森ノ宮 たまぞう(ぽぽ改め)

小説好きな人間。特に現代小説が好きである。好きな小説家のサイン会にはどこでも駆けつける…

森ノ宮 たまぞう(ぽぽ改め)

小説好きな人間。特に現代小説が好きである。好きな小説家のサイン会にはどこでも駆けつける癖がある。これまでに参加してきたサイン会の記憶、そこでの作家の皆様とのひとときの記憶、そして読んだ本にまつわる記憶をここに刻んでいけたらと思う。追記・改名しました。

最近の記事

好きな小説家のサイン会に行く前の回想⑤(完結編)

(承前①) (承前②) (承前③) (承前④)  奥付に刻まれた日付と小池真理子さんの生年月日から類推すると、小池真理子さんが『無伴奏』を書かれたとき、小池真理子さんの年齢は38歳くらいなので、作中人物と同じ70年代というのは当時の小池真理子さんから見て20年前である。ずいぶん遠い昔だと当時は思っていたが、いまの自分の年齢から高校時代がいつだったかと振り返ると、すでに20年以上の月日が流れている。高校時代にはずいぶん遠いと思えた20年以上の時間を、ぼくはここまで生きてきたの

    • 好きな小説家のサイン会に行く前の回想④

      (承前①) (承前②) (承前③)   長々、本筋からずれてしまっているが、このように「昔から継続している状況が多い」おかげで、間違いなく自分の読書人生も続いている。景山民夫や鷺沢萠、野沢尚はすでに亡くなってしまったし、いまや両者を知る若い人は少なくなっている。  鷺沢萠にいたっては、彼女のそばにいた方々(直木賞作家の藤原伊織や装丁家の多田和博)も鬼籍に入られているので、いよいよ生身の人間を知る人も少なくなってきていることは憂慮している。ただ時折、忘れた頃に作品が復刊してい

      • 好きな小説家のサイン会に行く前の回想③

        承前① 承前②  当時、自分が通っていた図書室にはライトノベルがかなり陳列されていた。いまでこそライトノベルやアニメは大きな市民権を得ているが、当時としては珍しいことだったと記憶している。  いまとなってはある市立図書館に足を運ぶと、文庫本コーナーにも普通に並べられていたりする。さらに漫画も、結構スペースを割いて並べられている。 (漫画やアニメは日本の文化といわれながら、こういう書き方を平然とできるあたり、小説や文芸の地位は高すぎるのか、漫画やアニメの地位は低すぎるのか、

        • 好きな小説家のサイン会に行く前の回想②

          (承前)   そもそも当時は、いまよりもアニメにはまる人間の風当たりが、「オタク」という言葉が市民権を得ている今よりもはるかに荒涼としていた。そもそも「オタク」という言葉は、差別的ニュアンスがこめられていなかっただろうか。若干、個人的な思考の歪みを挟んでしまうが、この時代のこの年代の学生は、スポーツで幅を利かせる人間が青春勝ち組で、文化的なものを慈しむものは「オタク」と括られていたのではないだろうか。  ゆえに権威がある(と思われる)賞の作品が、どちらかというと差別的な眼

        好きな小説家のサイン会に行く前の回想⑤(完結編)

          好きな小説家のサイン会に行く前の回想①

           久しぶりにサイン会のことを書こうと思い立ち、思いだしつつ書き連ねていたものの、書いているうちに思いだすことも多く、だんだん本筋とはかけ離れてしまったので、結局この雑文をどうするか、考えあぐねつつ、書いたり消したりを繰り返してしまった。  しかし前回の投稿から1年3か月とは…  怠けているにもほどがある。  サイン会のことだけを記録することがメインなら、サイン会のことだけ書けばいいし、もっともそれだけ書き連ねていくつもりだったが、いろいろ過去を掘り起こしてみると、なぜサイ

          好きな小説家のサイン会に行く前の回想①

          サイン会に行く-山田詠美と私-(後編)

          (承前)  やがて迎えた当日。その日は、記憶では穏やかな晴れの日だが、具体的な日を特定できない以上、実際のところは判らない。しかし記憶に残る心象風景は晴れなので、間違いなくその後、サイン会や講演会を好きになる自分からすれば、それは間違いなくさい先のいいスタートだった。  現地で後輩と合流して、一階のカウンターで支払いを終えて、並ぶ場所を聞いて驚いた。店外の出入口のそばに待機列があるらしい。いわれたとおりそこに向かうと、そこにはすでに長机がセッティングされていて、誰も座っていな

          サイン会に行く-山田詠美と私-(後編)

          サイン会に行く-山田詠美と私-(前編)

          サイン本について二回、ここにいろいろと書き連ねてきたが、このままずるずるそれだけを書き続けるわけにもいかない。  話が横道にそれるが、ぼくは数字の「3」に絡む言葉が結構すきである。『二度あることは三度ある』と『三度目の正直』。何かにつけて二回目までは惰性が許される気がする。しかしそれも三回目となると、何かを選択する際に「なんとなく」という軽い空気が許されないようにも思えてくる。突き進むのか、逃げるのか、その判断を迫られる機会は三回目に訪れることが多い。それはあくまで個

