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家庭環境がわりと修羅だった話

中学二年生が終わり春休みに差し掛かった頃、突然、母親が家から消えた。

いつもは学校がある日もグダグダ遅く起きて、遅刻ギリギリの時間に家を出るのが当たり前だったのに、その日は朝の5時くらいだっただろうか。2階の寝室から目を擦りながら階段を降りていると、一階の父の寝室から異様な空気が漏れていた。小さな声で誰かと話している。いや、話しているというより、何か一方的に伝えているような空気感もある。父の寝室にいるもう1人は母だった。何か物々しい空気を子供ながらに感じ取った私は、階段の真ん中あたりに座り下の階の様子を伺うため耳を立て続けた。

結局会話は聞こえなかった。私は下の階に降りるのを躊躇し、寝室に戻り二度寝した。再び目覚め、朝食の席につこうとした際、テーブルの上に母親の置き手紙が置いてあった。内容は正直覚えていない。

その日の朝から母親が家から消えた。父に追い出された形だ。今思えば、当時から夫婦の小競り合いが多かった気がする。それに耐えかねた父が一方的に母を追い出したのだ。別れるにしても一番いけない形だと思う。兄、姉、そして私の感情を置き去りにしたままだ。離婚するにしても、別居するにしても夫婦間の感情だけで家庭が成り立っているわけではない。

兄は精神が崩れ現在もフリーター。姉は父から常軌を逸した暴力をかけらたにも関わらず、家を出た今もたまに連絡をとるらしい。私は現在30歳を過ぎ、普通に社会で働いている。それでも、幼少期のトラウマはたまに蘇る。あの日の朝の階段での出来事も一生脳裏にこびり付くだろう。

父の行いに対して、息子がふざけんなと思うことがあっても、「殴りたい」とか「警察呼んだほうがいいのかな」と考えることはないと思う。あったということは、普通の家庭ではなかったのだろう。というか普通の家庭であってたまるかとも思う。あらゆる事象に対して、外的要因のせいにして逃げるのはよろしくないという考え方がある。ある意味では正しいと思う。ただ、家庭環境や親の気性があまりに癖が強いと人の人生を狂わす。

父も母も離婚はせずあの日から別居したまま今日に至る。別居直後は父は母という単語を出すだけで発狂するくらい情緒不安定だったが、今はたまに連絡をとるらしい。そういえば私がまだ実家に住んでいた際、父から唐突に「母とは仲直りした。何もないから」みたいなことを言われたが、
まことに勝手なものだなと強く感じたのを覚えている。兄、姉、自分の心は置き去りにされたままだ。心の中で「知るかボケェ」と叫んだ。

子供の人生は家庭環境で決まる。当たり前の話だ。親が家族の人生を台無しにするようなことがあってはならない。30歳を過ぎた今、ようやく私の実家は普通ではなかったんだと認識できるようになった。父の干渉癖や統合失調気味の被害妄想や簡単なことでキレて暴力を振るわれるような環境に長いこといたため、あらゆる活力を吸い取られ、たぶん自身も正常な判断ができなかったのだろう。今思うのは、早く逃げるべきだったんだということだけだ。

日本国内には自分以上に酷い家庭環境で育つ人がたくさんいるだろう。早く逃げてほしい。それしか解決策はない。そのためには自分の家庭環境はやばいんだと気付く力が必要だ。どうにか生き延びてほしい。親のために自分の人生を無駄にするな。父は私によくこう言った。

「嫌ならいつでも出て行け」
「親に口答えするな」
「誰に飯を出してもらってんだ」
「お前に教えるのは疲れる」

心底ムカついてぶっとばしたいとは思いつつも、全て正しいと思っていた。父には絶対服従しなければならないと思っていた。

社会人になり独立し、収入がある今、全くその考えは愚かだったと思う。子供に稼ぐ能力がないことをいいことに威張り散らかしてただけだったんだと気付く。

だらだらと自身の育った環境について書いてきましたが、何度でも言いますよ。早く逃げなさい。

育ててくれた親に感謝とか産んでくれた親に感謝とか、そういうマインドは親から与えられるものではありません。息子、娘側から自発的に発生するものです。「あ、うちの親やばいな」と思ったら早よ稼ぐ力身につけて逃げたほうがいいです。

ただ、それでも、今流行りの「親ガチャ」という安易な言葉は死ぬほど嫌いですけどね。

以上

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