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人生落ちきって廃人になってみる。落ちていく自分をコントロールせず、ただ流れに任せて落ちていく。

ネガティブな感情の渦に飲み込まれ、「もうダメだ、どうしようもない、辛い、どうしたらいいかわからない」と気持ちが落ちていくことがある。渦に飲み込まれると、止まらないし、落ちていく一方で、どんどん暗くなっていく。

そんなとき、今まで私はyoutube見たり、ネット見たり、SNS見て、自分の気分を紛らわしていた。でもそれって根本的な解決にはなっていない。だから、また同じことで落ちていくし、同じような気分を味わう。
気分が落ちて、無気力で、ゴロゴロしていたら、「こんなことしていたらダメだ、洗い物しないといけない、お風呂に入らないといけない」と、だらける自分を否定し、○○しなければならないと自分に鞭を打ち動かす。まさにそれが「善い行い」だと自分で思い込んで、ジャッチし続けていた。

ある日知り合いの人に「落ちきってみなよ、大丈夫、またなにか、心の底からしたくなる。それまでお風呂も食事もやめなよ」と言われた。
人生奈落の底だと落ちていた私は、実践した。お風呂も入らず、食事は夕方にどうしてもお腹が空いて近所のスーパーにお寿司を買いに行ったり、料理しても洗い物もせず、シンクが溢れていく。ゴミも散乱していく。部屋は湿っぽい。
4日間そんな生活をして、「お風呂入りたい!服も布団も臭いから洗濯したい!部屋掃除したい!」となり、半日かけて自分も自分の周りも掃除したら、とってもすっきりして清々しくなった。
それでも落ちていた私は、何度もこの生活を繰り返した。5回くらいやった気がする。

気持ちが落ちているとき、私は自分をみてみる。なぜ落ちているのか、なぜもやもやしているのか。答えは自分の中だけ、外側に答えを求めたくなるけれど、本を読んだって答えは書いていない。自分をみて、落ちている理由がみえてくるときもあれば、ただ漠然と不安やもやもやがあるときもある。
落ちている理由に向き合って根本から抜けられるときもあれば、抜けきれなかったり。愚痴を永遠に脳内で言っているときは、ある程度ノートに書きだして、「言いたいだけね、はいはい」みたいな感じで聞いて、書く手が疲れて、「もういいでしょ」という感じで強制終了する。愚痴を他人に言うとすっきりしていたけれど、いざ自分が聞くとなると、自分の気分が悪くなっていくのに気づいてからは、愚痴は自分で聞くようにしている。
落ちたときの自分と対話するのは苦しく痛いけれど、とても大切だと思っている。

落ちていく自分をコントロールせず、ただ流れに任せて落ちていく。落ちることを自分に許可していくと、落ちていくことに身を任せて大丈夫だと思えるようになった。潮の満ち引きがあるように、月の満ち欠けはあるように、感情もじわじわと動いている。ずっと落ちていく一方じゃない。動いている。

落ちているときは廃人になったらいい。
最近は廃人になる生活をしなくなったけれど、これからも落ちることがあれば廃人生活して良いと思っているし、廃人生活したからこそ、今また日々楽しく心地よく暮らせているのだと思う。


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