての迫力というか。それを瞬時に閃いてやっちゃう凄さといいますかね。)。いや、分かってはいたけど、ちょっと平手友梨奈凄過ぎるなっていうのをまざまざと見せつけられるシーンなんですけど、だから、ここで"やっぱり欅坂っていうのは平手友梨奈だった"んだって(ファンの間で、それはもうそうなんだけど認めちゃうと欅坂自体を否定することになってしまいそうで表立っては認められなかった事実っていうのを)説得されちゃうわけなんです。そのパフォーマンスにおいて。で、映画はその後、象徴としての平手友梨奈っていう存在と(メンバーだったりスタッフだったりする)周りの人間がどう対峙していたのかっていうのと、平手さん自身がどういう経緯を辿って脱退に至ったのかを二本柱としてやるんです。だからこれ、平手さんが主役の様に見えて、じつはある意味平手さん(=欅坂46)と対峙した各メンバーの話でもあるんですよね。つまり"不在の中心"の話なんです。

で、それが最も顕著に描かれるのが平手さんが参加出来なかったライブのエピソードなんですけど。 ” 不在の中心 ” ていうのがどういうことかというと、『霧島、部活やめるってよ』で描かれてた、物語の中心人物が登場しないままストーリーが進んで行くっていうあれですね。『霧島…』の元ネタになっているのは『ゴドーを待ちながら』という戯曲なんですが、ゴドーとはゴッド(神)のもじりだと言われていて、ゴドーを待っているふたりの登場人物は神の救いを待っているんですけど、神も現れないし救いもないという人生の不条理を描いているんです(正しく、突然の平手さんの不在は他のメンバーにとって不条理でしかなかったと思うんですけど。)。で、その ” 不在の中心 ” が周りの人たちにどう影響を与えて、それがどう変化するのかっていうのを青春映画として描いたのが『霧島、部活やめるってよ』だったんです。欅坂のこのエピソードって正にそれなんですね。だから、平手さんの不在に対して反応したメンバーにスポットが当たることになるんですけど(例えば、平手さんの代わりにセンターのポジションに入ったメンバーなどですね。)、でも、そこには根源的な ” 救い ” はないんです。『霧島…』が青春映画として新しかったのは、何かを達成させたり大きく成長させたりしなかったところにあると思っているんですが。登場人物たちにはちょっとした気づきがあるだけで、青春期に終わりが来ても人生は続いて行き、そこに特に救いはないという。この映画も、平手さんの不在によって"欅坂というのは平手友梨奈だったのだ"ということに気づいたメンバーたちが、その中で自分たちの立ち位置を見定めるって話になっているんですね。『ふたりセゾン』という曲の平手パートのソロダンスを本番で突然披露した小池美波さんは平手さんの不在に触発されてそれまでの自分から一歩踏み出すんですけど、その後の欅坂初のメンバー選抜でレギュラー落ちするんです。これ残酷なことの様に見えますけど、多くの人にとって生きるとはこういうことなんですよね。『霧島…』もこの映画もそれを描いていると思うんです。世界(つまり、『霧島…』では高校を、この映画では欅坂を世界として描いてるわけです。)を知ることでそれぞれの人生における役割(アイデンティティー)がどこにあるのかっていうのを見定めるという。だから、僕らは(『霧島…』の)東出くんにも小池美波さんにも共感してしまうんだと思うんです(このエピソードがこの映画の中で最もグッとくるのはこれが映画を観ている僕たちに最も近いエピソードだからなんですよね。理解できる範疇の話というか。)。

で、もう一方、平手さんの方の話が紐解かれれば " 欅坂46というのは何だったのか? " というのは分かるんですが、およそこっちは常人には理解出来ない話として展開して行くんです。あの、だから、僕これ観てて『X MEN』シリーズみたいだなと思ったんですよね。同じマーベルでも『アベンジャーズ』とは違い、特殊能力を持ってしまったヒーローの悲哀を描いている作品なんですけど、人類を救う為のヒーローが同時にミュータントと呼ばれて、その特殊能力ゆえに人々からの偏見と差別の対象になって行くって話なんです。べつに欅の中に差別があったと言いたいわけではなくて(どちらかというと、メンバーの中では平手さんに対する崇拝的な視点の方が強かったですよね。結果的にそうなってしまったことに問題があったと思うんですが。それはまとめて後で書きます。)。『X-MEN』シリーズが人種差別のことを描いてるのはそうなんですが、もうひとつ、ヒーロー物が描いてこなかったヒーローの心の問題というのを描いてると思うんですね(「なぜヒーローは人類を守るのか?」というヒーロー自体の存在意義みたいなことです。)。で、平手さんのストーリーは主にそこを描くことになっていて。もの凄い才能を持つことでみんなから畏敬の念を抱かれることになり(欅坂の曲に『エキセントリック』というのがありましたが、正にあれで歌われてる様な。)、それによって平手さん自身が孤独になって行くという。その道程が克明に描写されているのでなかなか観てて辛いんですが、これはまぁ欅坂の活動を追っていた人なら外から見ていてもある程度は分かっていたことなんですね。で、それを中から描写することで答え合わせの様になっていて、「ああ、やっぱりそうだったんだ。」て感じなんですけど、驚いたのは他のメンバーが思ってた以上に平手さんを崇拝していたことで。平手さん自身はそれに対して割と早い段階で居心地の悪さを感じていたっぽいんですよね(あの「欅坂やってて楽しいですか?」ってやつですね。)。でも、これって10代の思春期バリバリの子たちが集まったらある程度仕方のないことなのかなとも思うんです。たぶん、欅坂のメンバーにとって平手友梨奈を中心とした欅坂っていうのが世界の全てになってしまったんだと思うんですよ。そうじゃなくても10代の子たちって、例えば学校の友達づきあいや恋愛なんかが世界の全てになってしまうもんじゃないですか。そういう年代の子たちがあれだけ特集な環境に閉じ込められたらそこが世界の全てになってしまってもある程度仕方ないんじゃないかと思うんです(だから、周りの大人たちがやるべきは、「ここは世界の全てではない。」と諭すことだったんじゃないかなと思うんです。ただ、この映画が欅坂を世界の全てとして描こうとしてるのは、卒業したメンバーに関してほとんど触れられていないということからも顕著なので、あえてそう見える様に描いているとも思うんですけどね。)。

