喋りなさいと言われたり、喋らないでと言われたりする人生。

 大学生になって、ご飯は一人で食べるのが当たり前になった。そんな中で初めて学食に行った日に、世の中どうなるかわかんないもんだなと思った話。


 慣れないキャンパスライフにへとへとになって、弁当を作る苦労を金で解決しようと開き直った5月のいつか。初めての学食では醤油ラーメンを食べた。疲れた日に暖かいご飯がすぐに食べられるというのは素晴らしいなと思う。

 ピークを避けるために空きコマの時間に行ったので、人はまばらだった。聞こえてくるのは、自分がラーメンをすする音と、遠くから聞こえる談笑と、黙食を促すアナウンスだ。
 「友達とのおしゃべりは控えて」と繰り返す放送は、もともと一人の私には特になんの意識を与えるわけでもなかった。
 しかし、そんな時にふと幼少期を思い出した。

 小中9年間、基本的に給食の時間が苦手だった。あの、たいして仲がいいわけでもないクラスメイトと机をくっつけてご飯を食べるのがすごく気疲れしたから。周りの会話が盛り上がったりすると、さらにいたたまれなくなる。

 小学校の頃は、本を読んでやり過ごしていた。給食RTAである。さっさと食べ終わって、ひたすら本を読む。お喋りよりも本の方が、あの頃の私には何倍も易しかったし面白かった。
 正確な年は覚えてないけど、高学年になった頃、担任の先生に「ごはんの時くらい本を読まずにお友達と喋りなさい」と、半ば呆れのような注意をされてから本を開く頻度は減った。でも、突然会話に混じれるようになるわけもなく、とにかくボーッとしていたような気がする。
 私は休み時間も授業中も、暇さえあれば本ばかり読んでいて友達も少なかったので、先生が残酷なことを言ったとは思わない。ただ、小学生の私は、クラスメイトを全員「おともだち」と呼ぶような先生が嫌いだった、心の閉じたこどもだったのだ。

 中学生になる頃には、ある程度社交性が身について、相変わらず向かいにも横にもひとがいる給食は憂鬱だったけど、どうにかやり過ごせるくらいにはなっていた。
 すでにバカ真面目の優等生だったからだろう、中3の頃担任にこんなお願いをされた。

「給食の時、隣の席の〇〇に毎日話しかけてあげて」

 その時私の隣だったのはいわゆるヤンキーの女の子で、学校には来たりこなかったりだった。
 正直めちゃくちゃいやだった。いやというか、困惑。話したことないし、ちょっと怖いし、普通のクラスメイトとも心底神経使わないと会話できないのに?
 でも、バカ真面目優等生が「先生のお願い」を断れるはずもなく、その日から彼女が学校に来ている日は、朝から給食時間のことで頭がいっぱいになった。

 その日から、きている日は一応毎日話しかけるようになった。どんな内容だったか、今では思い出せない。ただ、意外にもきちんと会話してくれたことは覚えている。無愛想にみえたのは人見知りだったからのようで、照れたような笑顔が可愛い子だった。勝手に怖がっていたのが申し訳ないな、と思ったりする。
 唯一覚えているやりとりは、たぶん最初に話しかけた時のもの。デザートにカットパイナップルが出た日に「パイナップルすき?」と尋ねたのだ。
 めちゃくちゃキョトンとされた。そりゃそう。隣の地味なメガネが突然パインすき?とか聞いてきたのだ。今思えば、食い意地張ってるのかと勘違いされていたかもしれない。「普通」みたいな当たり障りのない答えが返ってきた気がする。
 それ以外は、全然覚えていない。

 仲良くなれたとは微塵も思わない。彼女からすればものすごくウザかったかもしれない。ただ、この歳になっても覚えているということは、なんとなく私の中で残しておく必要のある思い出なのだろう、とも思う。


 そんなふうに育てられたわたしも、いまは「しゃべらずにご飯を食べて」と要求される時代に生きている。
 もちろん、あの頃言われていた「喋って」という注意といま言われる「しゃべらないで」という注意は、質も目的も違うから簡単に並列してはいけないんだろう。
 ただ目の前にある事実として、こんな数年で真逆のことをいわれるのは面白いなと思う、それだけ。人間の社会は人間がつくっているのだなぁと、つくづく思う今日この頃だ。

 はやくみんながお喋りしたり笑ったりしてごはんをたべるのが許されるようになるといいな。
 個人的には本を読むのも許してほしい、と未だに思うけどね。