”意識高い系”女子に転生した話
朝目覚めると意識高い系女子に生まれ変わっていた。
なんてはずは勿論ない。ないけれど、多分周りの人にはそう思われている。
海外留学で友人を作ったら、日本の異邦人になってしまった話である。
異国の地で変な奴らと出会う
私の意識が元々高かったのかどうか、客観的な気持ちで測るのはなかなか難しい。そもそも意識が高いってなんだ。意識に高いも低いもあるのか。とはいえ私自身、自称意識普通系女子だった留学前は、就活のスタートが早い人とか学生で起業しようとしてる人なんかを括ってなんとなく「自分はあんな風に意識高くはないな」と思っていた。あとは環境問題を声高に叫んでいる人たちのことも、自分とは関係ないかもと距離感を持って眺めていた。
さて、大学3年の夏に東欧ブルガリアに降り立った私。
類が友を呼んだのか、友になってから類になったのか。おそらく前者だと思う出会いを果たした。ドイツ人とポーランド人の盟(迷?)友だ。
出会い方は本当に偶然そのものだったが(オリエンテーションで席が空いてなくて窓枠に座ってたもの同士とか、ともにロシア語の教授を探しててとか)、そもそも3人とも現地語の中級クラスを受講したがっていた時点でツッコミどころを作ってるし、この2人は留学生のグループにいるよりも気ままにふらふらしているタイプで、その分ローカルなブルガリア人向けのイベントを教えてくれたり、ボランティア活動に誘ってくれたりした。2人のお陰で私の留学生活は随分文化的で社会派に彩られていったのだったーー(完)。
キリが良かったから思わず(完)なんて書いてしまった。ごめんなさい。
2人とはよく公園で飲んだくれたが(ちゃんと合法)、そういう時ヨーロッパで起こっている社会の変化や環境保護の実践、2人からしたら当たり前の話をたくさん聞いた。
そんな2人は「ビーガン」と「ベジタリアン」。
2人に出会うまで、正直ほとんど聞いたことがない概念だった。特に、ビーガンってなんや!?目の前でお肉食べないほうが良いのかなぁとか、このお菓子はセーフだろうかとかいろいろ気になった。
ビーガンになる
でも私の場合、2人と楽しく過ごしたい気持ちが大きかったので、別にお肉食べたければ他で食べればいいだけの話、2人といるときは自分もそういう選択肢のあるレストランに行ったり、一緒にみんなで食べられるごはんを作ったり。だんだん慣れてきて、「あれ?肉食べなくてもいける気がしてきたな」「牛乳買わなくてもいいか」という風に買い物も変わってきて、半年経ったころには同じようにビーガンやってみよ、くらいの気軽さで自分でも新しい食生活をスタートさせた。人間がしっかりしてて、自分の意見を持ってる彼女たちにあこがれていたから、真似したらかっこいいんじゃない?というとっても人間味溢れる理由も頭の大半を占めていた。
とはいえ、ビーガンというライフスタイルと環境問題は、その時全く結びついていなかった。人権問題ばっかり関心もってきたせいで(別に悪いことじゃないのだが)、環境の話の理解は中学生くらいで止まっていた。
”意識高い系”女子の胸の内①
転機はポーランド人の友人が言っていた話だった。
「世界の問題は全部繋がりあっている。戦争とビーガンだって繋がっている。各々の問題は同じ世界全体の構造からきているんだからね」
彼女はこの時とても物憂げだった。(なお普段は背中に羽が生えた森の妖精のような人物であり、もう一人と一緒にアイスクリーム屋の店内でダンスを踊ったりして私たち日本人学生に「彼女らは本当に頭がいいのか」と噂されているいたって普通の変な人である)
彼女はこうも言っていた。
「ビーガンの人たちは悲しい人たちなんだよ。いろんな問題を私たちが抱えてることに気づいてしまって、それに傷ついている人たち」
帰国が迫り、ビーガンを続けるかどうしようか本腰を入れて考え出した私は、この友人にビーガンになった理由を聞いてみた(説明がややこしいとかでこれまではぐらかされていた。今ならめっちゃ気持ちが分かる)。
端的に言えば「いろいろと知ってしまったから」だと彼女は言う。
そのまま調べ続けて、あまりにもショックでしばらく鬱のようになったと話してくれた。
”意識高い系”女子の胸の内②
話を聞いた私は、残留扱いにしていた焼き鳥屋のバイトを辞めること、帰国してもビーガンを続けること、そしてそのためにこの問題についてもっと自分で調べてみようと決めた。
そしたら、出てくる出てくる・・・
エアコンのフィルターを掃除したときのように・・・
私は長期間の鬱にはならなかったけれど(途中で調べるのをやめて身を守ったからだともいえる)、食べる=殺すという行為そのものが嫌になって、野菜すら一瞬受け付けなくなった。命をいただくという利己的な活動は、いったいどこまでが許されるんだろうと。何から?誰から?おそらく、名前を持たない日本の八百万の神のような存在から。
友達がやっているからと気軽に始めてしまったはいいが、ビーガンとはかくも後戻りのできない(戻る人もいる。人それぞれである)道だったのか。知れば知るほど、菜食×温暖化とか、菜食×人権とか、菜食×動物のスラッターとか、なるほどみんな繋がっている(どう繋がっているかは多分ツイッターとか、youtubeで挙げてくれているもののほうが分かり易いと思う)。最近だいぶ知られるようになってきたものでいえば、家畜を大量飼育するために土地を切り開いたり、飼料を育てたりすることで森が減って温暖化が加速していることとか。そのせいで日本は今日も暑いし、豪雨も止まらない。
ショックだったのは色々あるけど、卵を産まないオスのひよこがすべからく生後間もなく”処分”されていることとか。
ビーガンについて調べるうちに、消費の裏側を知りたいと思うようになっていった。
そうなると興味は食以外にも広がる。ファッション産業と水資源の問題、労働力の搾取、化学薬品の問題点、毛皮製品と利権…
他人事じゃなかった。知ったこと全てが、自分が日本という先進国の消費者としてもしかしたら知らないうちに加担しているかもしれない問題。
周りに優しい生き方をしよう。
何になるかよりも、どんな考えを持った大人になるかが大事なんだと思った。
それ以来、異邦人となって、元いたコミュニティとぶつかりながら、広がりに広がって、でも根っこではピエロの風船のように繋がっている問題関心を勉強する日々が続く。
意識の位置が高いと評される異邦人の、日本でのつれづれ日記はまた次回。