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茨城県ひたちなか市那珂湊地区の芸術祭「みなとメディアミュージアム」が10周年を迎えます。そこで創設者の田島悠史が、各年の一枚と一日を通して、MMMを振り返りました。2019年から…
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#MMM
「みなとメディアミュージアム」という分かりにくい名称について
11回目のMMM(みなとメディアミュージアム)が無事に終わって、はや3ヶ月。今年はとても良い年で、3年目を迎える実行委員も2年目を迎える実行委員もとても元気。
さて現在は色々と議論をしている。来年のMMM2020は現在のフレームワークを活かして開催するものの、MMM2021(仮)は大きく変えることになっている。その一つに「"みなとメディアミュージアム"という名称が分かりにくい。わかりやすい"那珂
地域アートプロジェクトの事務局制度:みんなで議論して、ずっと続けるために
先日、ぼくが関わっているMMM(みなとメディアミュージアム)とMRS(一般社団法人新宿メディア芸術地域活性化推進協会)で、同時プレスリリースを公開した。内容は、MRSがMMMの事務局を担うこと、MMMは共同代表制とすること、そしてぼくがMMMの事務局長となること、だ。
昨年末に報告した、最終責任者としてMMMに戻る、という話をやっと公的に報告することができた*1。前任者のありがたみをひしひしと感
MMM2009-2018:ハッピーエンドは、まだ早い(MMM2017)
2017年は、ぼくの身辺変化から話した方が良いだろう。
まず職場(宝塚大学)で大きな変化があった。
自分の管轄の映像領域を廃止し、入試委員長(IR推進委員長兼務)になった。8年間定員を大幅に下回る状況は問題があると思い、学部全体とターゲットがズレている映像領域に固執するよりも、学部全体をなんとかしたいと思ったからだ。ここから、外部のコンサルティング団体と毎回、喧嘩しながら、毎日数字とにらめっこし