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【映画感想】花束みたいな恋をした

『東京ラブストーリー』、『カルテット』など沢山のヒットドラマを手掛けている坂本裕二さんの脚本を、『罪の声』の土井裕泰監督が映画化した、菅田将暉さん、有村架純さん主演によるボーイ・ミーツ・ガール物『花束みたいな恋をした』の感想です。

えー、まず、僕は1970年生まれで、1980年代を10~19歳、1990年代を20~29歳、2000年代を30歳~39歳として過ごして来たのですが、これ、いわゆるサブカル第一世代ってやつだと思うんですね。ただ、僕が自分の好きなものが"サブカル"なのかと気づいたのは30歳を超えてからで、興味を持ち始めた子供の頃は、自分がそういうものを好んでいる(例えば、普通に流行っている映画も好きだけど、ぐちゃぐちゃのスプラッターの方が好きだとか、それが高じてB級映画とかヤバそうな映画を探して観まくっているなど)ということは公にはしてなかったんです。いや、してなかったというよりは、周りにそういうことを話しても分かる人がいなかったので必然的に話題に出さない様にしていたと言いますか(今だに覚えているのが、音楽に興味を持ち始めた頃、近所のおばさんに「どんなの聴いてるの?」って聞かれた時、母親が「なんか変わったの聴いてるのよ。」って言ったことで。自分が興味を持ってるものは変わっているのかという刷り込みが割と初手からあったんです。)。ただ、何人かは深夜ラジオで流れた最新の洋楽をエアチェックして貸してくれる友達や、東京で流行っているインディーズバンドの音源を教えてくれるような友達がいて(僕がこの後バンドに目覚めたのは完全にこの人たちのせいです。)、そういう友達に教えてもらった知識を普通のクラスの友達たちと遊んでる時に披露して、「え、詳しいじゃん。」みたいに言われることに優越感を感じていたというか、それで満足していたんです。要するに、本来は"マニア"で"オタク"(この頃はまだ"サブカルチャー"なんて言い方はなかったです。というか、そういうものがカルチャーだって認識さえなかったと思います。)と言われる趣味の僕が、みんなも興味のあることに対して"ちょっと詳しいやつ"っていうスタンスをとってたんですね。で、高校を卒業して東京に出て来てバンドを始めるんですけど、そしたら、周りはみんな僕よりも詳しい"マニア"たちだったんです(要するにここでも僕は、ここいにるマニアたちに比べたら"ちょっと詳しいやつ"くらいの立ち位置だったんです。)。しかも、その好きなものから受けた影響を自分たちのオリジナルにして発表しているわけで。そうなって来ると好きなものをただ好きとして享受するというよりは、そのものの本質は何なのかっていうのを考えるようになるわけなんですよ。必然的に(なぜなら、自分よりも知識も愛情もある人たちの作るモノに対してどうやったら勝てるのかって考えるので。)。で、僕はここで、単純に好きなものをやみくもに摂取することから、それを通した自分がどういうものを作るのかってことに興味が移ったんですね。これまで自分が興味を持ったものたちがどうフィードバックして、それがどんなものになるのかという。で、それって僕にとってのアイデンティティの目覚めってことだったと思うんです。うん、はい、で、なんでこんな自分語りを延々としてるのかと言うとですね。この『花束みたいな恋をした』っていう映画は正しくこういう話なんじゃないかなと思ったからなんです。

大学生の麦(むぎ)と絹(きぬ)が終電を逃したことで知り合って、映画や小説などの趣味がほぼ同じことから徐々に惹かれあって同棲することになって、そこから大学を卒業して就職をしてっていう5年間を描いた恋愛ドラマなんですけど。えーと、まずは、『500日のサマー』とか『ビフォア』シリーズの様な人間を描く恋愛映画として凄く良く出来ててめちゃくちや良かったんですが、その上で『ブルー・バレンタイン』の様に良い時と悪い時を並行して見せて行く様な映画でもあって。そういう意味でとても意地悪な映画だなと思ったんですよね。あの、ふたりが惹かれ合うきっかけとなったサブカル的趣味がほぼ一緒っていうのって完全にファンタジーとして描かれてますよね。ふたりが出会って趣味の話して、共感しあって、付き合うことになってっていう部分てサブカルあるあるかの様に描かれていて、映画を観ている僕らも、まず、ここで共感して「これは自分の話だ。」ってなるところだと思うんですよ。でも、実際は全然あるあるじゃないんですよね。

