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好きな小説家のサイン会に行く前の回想②

 (承前) 

 そもそも当時は、いまよりもアニメにはまる人間の風当たりが、「オタク」という言葉が市民権を得ている今よりもはるかに荒涼としていた。そもそも「オタク」という言葉は、差別的ニュアンスがこめられていなかっただろうか。若干、個人的な思考の歪みを挟んでしまうが、この時代のこの年代の学生は、スポーツで幅を利かせる人間が青春勝ち組で、文化的なものを慈しむものは「オタク」と括られていたのではないだろうか。
 ゆえに権威がある(と思われる)賞の作品が、どちらかというと差別的な眼差しを向けられていたアニメの世界で映像化されていたというのは、驚嘆するとともに、当時の自分にとっては画期的な出来事であった。なにより、敷居が高いと思いこんでいた小説の世界を一気に近づけてくれたのだ。実際のところ、あれから20年以上時が流れたが、芥川賞と直木賞作品のアニメ化はこの作品しかないのではないだろうか。
 残念ながら、ぼくが景山民夫の著書に出会ってほどなく、彼は不慮の事故で亡くなられてしまった。これも運命の分かれ道で、もしこの不慮の逝去がなければ、おそらく初めての「著者買い」は景山民夫だったかもしれない。そうなるとその後の小説の好み、追い求める小説の志向が変わっていた可能性は拭いきれない。しかし思い返してみると、いまの人生、こと小説においては、きちんと無駄なことはなく、いまの自分に収斂されていると実感する。初の著者買いはならずとも、いなくてはならない作家であることには変わりがない。
 景山民夫の直木賞受賞作、『遠い海からきたCoo』は前半は未知の生物との交流に主軸が置かれ、後半は派手なアクションシーンが多い。しかし物語の主人公として君臨しているのは大の大人ではなく、元気で前向きかつ、ひたむきな少年、洋助である。どこまでも未知の生物=恐竜の生き残りと目されるCooを守るために一途な少年が活字の中で、映画の中で息吹いていた。
『さよならブラックバード』の少年、翔太は『遠い海から来たCoo』の洋介ほどアクティブではないにしても、生きることにおいてはどこまでもひたむきな主人公だった。いじめられっ子を守ったことで自分がいじめられるのだが、実際それで主人公は卑屈になるし、心持ちも光の世界から闇のほうに傾いていくのだが、それでも心の仄暗さからなんとか這いあがろうとあがく。その姿は当時、学校に馴染めていない自分とどれほど投影して読んだことだろうか知れない。(しかし、いじめの問題は、20年経てもなお、構図は変わっていないのだということに改めて戦慄する)
 ほんとうはもっとこの二作品については語りたいのだが、本筋から外れていくことは間違いないので、話を戻そう。 (機会を改めて、景山民夫について書いてみようか、とふと思う)
 景山民夫のこの二作品のハードカバーは、そんな少年のクロッキー画が描かれている。図書室でこれを借りて読み、手元に置いておきたくなり、文庫本を購入した。それはいまも本棚にある。表紙にはアニメのワンシーン、Cooを抱きしめる洋助が描かれている。ちなみに東京の古書店街に一年に一回くらい行くようになってからは、そのハードカバーも探して手に入れた。(このページの冒頭の表紙の写真が、それらのものである)こちらは主人公の洋助が、愛し気に小さな恐竜のCooの鼻に自分の額を押しつけている。離れたくない、と願わんかのように。
 いっぽう、『さよなら、ブラックバード』では主人公の少年がこちらを向いて、微笑んでいる様子が描かれている。大人向けと信じて疑わなかった単行本や文庫本の表紙に、自分の年に近い少年が描かれていれば、やはりその小説にたいして手が伸ばしやすい。
 図書室に景山民夫が他にもあったのかどうか、記憶は非常にあいまいだ。あったような気もするし、なかったような気もする。しかし当時、売れていたと思しき代表作である『虎口からの脱出』は読んだ記憶がないし、景山民夫が他に少年を主人公にした作品を見つけた記憶もない。
 まだ一般文芸書の読書量が足りていない状態で、ハードカバーの文芸書に手を伸ばして大丈夫なのか、血液型A型(へんなところで几帳面らしいが、いまではかなりおおざっぱ)、長男坊(基本、なにをするにも慎重)としては、いくら景山民夫の作品でも、大人を主人公にした作品に進むにはハードルが高すぎる。大人の世界なんざ、当時の自分には想像すらできない。
『遠い海から来たCoo』にしろ、『さよなら、ブラックバード』にせよ、小説は図書室でときどき国語辞典を片手に読み進めていたのだから、作中人物の年齢層が上がると、間違いなく言葉の意味を調べるのに必死で、肝心の作品が読み進められなくなる、いや、そもそも読書そのものがきらいになるのではないかと大いに危惧さえもした。ゆえに当時、景山民夫の小説できちんと読破したのは、この二冊だけである。その後も彼の作品は、あまり手に取っていない。それは単純に、ぼくは物故者となられた小説家よりも、現在進行形の小説家を敬愛しているからだろう。
 ところで国語辞典片手の読書は、はたしていつまで続いたのか。
 結論を先に述べると、国語辞典を片手に読み進める読書を、大学卒業後でも当面、続けていた。おそらく30になるくらいまでは、だいたい小説を読むときは、かたわらに国語辞典を置いていた。電車で判らない単語に出くわした時は、いまみたいにスマホはないので、メモを持参して書きこむか、携帯電話のメールの下書きとして単語を入力し、帰宅してから調べていた。この習慣、いまは失われてしまったので、もう一度復活させたい。奏度もして読書をしていたのは、ひとえに、そんな苦労をしてでも読み進めたいと思える素敵な作品、および小説家が多くいたからに他ならない。
 しかし当時高校生のぼくは、そんなことを知る由はない。むしろ受験勉強を終えてから、なぜさらに母国語の辞典を引かなければならないのかと感じていたことは、おぼろげながらに覚えている。意味を調べて、もっと簡単な言葉で書いてくれと感じたのも、一度や二度ではない。しかしそれでも読むことを放棄しなかったのだから、やはり読書はすきだったのだろう。
 太田忠司の『狩野俊介』シリーズもほぼ読み終えたし、景山民夫も、少なくとも同年代を描いたと思しき作品は読んでしまった。さて、次はどうするか。……そう考えて、とりあえず同年代の人たちが主人公になっている作品を追い求めた結果、鷺沢萠や島田雅彦に行きつく。五十音順で、景山民夫の近くに並べられていたのも影響はしているはずだ。
 ところが、がっつり、この段階では小池真理子を飛ばしている。もしかしたら、たまたま貸し出し中だったのかもしれない。いや、たぶん表紙が大人びて見えて、通り過ぎたのかもしれない。

                            (③へ続く) 

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