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好きな小説家のサイン会に行く前の回想①


 久しぶりにサイン会のことを書こうと思い立ち、思いだしつつ書き連ねていたものの、書いているうちに思いだすことも多く、だんだん本筋とはかけ離れてしまったので、結局この雑文をどうするか、考えあぐねつつ、書いたり消したりを繰り返してしまった。

 しかし前回の投稿から1年3か月とは…
 怠けているにもほどがある。

 サイン会のことだけを記録することがメインなら、サイン会のことだけ書けばいいし、もっともそれだけ書き連ねていくつもりだったが、いろいろ過去を掘り起こしてみると、なぜサイン会に行くようになったのかとか、そもそもサイン会に行きたいと思えるほどの小説家にどのように出会えたのかは、けっこう重要なのではないかとの思いが強くなり、思いだしているうちにとうとう止められなくなってしまった。
 やはり年々、過去の記憶もあいまいになるなか、これはこれで書き記しておきたい。実際、以前の投稿から1年も経過しているのだから、これからも記憶はどんどんあいまいになるだろう。あいまいな間はまだいいが、それが霧散してしまい、思いだせなくなると、それはそれでかなしい。それならばそうなる前に、何か形を残しておきたい。
 よって、初めて自発的に会いに行きたいと思い、実際に飛行機に飛び乗って会いに行った小説家、小池真理子さんの著書と、ぼくはどのようにして出会ったのか、今回はそんな話を記そうと思う。
 
