最近のこと、あるいは日記。

 今回は、初めて日記を書こうと思う。といっても、主にここ一週間考えたことをランダムに書くというだけ。

 まずはじめに、最近「あるいは」というフレーズにハマっている。なんとなくで書いても許される幅のある言葉な気がして使い勝手が良い。ちなみに、関係ない言葉を「あるいは」でつなげると、おしゃれなエッセイのタイトルみたいになる。

「パンケーキ、あるいは夏の太陽」「花束、あるいは失恋した日の天気のようなもの」

 どう?エモくない?私は好き。それだけ。

 最近、生理前なのかはたまた単純に心の不調なのか、情緒不安定な日々が続いている。そういう時は、古今東西関わる人すべてが私のことを嫌っていて、私のダメなところが実は全部白日の下に晒されているんじゃないかという気がする。そのせいで、双方向型のコミュニケーションつまりLINEとかがとてもしんどい。Twitterは、原理的には双方向じゃないけど個人的に文字媒体は攻撃力が高いのでよりしんどい。でも私19年目のベテランともなってくるとそういうときのある種楽しみ方というのもわかってきて、双方向が厳しい時は自分と向き合うタイプの、つまりnoteの筆が進むのだ。人と関わるのがしんどくなったら自分の内面とじっくり向き合う時間だとすり替えて考えるようになってから、いくぶんか精神衛生が向上したように思う。

 ただし、ネガティブな時に思いついて書くことと言えば基本ネガティブなことなので、その期間を通り過ぎてしまうとやや質量がありすぎて公開しないということも多々ある。いま、下書きは12記事分溜まっているらしい。


 考えていたことはたくさんあったような気がするのに、いざ書いてみると七百字足らずで終わってしまった。こういうことが、最近とても多い。私は元来、本当にいろいろなことをせわしなく頭の中で考えるタイプの人間だ。でも、落ち着きがないから、せっかく時間をかけて考えたこともアウトプットする前にほかの考え事に埋もれて思い出せないということがしばしばある。なにか自分としてはしっくりくる一連の主張を組み立てたはずが、材料だけが散らばっていてもう同じものが作れない。あるいは、なかなかいいフレーズだなと思った文章が思い出せない。そういうことが、一人で暮らし始めてから増えた。人間が必然的にこうなるものなのか、私のかわいらしい欠陥の一つなのかは知る由がない。

 書いていて思い出したけれど、今日の心理学の授業でフロイトの連想法というのを習った。頭に思いついたことをどんどん言葉にして、無意識の中にある自分に影響を与えている出来事や感情を言語化する、という方法らしい。なんとなくだけど、おそらく私がやっていたのはこれなのかなぁと思ったりした。何か嫌なことがあったときその出来事を早く忘れてしまおうと記憶にふたをするけれど、心の中には「嫌な気持ち」だけが残って、何かわからないけど気持ち悪いという奇妙な状態になることがままある。そういう時は、一つ一つ心の中にある抽象を言語化して、「あぁ今日はこういうことがあって、私はそれで傷ついてたんだ」と思い出したりする。原因があるほうが、ただ辛いよりいくぶんかましなのだ。

 そんなこんなで、頭の中に飽和した言葉のほんの一部を電子のデータにしながら、今日も何とか生き延びている。