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誰からも嫌われたくないだとか

いつだったか、そんな感じのツイート群を目にした。

誰からも嫌われたくない。それは傲慢だ。その図々しいマインドこそが原因だ。そんなことが言われていた気がする。それこそが弱みでそこを見せないと誰からも愛されない、みたいな、ね。わたしも割と「誰からも嫌われたくない」という立場の人間だったから、それには素直にグサっときた。それで、考えた。よく考えると、ちょっと一番真ん中の点からはズレてる気がした。そうじゃないんだ。たしかにそうなんだけれど、わたしも誰からも嫌われたくはないんだけれど、個人的に感じた本質はそこじゃない。そんな話をしたいと思う。

完全に個人の体験記のようなものになるが、どうか我慢して聞いてほしい。かなり昔の話になる。わたしは小さい頃から水泳をクラブチームでやっていた。そこは完全に閉鎖されたコミュニティだったので、第二のクラスのような役割をそれぞれの中で果たしていた。当時小学校四年生だったわたしは、そのときに四つほど上の女の子の先輩から虐められていた。きっかけは些細なことだった。入ってきたばかりのわたしはその集団に身を置くために、その集団のボス(その先輩)と仲良くなろうとしたのだが、それに失敗したのだ。その人のオキニの子ならやってよくても、ペーペーのわたしはやってはいけないことをしたらしい。その結果、びっくりするほど全員から避けられるようになった。おそらくボスがみんなにわたしと仲良くしないで、のようなことを言ったのだと思う。そのときのわたしとしては誰に怒るわけでもなく、自分が禁忌を侵したからこうなったのであり、自分が悪いと責めていた。自分はそこから逃げる道はなく、ボスは見るからにボスでそこを牛耳っていたので、その人に嫌われたならはぶられてもどうしようもなかったからだ。だからそれ以降はそれ以上なるまいと波風を立てないように生きた。わからないことはビクビクしながら優しそうな人たちに最低限の質問として聞き、男の子に話しかけると見るからにキレられるのでその辺は大人しくし、あまり目立つこともせず、ボスの側近みたいな子と仲良くもせず、なんとなく空気のように生きた。そんな風に過ごすことが人生の中で何回かあったのだ。なにも悲しい話ではない。大変ではあったが、得ることも多く今にまで役に立っているから。あと、もしかすると、これは転校生あるあるなのかもしれないとも思った。わたしはドラマでよくあるような黒板の前で自己紹介はしたし、他のクラスから見物人がわいわい来てなんやかんやぶわーっと聞かれるってこともした。それを人気者みたいでいいなあと嫉妬されていたのも知ってる。だけど大抵の場合、ある程度経てばほとんどの人間から注目されなくなり、だれも自分の集団には入れたがらず、さらには集団内にわたしのことをよく思わないヤツが敵対視し悪口を言い出すまでセットなんだ。ノートの軸線が違うだけでいじられ、トイレで泣くのはあるあるだと思っている。最終的には、メイングループには片足突っ込めるくらいの距離感でだれか優しい一人の子と仲良くする、そんな感じに落ち着いたと記憶している。

この話をして、自己憐憫におぼれたいわけではない。わたしはただ、このような経験があって、そこから「誰かひとりでもに嫌われることは、誰かしらに目をつけられ、集団に存在できなくなることであり、すなわち社会的に死ぬ」という法則が自分の中にある、ということを言いたい。(あくまでも、わたしの中にある、だけ。もしかしたら女性いう生物は、男性が狩りに出かける間は子供や仲間を見守るという社会性を身につける必要があるので、男性よりもこの「嫌われたくないマインド」は強いのかもしれないが。) これが傲慢なのだろうか。たしかに、学校の外に社会はあったし逃げ道はあった。(しかし当時の自分にそこまで考える能力や行動力そして助けを訴える環境があったかには疑問を呈したい。) そして今なおその価値観を持ち続けていることを指摘されるのなら、確かにこちらに悔い改める点があります、としか言えない。そもそも誰かに嫌われながら集団に存在し続けることは、ごく普通のことだ。みんな誰かしらには苦手意識を持たれている。(ただ若干喧嘩をふっかけるようなことを言うなら「誰からも好かれそうな人への嫉妬」も混じっている気もする。違ったらごめん。こういうところだろうね。) だから傲慢か否かに関しては、各々が思うところがあると思うし、これといった答えを明示するつもりはない。しかしながら、この価値観からわたしの中で派生される「上の人間の好き嫌いに左右されない」というマインドに誇りを持っていることは記しておきたい。なぜなら、自分の仲間を選ぶ責任をちゃんと自分で持っているからだ。このような経験により、”集団の長の意見を聞いて集団員がその通り動くことで誰かが除け者にされる事案” が心底憎かったので、わたしはだれがなんと言おうと、自分の意見で好き嫌いは決めている。そしてそういう人間が好きだ。そういう人のほうが信頼できるし。だって、外部のルール変更で急に掌返すとか怖いじゃん。たとえば、わたしは仲良くしていた人間が刑務所に入ろうと、法的基準と自分の友達の基準は異なるから、よっぽどのことがない限り友達は友達でい続けられる自信がある。急に話が壮大になったと感じた人がいたら、世間での価値観のほうが個人の関係より重要だと捉えているのかもしれない。そんなわけで基本的にわたしは集団に完全には属さず生きているので、自由に動けるし、初対面だったり自分の価値観と異なったりする人間に優しい。友達とみなしている人間にはもっと優しい。それくらいだろう、自分の中で誇れる点は。それの言い換えが「誰からも嫌われたくない」とニアイコールに感じた、ということだ。ちなみに今のわたしは完全にスイッチングできるようになった。これはこれで使える。だってさ、別に全員から嫌われまいとするのは傲慢だとして、逆に好かれようとして良くない?それできるの才能だよ。社会は女の子にその要素けっこう求めてる。実は。大体の日本企業、面接に全員には好かれなさそうな人と全員から好かれそうな人きたら後者選ぶでしょ。わたしはたらいてないし面接もしたことないけど。笑 少なくとも頑張ってきた今までを否定しなくていいんじゃないの。これからは変えてってもいいかもしれないけどね。

またこんな長い言い訳のような文章を書いてしまった。相変わらずひどい。書きたい衝動のままに「うるせー!」と中指立てて書いている。すべてのnoteは自分への弁解だ。

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