人生で言われた忘れられない言葉


 今まで生きてきた中で、忘れられない言葉が二つある。言った本人たちはたぶん全然意識してなかっただろうし、深い話をしていたとかいう文脈もない。そんな本当に何気ない会話の中の言葉。

 一つ目は、中学のどちゃくそヤンキーの女の子から言われた「あんたの優しさは本物って感じだね」という言葉。
 確か中学2年のとき、席替えをしてその子と前後の並びになった。あんまり学校に来ない子だったけど、たまに登校した時は授業に出ていてわたしの後ろに座っていた。プリントを回すときに振り向くと、死ぬほどつまらなさそうな顔をしていたのを覚えている。手渡したプリントをソッコー紙飛行機に折ったりしていた。自分の手の甲にシャーペンを何度も突き刺す簡易タトゥーでハートを彫ったりもしていた。でも、話してみると気さくな子でわたしのような陰鬱な人間ともそれなりに会話してくれた。いま思えば、彼女なりに気を遣ってくれていたのかもしれない。
 あんまり学校に来ない彼女は勉強がそれなりに遅れていた。わたしは先生に命じられて遅れている分の勉強を彼女に教えたりしていた。特に数学。今思うと、Xとか代入とか数学の基礎が出てくるあたりをいち生徒に任せるなんてって感じだけど、当時のわたしは暇でぼーっとするよりマシでいいやくらいに思っていた。
 その子は地頭が良いらしく、単元の最初から解説しはじめて、あっという間に授業でやっているところまで追いついたりしていた。下手したら毎日普通に授業に出ている勉強が苦手な人よりも断然テストができるくらいの理解度まで持っていけた時は、わたしも達成感があったものだ。
 ある日、数学の授業が終わり彼女との会話も切り上がるかというとき、彼女は笑いながらわたしが今でも忘れられないあの言葉をかけてくれた。「あんたの優しさは本物って感じだね」と言った後、「なんていうか、偽物じゃないって感じがする」と、命題でいうところの逆みたいなことを言っていた。追加の情報が何も無かった。それで、会話は終わりだった。
 なぜこの言葉が忘れられないのか。一つは、純粋に嬉しかったから。先生に言われているから教えているけど彼女にとってはうざったいのではないかと怯えていたので、「優しさ」と受け取られていたことがわかり安心できた。
 もう一つの理由は、たぶん罪悪感。当時わたしが彼女に勉強を教えていたのは彼女がいうような「本物の優しさ」なんかじゃ全然なくて、先生に言われたからとか、教えるのが好きだからとか、ヤンキーと普通に会話できるってなんかかっこいいな、とか、そういう不純な理由がたくさん混ざっていた。それをくったくない笑顔で「本物の優しさ」なんて、普段使わないような語彙で言われてしまって、なんだかすごく自分が恥ずかしくなった。
 今、「他者に優しくあろう」という気持ちが人生の第一目標くらい大きいのはこの出来事が大きく影響している気がする。誰かに感謝してもらっても恥ずかしくないような、そんな内面で生きていく人間でいたいと思うようになった。
 今でも結構な頻度で思い出すことなので、一度文字に起こしておこうと思いたち書くに至りました。

 ちなみに忘れられない言葉二つ目は、大学入学記念で父親に言われた「お前を自分の子供だと思ったことは一度もない」です!

以上。