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大学の保健室で煽られた話
一年位前の話なんだけど、突然思い出して、今考えてもやっぱり腹立ってきたから書きます。
ある日、授業終わりにお手洗いに行ったらパンツが血まみれになっていました。毎月やってくるファッキンアノイング生理です。そういえばそろそろだったはずなのにすっかり忘れていた自分に腹が立ったり、この後いろいろ予定あるのにどうしようと逡巡したり。とにかくコンビニにナプキンを買いに走ろうとトイレを出たとき、ふと思い出
必死に必死に掃除してやっと部屋が人並みになった後、ふとyoutubeで「家事に対する態度は人生に対する態度だと思われがちだけど、大事なのは一生懸命生活すること」という言葉をみて、普通できることができなくても一生懸命なつもりの自分を肯定してもらえたようで、ポロポロ泣いた21歳の昼。
人生で言われた忘れられない言葉
今まで生きてきた中で、忘れられない言葉が二つある。言った本人たちはたぶん全然意識してなかっただろうし、深い話をしていたとかいう文脈もない。そんな本当に何気ない会話の中の言葉。
一つ目は、中学のどちゃくそヤンキーの女の子から言われた「あんたの優しさは本物って感じだね」という言葉。
確か中学2年のとき、席替えをしてその子と前後の並びになった。あんまり学校に来ない子だったけど、たまに登校した時は
最近太宰治読んだって話
最近、太宰治の本を読んだ。『人間失格』と『斜陽』。
文学部に所属していると言うのが恥ずかしいレベルで本を読んでいないことに、臆病な自尊心と尊大な羞恥心が我慢ならなくなったのが理由。とりあえず日本の名著は読んでおくか、と思って本当になんとなく太宰から手をつけた。読んでよかったなと思う。
読んでいると、「私は本当は生きていてはいけない人間なんじゃないか」という、いつからかこころに漠然とある気持
簡単にしあわせになれる季節がきたよ
最近夜はめっきり寒い。少なくとも私にとっては。冬は好きだ。お手軽にしあわせを感じられるから。
お風呂上がりに、想像以上に部屋が冷えているとき。
これはかなわんと急いで服を着る。用意していた寝巻きが半袖だから、慌ててタンスをかき混ぜてスウェットをひっぱりだす。すっぽり頭から被り、そのままのいきおいで布団に飛びこんだら、もう完璧だ。ひんやりしている布団が自分の風呂上がりの体温であたたまっていく
運営へ、バグ修正はよ
毎月、生理がくるたび悪態をついている。
いったいどういう生存戦略で我々人類の雌は毎月股から血を流すことになっているのか。
自分が女であることを恨んでいるわけでも、社会になにかモノ申したいわけでもない。ただ、どう考えても生き物としての欠陥ではないだろうか。
シンプルに、生きづらすぎる。
ひどいときは、お手洗いに行くたびちょっとした殺人現場みたいになる。横になって寝るのはもちろん、椅子に
赤子が弱いのではなく、我々が強すぎるという可能性
電車でぐずっている赤ちゃんとか、お店で駄々こねている小さな子を見かけると、いつも思うことがある。
19のわたしだって泣きたくなるんだから、生まれたての幼児なんてそりゃ泣くよな〜という感想。
例えば、極限までお腹がすいているのに食べるものが何もないバイト帰りの夜10時。死ぬほど眠いのにまだやることがたくさん残っている水曜の夜。
そういうとき、私は全然泣きたくなる。
別に深刻なことは何も
喋りなさいと言われたり、喋らないでと言われたりする人生。
大学生になって、ご飯は一人で食べるのが当たり前になった。そんな中で初めて学食に行った日に、世の中どうなるかわかんないもんだなと思った話。
慣れないキャンパスライフにへとへとになって、弁当を作る苦労を金で解決しようと開き直った5月のいつか。初めての学食では醤油ラーメンを食べた。疲れた日に暖かいご飯がすぐに食べられるというのは素晴らしいなと思う。
ピークを避けるために空きコマの時間に行ったの
思い出のない夕方5時