ただ、ここでも平手さんはそういう世界の象徴でしかなくて(この映画で平手友梨奈というのは徹底的に不在の存在なんです。)。だから、よく出来たフィクションを観てる様な気分になってくるんですが、映画終盤に監督が(恐らく欅坂のメンバーから最も信頼されている大人のひとりの)振付師のTAKAHIRO先生にある質問をするシーンがあって、ずっと虚構と現実(嘘と真実)の狭間を描いて来た映画がここで急に現実(つまり、欅坂の世界の外)を描写するんです。で、更に追い討ちをかける様にその現実の側には、今、この映画を観ている観客(ファン)も含まれるということを示すんです。欅坂の東京ドーム公演が結果的に平手さんの最後のライブになってしまうんですが、その最後の曲は、平手さんの曲への没入度が激し過ぎる為に呪われた楽曲として封印されていた『不協和音』だったんですね(2017年の紅白でメンバーがバタバタ倒れてたあの曲といえば分かる人も多いんじゃないでしょうか。)。平手友梨奈センターで久しぶりに披露された『不協和音』は凄まじくて、興奮した観客は当然アンコールを要求するんです。そのアンコールが掛かってる中カメラは舞台裏の平手さんを映すんですが、『不協和音』のパフォーマンスで満身創痍となってしまった平手さんはスタッフに抱えられたまま舞台裏に戻ると「出来ない、出来ない。」とうわ言の様に繰り返しながら次の衣装に着替えさせられているんです。ほんとにショックな映像なんですが、これって、TAKAHIRO先生への質問の後にこの映像を繋ぐことで、少女たちをここまで追い込んだ責任の一端というのは、それを求めるファンにもあるんじゃないのかっていうのを示唆しているわけなんですね。ただ、なんですが、この映画のほんとに凄いところは、じつはこの後の視点にあると思っていて。個人的にはそこにもっとも震えたんです。

東京ドーム公演の最後の曲は平手さんのソロ曲の『角を曲がる』だったんですけど、この曲は平手さんの主演映画の『響 -HIBIKI- 』のエンディングテーマで音源にもなっておらず、ましてや欅坂名義の曲でもないんです。だから、最後の曲が『角を曲がる』だったって聞いた時は結構な違和感だったんです(まぁ、後から考えれば平手さんの脱退を示唆しての選曲だったと思うんですけど。)。しかも、しっとりとしたバラード曲なので、過呼吸になって何度も倒れている『不協和音』のあとにこれが来るとは誰も予想してないですし、あの混沌とした舞台裏での平手さんを見せられると、まさか、そのあとにこの曲を歌えるとはとても思えないんです。ただ、イントロが流れて平手さんが舞台に現れたら、さっきまであんなに取り乱して倒れる寸前の様だった平手さんが、呼吸も整い集中もして、繊細な動きの抽象的なダンスを東京ドームの大観衆の中で、たったひとりで踊り切るんですよ。ちょっとこれは有無を言わせぬ凄さというか。要するに映画は、TAKAHIRO先生に大人の責任を問い、ファンには少女たちを追い詰めた責任を問いながら、最後の最後で"平手友梨奈の凄さ"に感服しているんです。この圧倒的な素材を前にして作品を作るという欲望に負けているんですよね。なので、最終的にこの映画はテンターテイメントの為に悪魔に魂を売った(監督を含む)クリエイターたちの話の様に見えてくるんです。

はい、ということで、あくまで映画内で描かれてることだけに言及していくと、結論"欅坂とは何だったのか?"という謎は解けないってことになるんですが、個人的にはそれで良かったんじゃないかと思っています(一旦、時代やその時の空気などから離れないと、何が良くて何が悪いって判断にはならないんじゃないかと思いました。)。映画以外のことも含めて言うなら、恐らく平手さんの凄さをメンバー内で最も早く感じていた(そういう描写が映画内にあります。ここ凄く良かったです。)小林由依さんが平手さんが去った今の欅坂の中心的存在になっていることや、全てを把握しながらそれでも全部を受け入れざるを得なかったキャプテンの菅井さんの凄さとかグッと来る場面は沢山ありました。(いやー、これでも端折ったんですが長くなってしまいました。すいません。)

https://2020-keyakizaka.jp/

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