 はじめて小池真理子の小説に手を伸ばしたのは、徐々に文芸書に手を伸ばしだした高校三年の頃で、受験勉強も早く終わりすっかり手持無沙汰となり、退屈な日々を過ごしていた時分であった。世間の入試は冬真っただ中だが、ぼくは推薦入試だったので、冬が始まる前に進路が確定していた。ゆえに皆が受験勉強に勤しむ前、秋口には勉強する必要がなくなってしまったのである。やることがなく、とりあえず何か本を読んでみようと漠然と考えたのが、読書人生のそもそもの始まりである。……読書人生という言葉ほど、本は読んでいないが。
 いまでこそスマホのゲームなどで手軽に暇つぶしができるようになったが、当時、一地方都市に住んでおり、遊び相手がいないとなると、放課後の時間の潰し方もだいぶ限られていた。
 当時はこの状況をかなり恨んでいたし、鬱屈した思いを抱えていた。あれから四半世紀近く過ぎようとしているが、いまだにあの時代に戻りたいとはつゆほど思わない。しかしこの時代のそんな歯がゆさがあり、結果的に小説にたいする飢えや渇望を味わえたのであれば、やはり感謝すべきなのだろう。
 その頃、ぼくが児童文学系から、一般文芸に読書の裾野の幅を広げるにあたり、その橋渡しをしていたのがノベルスというものだった。とくに徳間書店のものを愛読していた。当時はいまよりもノベルスはそれなりに隆盛を極めていて、地方都市の本屋の棚でも一角を占めていた。ちなみにノベルスとはジャンプコミックスくらいの大きさ、分厚さの本で、二段組の小説という認識を個人的にはもっている。一時期より趨勢は風前の灯火のありさまだが、絶滅しているわけではない。
 ノベルス小説のシリーズものとして、初めてはまったのは中学生探偵「狩野俊介」シリーズや、のちに日本の芸能界には欠かせない存在となる櫻井翔や深田恭子の出演で映画化された『新宿少年探偵団』を執筆されていた太田忠司の作品だった。思春期の心理の機微を描くのが、いまときどき読み返してもなかなか周逸だと舌を巻く。
(そういえば太田忠司さんにはお目にかかったことがない……)
 彼の作品は、当時から時間をかけて、ほぼすべて読破した。
 しかし著者がすきだから購入していたというよりは、狩野俊介探偵が好きで、面白くて新刊が発売されるたびに買っていたというのが実感だ。ゆえに「読破した」とは書いたが、それは少年少女が主人公の作品に限定される。
しかし、それでも少しずつだが、読む裾野は着実に広げていた。
 その代表格は、当時映画化されて、レンタルビデオ屋にもソフトが並んでいた『遠い海から来たCoo』の作者である景山民夫、青春小説の旗手でもあった鷺沢萠、そしていまでも永遠の青二才と呼ぶにふさわしい島田雅彦だろうか。 (そこから芥川賞に何度か候補になりながら落選しているというのを何かで知り、賞つながりで辻仁成、柳美里へと繋がっていく)
 あえてこの順番で記したのには、少しだけ意味がある。当時を思い返しながら書いているので、都合のいい解釈も大いにあることは百も承知だが、ぼくは小説が並べられた図書室の本棚を、向かって左から順に追いかけている節があった。つまり「あ」行の小説家から、面白そうな本を手にしては取っていたのだ。まわりで本の話ができる人が皆無の状況だったので、いま振り返ると「誰のアドバイスも得られない状況で」「面白そうな本を見つける、そして読む」という方法としては、あるていど理にかなっていたと、いまでは確信を持っていえる。
 余談だが、その後、もう少し時が流れて高校三年の冬くらいになるとなかにし礼の『兄弟』にしびれるようになるのだが、なるほど、記憶の時期としては合致している。小池真理子を読んだのは、推薦入試を終えた秋ごろ、つまりその時期で「か」行のところで足踏みしていたので、「な」行にたどり着くのは、冬真っただ中というのも、当時の読むスピードからすると、やはり律儀に著者の五十音順で小説を探して、気になるものに手を伸ばしていたのは間違いないだろう。
 つまり小池真理子は、これらの小説家、特に太田忠司と島田雅彦あたりに触れていなければ出会えていない。もし仮にぼくがハードボイルド系の作家を好んでいたら、大沢在昌や北方健三にたどり着いていただろうし、そうなるとおそらく小池真理子には気を留めなかっただろう。そして本格的な純文学志向なら、おそらく遠藤周作、大江健三郎あたりを手にして、やはり小池真理子は通過していたに違いない。
 先に傾倒していた小説家を先に列挙してみたが、いずれも主人公は当時の自分との年齢がどれも似たり寄ったりだ。小学生から高校生までが主人公で、一般文芸書とはいいながら、児童向け小説との垣根はだいぶ低いと個人的には思えるラインナップであった。(景山民夫はちょうど晩年がそういう作風だったようで、常に青春小説を手掛けていたのではないと知るのは、彼が亡くなってからだ)
 やはり小説を読む上で、いかに登場人物に感情移入しやすいかというのは、重要な課題だ。それのみならず表紙の絵柄も同じくらい大切だと認識している。個人の趣味としておどろおどろしい絵柄や、芸術的なものが描かれているよりは、漫画タッチで描かれている人物画が描かれているほうが、当時のぼくは手を取りやすかった。それらのイラストは、読む上でも実際に大きな助けになること請け合いだからだ。
 ドラマや映画なら、登場人物はすぐに視覚的に目に入るので、一瞬で好き嫌いが判別できる。良くも悪くも想像の余地がない。しかし文章となると想像力で世界を切り拓いていかないといけない。想像力が乏しいと、ほんのわずかな描写でも、絵が持つ力を実感することができる。特に狩野俊介シリーズは、本文中の挿絵にも、幾度となく助けられた。
 その頃の自分はちょうど、景山民夫を続けて読んでいた。アニメ映画化された『遠い海から来たCoo』(余談だが、この作品、DVD化されないだろうかといまでも思う)に小説があることを知り、映画の記憶に助けられつつ読み進めることができた。
 そして読了して初めて、この作品が第99回直木賞受賞作であることを知った。
 子供が主人公で、アニメ映画化される作品が年に二回騒がれる直木賞という権威ある賞(この表現はどうかと思わなくもないが、しかしそれでも当時の心境を端的に示すなら、やはりこういう表現になる)を与えられているというギャップは非常に新鮮な驚きだった。 (芥川賞はときどき学生が主人公という作品を見かけるが、直木賞は少ないのではないかという感じはしている)

                            (②へ続く)

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