ほとんどの講義がオンラインになってから、家を出ることがめっきり減った。元来ひきこもりなので全然苦ではない。
しかし、人は何かしら消費して生きてるので、どう頑張っても2日に1回くらいは買い物に行かなければいけない。そのため最近は、夕方4時〜5時に外出することが増えた。
そんな生活の中の些細な発見である。
あるとても晴れた日、いつも通りわたしは重い腰を上げて、スーパーへ自転車を走らせていた。
最近のこと、あるいは日記。
今回は、初めて日記を書こうと思う。といっても、主にここ一週間考えたことをランダムに書くというだけ。
まずはじめに、最近「あるいは」というフレーズにハマっている。なんとなくで書いても許される幅のある言葉な気がして使い勝手が良い。ちなみに、関係ない言葉を「あるいは」でつなげると、おしゃれなエッセイのタイトルみたいになる。
「パンケーキ、あるいは夏の太陽」「花束、あるいは失恋した日の天気のような
みていたものが夢だと札束で殴られて気づいた
一人暮らしを始めた。腐るほどいる典型的な学生が、またひとりこの世に爆誕したのである。
引っ越してそれなりの月日がたち、私という人間がひと月生きるのにどれだけお金がかかっているのかを目の当たりにすることになった。まず大前提として、引っ越してきた最初の一か月は家具やらこまごました収納やら教科書やらで大幅にお金がかかっているはずである。その辺を冷静に見ることが、私はできる。
しかし、それらを差
卒業式で悔し泣きするなんて思っていなかった。
卒業式で鬱々とした答辞をききながら自然と涙が流れた時、自分は存外この生活に苦しんでいて、その上で合理化して、自分自身を誤魔化しながら過ごしていたんだなと気づいた。
いつの時代のどんな学生も一度は想像する「突然学校が休みにならないかなぁ」が実現するなんて、事実は小説より奇なりとはまさにこのことだろう。
そこまで学校に思い入れがあるつもりはなかった。休みになってラッキーだなって思った。まさか、
好きになるとは忘れるということ
なるべくいい人間でいたい。でもそれは誰かの役に立ちたいとかじゃなくて、とにかく良い人であれば自分のことを嫌いにならずに済むと思うからだ。
べつに特別誰かの大事な人になれなくても、めちゃくちゃ大きなことを成し遂げられなくてもいいから、誰の迷惑にも不快の原因にもなりたくない。誰にも迷惑をかけてなければ、あとはどんな自分でも許せるから。部屋が汚いとか、朝に弱いとか。
でも当たり前だけど、ずっと
マイクの前の二年間、朗読。
放送をしていてよかったと、改めて思う。朗読という行為に、一応真剣に向き合う二年間があって良かったと思う。最後くらい、おセンチな自分語りがあってもいいかなと、こんな文を書いています。
高校に入学したとき、いや本当はもっと前から、それこそ、放送部が一体何をするのかをろくに知らなかった時から、なぜか根拠のない自信があった。「たぶんそこそこうまくやれるだろうなぁ」そんな確信めいたもの。あながち間違い
自分を認められない苦しさは、人に頼らず自分で解決したい。
今日、久しぶりに逃げ恥を見た。「逃げるは恥だが役に立つ」。テレビドラマは全然見ないのだが、放送されていた当時、毎週欠かさずに見ていた。
久しぶりに見て、当時なぜあんなにこのドラマに感情移入していたのかを思い出したので、したためておこう。
このドラマの主人公の一人、ひらまさ(星野源)は、まじめであまり表情がなく、三十代にして女性経験が一度もない。悪い人ではないのだが、ぱっと見、堅苦しい人間
ぽんちえ劇場で感じた「エモいとは作るものではなくそう成るものなのでは。」の話
Youtubeが好きだ。現代っ子の大概はそうだろう。一日つぶすなんてのは造作もないことだが、Youtubeは時に、新しい世界を私たちに教えてくれる。今回は私が好きなチャンネルについて書いていこうと思う。
ぽんちえ劇場。現在の登録者数は約4.5万人。白い小さい鳥と女の子(女性)が主人公のシンプルなアニメーションが投稿されているチャンネルだ。キャラの紹介は、本家の物を引用する。
チン:白い鳥の