          サイン会に行く-山田詠美と私-(前編)

          考えること-池田晶子と私・後編-

          (承前)  そんな彼女のサイン本を見つけたのは、いつだったのか……、実は正確な記憶がない。おそらくここ10年以内のことだと思うが、彼女が亡くなられたあとに手に入れたのは確かだ。だから当然、古書店で手に入れた。しかしこれもどこだったのかというのが、不思議なもので思いだせない。おそらく東京の神保町だったと記憶している。彼女は2007年に47歳で世を去った。……2007年と記して吃驚、あれから干支が一周したのだ。  普通の書店(ここでいう普通の書店とは新品の本を扱う本屋の意味)で

          考えること-池田晶子と私・後編-

          考えること-池田晶子と私・前編-

           前回は初めて手に入れたサイン本について書いてみた。  さて、サイン会の話を……と思いつつ、今回もまた遠回りしようと思う。サイン本について語りだすと、自分でも忘れかけていた記憶が泉のごとくあふれだすからだ。  20代になってから、サイン会に足を運ぶだけでは飽きたらず、サイン本を買い集めるようになっていた。確か日本で一番賑やかともいわれている(世界一かもしれない)東京は神田神保町の古書祭りを知り、足を運びだしたのもこの頃である。古書祭りでは中古のサイン本などを中心に買い漁るよう

          考えること-池田晶子と私・前編-

          はじめて手に入れたサイン本-柳美里さんと私・②-

          (承前)  柳美里のサイン本は1999年の年始早々、粉雪がちらつく日に駸々堂書店で見つけた。たしか河原町通りに面した入口から一番遠いところにあるレジカウンターの横に三冊積まれていた。  書店員さんの「サイン本、あります」と書かれたPOPと、これはうろ覚えなのだが、たしか柳美里さんの文字が認められた手のひらサイズの色紙も飾られていたと記憶している。  田舎者のぼくは、それまでサイン本なるものがこの世に存在していることなど知らなかった。サインというのは売れているアイドルなり、有名

          はじめて手に入れたサイン本-柳美里さんと私・②-

          はじめて手に入れたサイン本-柳美里さんと私・①-

           サイン会について書いてみようと思い立ったものの、どのようなことを書こうかと思案しているあいだに年を越してしまった。  何回かサイン会や講演会に足を運ぶと、同じ顔を見かけることがある。しかしなぜだろう、好きな小説家に一目会いたいというおなじ志で足を運んでいるはずなのに、客同士でその思いを共有したことは、少なくともぼくにおいては一回もない。音楽ライブではまれに隣り合った人たちと目を輝かせて目の前で繰り広げられる光景に盛りあがることもあるのだが、ことサイン会となると、言葉を交わす

          はじめて手に入れたサイン本-柳美里さんと私・①-

          雑感:これから書いていきたいこと

           コロナ禍という言葉が嫌いである。この言葉を嫌うからこそ、自分はコロナ以前以後と、たいして行動を変えることはなかった。住んでいる土地柄、県境を越える移動もやめなければ、会いたい人に会うという行為もやめなかった。(もちろん相手の同意は得ている)現に緊急事態宣言が発令されるか否かの瀬戸際で、何かのイベントがあればそれこそ新幹線に乗りこんで一路東京を目指したこともある。つまりコロナがあろうがなかろうが、自分の日々の生活に劇的な変化は見いだせない。  しかし唯一、コロナ禍に陥ってかな

          雑感:これから書いていきたいこと

          「僕が夫に出会うまで」の所感

           この本のあとがきにこんな一説がある。 「僕は最近、三十一歳になった。この本は、僕の記憶が鮮明なうちに自分の過去を何かに記しておきたいと思い、書き始めた。」  世間的に見て、三十歳というのはそういう節目なのだろうか。それに似た所感をほかのエッセイでも時折見かけることがある。  近年、LGBTQの話題が熱い。この話題がテレビや雑誌に取りあげられない日のほうが、いまや少ないのではないだろうか。発信される情報もどんどん増えていき、それこそ七色の虹という一言では表せられないほど多様に

          「僕が夫に出会うまで」の所感

          いまは亡き野沢尚様へ

          突然のお手紙、失礼いたします。まさかいまになって手紙が届くことになろうとは、夢にも思わなかったでしょう。  あなたの本に初めて手を触れてから、早くも22年もの歳月が過ぎてしまいました。高校時代、図書館からの帰り道に立ち寄った本屋で、『呼人』 という小説を手に取ったのが始まりでした。「少年は永遠の命を閉じこめられた」という帯の文句も、当時の自分には魅力的でした。  いつまでも成長しない運命を背負った少年の話は、毎日受験勉強で代わり映えのない生活を送っていた私を、瞬く間に物語の世