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サイン会に行く-山田詠美と私-(後編)

(承前)
 やがて迎えた当日。その日は、記憶では穏やかな晴れの日だが、具体的な日を特定できない以上、実際のところは判らない。しかし記憶に残る心象風景は晴れなので、間違いなくその後、サイン会や講演会を好きになる自分からすれば、それは間違いなくさい先のいいスタートだった。
 現地で後輩と合流して、一階のカウンターで支払いを終えて、並ぶ場所を聞いて驚いた。店外の出入口のそばに待機列があるらしい。いわれたとおりそこに向かうと、そこにはすでに長机がセッティングされていて、誰も座っていない椅子は主を待ち続けていた。そう、このときのサイン会は外で催されたのだ。
 当時はそれが初めてだったので、そんなものだとあっさり受け容れていたが、何度か足を運ぶにつれて、小説家のサイン会においてはそれはかなり珍しいことだと悟った。実際、このときからおよそ20年、いろんな作家さんのサイン会に赴いたが、屋外で実施されたのはこの一回だけである。初めてのサイン会で唯一の例外パターンに巡りあうのは、幸運だったというほかない。
 到着したときにはすでに、山田詠美の愛読者が列をなしていた。記憶では始まる三十分前くらいには着いていたはずだが、それでもかなり後ろの方で待たされた。当時、四条通の歩道はいまのように広く改装される前だったので、どのように列をなしていたのかはやや曖昧なところはあるが、おそらく入口付近の一角で、所狭しと参加者が並べられていたように思う。
 まわりでサイン会開始を待っていたひとは、男女比でいうと圧倒的に女性が多かった。少なくとも自分のまわりにいるのは後輩も含めて女性ばかりだった。しかもみんな若い。当時22歳の自分から見ても、若いと分類される人間が圧倒的に多かった。場違いなところにきたかも、と気分が少しかげりだしたが、すでに後の祭りである。
 思い返してみると、このときのサイン会は友人連れで参加している方々が多かった。一人で読んで楽しむのではなく、読んだ作品で得た感想なり、山田詠美に対する思いなり、そういうものを共有する関係性を持った方々が多かったように見受けられた。このときを含めて四回足を運んだが、山田詠美のサイン会はそういう『同士』『同志』の参加がほかの方々に比べると多い印象がある。
 待つこと数十分。果たしてどのように山田詠美が空いている椅子に登場したのか、そのあたりの記憶はない。列の後ろの方に並んでいたので、前方から聞こえる歓声や嬌声で、山田詠美がやってきたことを体感するしかなかった。声がした方に背伸びして、後輩と「山田詠美が見える、見えない」とやりとりしながら、短くなる待機列に埋もれながら、とりあえず遠目に山田詠美を崇めようと四苦八苦していた。
 遠くにいると、ただ列が動くだけで、それ以外に何も感じることも見えることもないのだが、自分の番が近くなると、先にサインをもらった人の様子が徐々に明らかになる。それまで全く見えなかった景色が見えるのも、サイン会ならではの楽しみだ。これはオンラインでは絶対に味わえない。
 山田詠美のサイン会は、知り合い同士で参加している方が多いからか、サインをしてもらった人たちは「会えたことにたいする感情」を、ともに足を運んだ友人知人と共有している場面を多く見かけた。自分にはあまりこういう経験はないが、それでも時折、サイン会に知人と参加したときに、自分がその当事者になると心底こう痛感する。
『作品や著者のことであれこれ語れるのはほんとうに楽しい』
 サインしてもらうために山田詠美の著書を差しだしつつ、あらかじめ用意した手紙を渡す人もちらほら見受けられた。中には手紙を渡す手が緊張のせいか震えてしまい、頭が真っ白になっていると思われる読者もいた。そんな読者を温かな笑顔で迎えいれる山田詠美は、ただただ穏やかなお姉様だった。話し方も、泰然と構える写真でしか見たことないような女流小説家、というよりは、ほんとうにこの街のどこかを楽しそうに闊歩しているごく普通のお姉様というのが、最初に山田詠美を目にしたときの印象だった。
 いろんなサイン会に参加して、編集者の方やもちろん作家本人と話しをする中で気づくのだが、このサイン会は読者だけではなくて、小説家の方も緊張されている方が多いらしい。それは書き損じがないように、あるいはサイン会の途中で何も起きないように、祈りつつこなす方が多いらしい。特に為書き(最近のサイン会ではほとんどこれがある。不正転売の抑止力として名前を読者の書くこと。しかし山田詠美は一貫して為書きはしていない)をされる方は「相手の誤字がないように」さらに神経を尖らせている方も少なからずいるらしい。
 もし緊張されている中でひとりひとり笑顔を見せつつ、手紙や花やその他諸々、読者が何か渡せば「ありがとう」と声をかけながらこなしているのだとすれば、山田詠美をはじめ、多くの小説家たちは強靱な精神力の持ち主だと、足を運ぶたびに敬愛の念がふくれあがっている。あちらこちらに気を遣いながら、ひたすらペンを走らせる荒技は、自分にはとうていできそうにない。