まず、主人公ふたりの名前。"麦"と"絹"。この名前の付け方って普通にリアルな恋愛関係を描こうと思ったらつけないと思うんですよ。あまりにも漫画的というか。じゃあ、なんで、この名前を違和感なく僕らは受け入れてしまうのかというと、サブカル好きなカップルの寓話だからなんですよ。そういう漫画とかに出てきそうなキャラクター名というか、童話の中で主人公であることを示すような名前ですよね。だから、この映画の前半部分で描かれてるのってあるあるじゃなくて、この手の趣味の人たちの理想とする恋愛なんだと思うんです。で、そう思って観ると、同じ終電を逃したふたりが同じバンドのワンマンに同じ様にいけなかったり、偶然居合わせたふたりが押井守の存在どころかその容姿を知っていたり(このエピソードが一番そんなことあるかいと思いました。)、そもそも、サブカル的な趣味がほぼ同じってこと自体が普通はありえないわけで。ふたりにお互いを運命の相手だと思わせるにしてはあからさまにやり過ぎなんですよ。しかし、そのありえないことがこの物語を作るキーになっていて、そして更に、それがそのまま物語を終わらす為の呪いとしても使われているんです(だって、シンクロ率100%で始まった恋愛が続くわけないんです。例えば成長という名の変化でさえ裏切りになってしまうので。そういう意味でもファンタジーなんだと思うんです。)。そこが凄く面白いなと思ったんです。もの凄く局地的でリアルな事象を使って寓話を描くというのが(ただ、そういう時の気分というかもやもやした気持ちの様なものを描くのがとても上手くて、それでリアルに感じてしまうんだと思うんです。『500日のサマー』を観た時もとてもファンタジックな話だなと思いながらもリアリティを感じて不思議な映画だなと思ったんですけど、その謎がこの映画で解けた様な気がします。)。

で、このままで終わってしまったら単なるファンタジー、寓話だってことで特にこんな回りくどいことをして描く必要はないんですが、この映画、前半でこれだけサブカルカップルの理想郷を見せておきながら後半はそんなふたりが絶対に見たくない展開を描くんです。みんなが自分の恋愛と比べてしまう様な前半は実際にはないことで溢れていて、みんながなんでこんなことになってしうまうのかと思う後半は現実にありえることばかりが(ドキュメンタリーの様に)描かれるんですね(だから、こっちの方があるあるなんです。)。しかも、真逆の展開が真逆の見せ方で描かれるのにそれが同じ世界線の中で進んで行くんです。ファンタジー映画とホラー映画くらいの違いがあるのに(意地が悪いですよね。)。で、これは、自分はサブカルだと思ってた僕がじつはオルタナティブという思想に最もしっくり来てたからなのか、既に結婚して子供もいる年齢のおっさんだからなのかは分かりませんが、個人的には前半のふたりの出会いから同棲するまでを観てる時よりも、ふたりの気持ちがだんだんズレて行く後半辺りを観てる時の方が気持ちが開放されたんですよね。なぜかというと、まず、自分と全く同じ趣味の人とずっと一緒にいたら逆に不安になるだろうということと(だって、好きなものがほとんど同じって、毎日自分と対峙してる様なもんじゃないですか。それ嫌じゃないかなと思うんですよね。実際、現在の僕の奥さんは僕と全く趣味は合いませんが、奥さんが好きなものに付き合うことで新たな驚きがあったり、これまでの自分の考えにも奥行きが出たりして、個人的にはそういう人と一緒にいる方が良いのではないかと思っているのと、僕の好きなものがサブカルというにはアンダーグラウンド過ぎるのか、これまであまり人と思いを共有出来た記憶がないからだと思います。というか、そういうのを共有するのは自分が少数派なのだということを再認識する為に生活を共にしてない友達とかの方が良いのです。だから、たぶん僕は"サブカル"ではなくて"オルタナティブ"なんだと思うんです。「メインストリームではない」ということがアイデンティティなので。)、終盤の麦くんの結婚に対する考えが(既に結婚してる身からすると全然悪い意味ではなく)その通り過ぎて、それを受け入れるのも悪くはないぜと思ったこと、そして、それに対する絹ちゃんの対応も「そう(どうせ、いずれは麦くんが言う様なところに落ち着くのだから)、ここではその判断が正しい。一度裏切られたと感じてしまった人とは上手くいかないよね(ただ、それは最初からこの映画に仕掛けられた呪いなんてすけど。)。」と思えたからで、それはたぶん、いい夢を見せてるだけに見えた物語が無責任なままで終わらなそうだったからだと思うんです(ただ、第ニの餌食になる若者たちも描かれてて、やはりホラーだなとも思いました。)。

ということで、つまりはこの話、お互いがそれぞれ自分の本質に気づいて(アイデンティティの目覚め?)新たなフェーズに行くことを描いていて、ラストシーンでその先が描かれるのはそれが当然の選択だったと示す為だと思うんです。創作とリアリティの絶妙な配分(全体的には寓話。)で、現在の気分とか空気感みたいなものが表現されていて、それが青春映画としてとても良いなと思いました(そして、それを菅田将暉さんと有村架純さんというスターで描いてるというのも良かったです。)。

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