 いまでも忘れられないのは、自分の前に並んでいた女性の方だ。ほんの少し自分よりは年上の方だったと記憶している。この方も自分の高校の先輩の例に漏れず、おそらく山田詠美の本を肌身離さず持ち歩いているような感じの、読書少女がそのまま大人になった風情を湛えていた。その方も山田詠美に手紙を用意していた。きっと何日も前から準備していたのだろう。
 その方の前にサインされた読者はサインをしていただくときに談笑をしたり、山田詠美に笑顔を向けられれば喜んだり、傍目で見て幸せのお裾分けをされているようだった。
 そういう人たちとのやりとりを目にしていたから、そのおとなしそうな方も、手紙を手渡してサインされた著書を受けとる頃には、きっとはしゃぐのだろうなと想像しながら、まもなく迫る順番を気長に待っていた。
 ようやく山田詠美の顔を、読書少女の背中越しに正面で捉えることができたものの、当の自分はようやく対面という感動よりも、ひたすら立ちっぱなしなので足にだるさが生身の小説家に出会えた感動をしのいでいた。おかげでサインがほしい気持ちよりは座りたい気持ちでいっぱいだった。サイン会は基本的に読者と著者の一対一でなされるので、待ち人は自分の番が来るまでは蚊帳の外である。さすがに背伸びしてみたり、顔をのばしてみたりして、ずっと様子を見ていると疲れもたまっていく。さすがにこのときになると遠くで見える他人が織りなす一対一の光景よりも、アスファルトを見下ろすことも増えていた。すでに一時間近く経過、まさかこれほど待たされるとは……。
 不意に山田詠美のまわりが騒がしくなった。不意に顔を上げ、前を見ると、感極まった読書少女は号泣していたのだ。人が感極まり、うれしさのあまり泣く瞬間を、ぼくは人生で初めて目にした。
 山田詠美のまわりにいた編集者はそういう方々になれているのか、「まあまあ」といった感じで、涙する女の人をなだめていた。山田詠美も同じようにその方の本にサインしてからもも落ち着くまでしばし待っていた。
 小説家に遭遇して涙する人もいるし、好きなアイドルを一目見ただけで泣きだす人もいる。しかしそれらはテレビで見たり、伝聞で聞いたり、つまりぼくにとっては絵空事でしかなかった。そのようなことが本当にあるのだと目の前で確かな質感を伴って自覚したのは、これが初めてだった。
 ほどなくして自分の番がきたのだが、サインをしてもらうあいだ、果たしてぼくは何を思い、わずかな時間を過ごしたのか……。まったく記憶にない。直前に見かけた閃光のような衝撃の力が、小説家との初めての対面という感動を超えてしまったからかもしれない。 確か後輩のつきそいできました、と正直に伝えたように思う。それでも来てくれて、待ってくれてありがとうと、甘い口ぶりで言われたことくらいだ。もう少し気の利いたことを伝えればよかったのだろうか。そう思い返すが、しかし当時のぼくにとっての山田詠美の立ち位置はそういう場所だったのだ。当時はほかの小説家に没頭していたし、山田詠美はその没頭している作家たちの中には残念ながら入っていなかった。それでも「山田詠美」の四文字を持つ人間は、何も遠い世界の住人ではなく、空想上の生き物でもなく、こんなに近くにいるものだと、そのことにおいてはじわじわと感動が湧きあがっていた。やはりここがぼくの「小説家の方に会いたい」と思い動き出した原点だ。
 サインをしてもらったあとは後輩の番だったので、その間少しサイン会会場の近くで待機していた。その間あの読書少女の方はすでにその場を去っていた。きっとぼくよりもはるかに温かなな感動を抱えて帰路についたのだろう。そんなことを思いながら、ふと没頭している作家集団に思いを馳せた。遠い、手の届かない場所にいる人たちにも、もしかしたら会えるのではないか。根拠はないのだが、なぜだかそのとき、ほんとうにそんなことを漠然と考えていた。そういう人と会えたなら、ぼくはどういう気分になるのだろうか。その熱い思いに触れてみたいと切に願った。
 サインをもらった後輩と合流すると、山田詠美の信奉者だけあって、見かけた顔は赤く上気していた。緊張のあまり、何を話したかとか記憶が飛んでいたみたいだが、それでも彼女の五感には山田詠美と会えた、その感動は深く刻まれたらしい。帰り道はいつになくしゃべりが流ちょうだった。会話の内容は山田詠美の本のことである。しかしぼくはその話は上の空で、次は自分がこんな気分を味わえたらいいなと空想をしていた。もう少し、後輩の話を聞いておいたらよかった。まさか自分も少しずつ山田詠美の世界に魅了されていくとは当時は考えてもいなかったのだから、仕方ないといえばそれまでだが。
 好きな小説家に会えたら、自分もそんな風に熱くなれるだろうか。
 もちろんこのときは、その後三回も山田詠美のサイン会に足を運ぶとも思っていなかったし、当時読んでいた小説家にお目にかかれる日が来るとは想像もしていなかったことである。しかしその機会は、思っていたよりは早くやってきた。
 そのことはまた後日記したい。
 さらにいうなれば、その後三回の山田詠美さんのサイン会の様子も、折を見て書き記すことができればいいなと思う。

                              (了)

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