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【連載】#4 会社を辞めて旅に出た話(バックパッカー)

サパツアー

2015/9/13
ハノイで泊まっているホステルの受付はベトナムで最も有名な「シンカフェ」という旅行会社のブッキングオフィスを兼ねている。

シンカフェは元は一つだったらしいが、偽シンカフェがたくさん作られて今では5件程のシンカフェが存在するという。

誰もどれが本物なのか分からないし、気にもしていない。

値段や質も違わないようだ。

ハノイからのメインのツアーは二つ、「ハロン湾」と「サパ」だ。

ハロン湾は世界遺産でもあり、海上に見える奇岩の景観が有名。

サパはハノイから北西の山岳地方にある。

サパという街を中心に村が広がっていて、いくつか少数民族(モン族やザオ族)の村が点在している。

観光はするつもりではなかったのだが、少数民族に少し興味があったのと、一泊二日のツアーが安価(ハノイからの移動日・宿泊費・食事が全て込みで50米ドル)であったので、参加することにした。

ハノイを夜10時に出発し、サパに着くのは朝6時頃。

スリーピングバスなので足を伸ばして寝ることが出来る。

サパは標高1600メートルなので、夜と朝は冷え込む。

半袖一枚ではちょっと寒い。

ツアー参加者は9割が欧米系、それ以外はアジア系だが日本人はいない。

バスを降ると民族衣装を着た女性たちとホテルの従業員とで宿泊先の激しい営業が始まる。

私は既にツアーで手配済みなので断って待つ。

↓サパの中心街はこんな感じ

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しかし、ツアーのホストらしい人もいないので不安になる。

他のツアー参加者たちに段取りを知っているか聞くが、彼らも段取りを知らないし、彼らのツアーと私のツアーが同じかどうかも良く分からない。

しばらくすると参加者の名前のリストを持った男が現れて、参加者を確認している。

私の名前があったので車に乗り込み、ホテルに連れて行かれてロビーで待つ。

朝食を済ませると、グループ編成がされてモン族のガイド・子供たちとともに村へのトレッキングが始まった。

私のいたグループはマレーシア人の団体とフランス人カップル、ベルギー人兄弟、韓国人二人組み、イギリス人年配女性一人旅、の12人程であった。

ガイドは全て女性で小さな子供も皆女の子だ。

何故か分からないが男で民族衣装を着ている人はあまりいない。

ガイドは訛りはきついがとても英語が上手なのに驚いた。

もっと驚いたのは10歳くらいの子供たちも英語を上手に話すこと。

欧米からの観光客が毎日来るので自然と覚えるのだという。

月に20日はこのツアーガイドをしているという。

ガイドたちはとても親切で子供たちもとても可愛いらしい。

彼女らと話をしながら山道を歩く。

村まではわりと険しい山道を4時間の道のりで棚田が広がる景色がとても綺麗だった。

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途中で歩くのが遅いマレーシア人達を待つのがいやになったベルギー人兄弟が早い方のグループを作るよう提案し、3人は先に行ってしまった。

私は特に急ぐ理由もないので、遅いほうのグループでゆっくり歩く。

村でお昼ご飯を食べて、ホームステイ先の村まで2時間程歩く。

その日のツアーの終わりになって、ガイドの大人や子供たちが民芸品の営業を始めた。

この営業が物凄くしつこい。

鈴で出来たブレスレットやらポーチやスカーフなどが商品だ。

しかし、ベトナムの物価からするとかなり高い。

手のひら二つ分くらいのポーチが一つで5000円くらいだ。

高すぎて買えないというと値段が下がったり、他の商品を進めてくるが、買うまで止らない。

最終的には子供たちに囲まれて「buy for me」の嵐。

全部そのまま買っていたら一万円くらい平気で吹っ飛ぶので、私のガイドをしてくれた子供らにお礼のつもりで数百円の小物を買った。

この執拗な営業には他の旅行客もうんざりしていた。

こんな営業をするくらいなら、英語も堪能なことだし、安価なベースの料金を上げた方が簡単に利益が上がると思うのだが…

ツアーの主導権を持っているのはハノイの旅行会社で、少数民族の彼女らにはほとんどお金が落ちないということなのだろうか。

ホームステイ先は建物こそ素朴ではあったが、WIFIも飛んでいるし、水洗トイレもあった。

ホストはとても親切で料理(日本とあまり変わらない味付けの料理:豚肉と野菜の炒め物や豆腐など。)もとてもおいしく、米で作ったお酒まで出してくれた。

二日目は二時間ほど歩いて、サパに戻り、午後はサパの街でフリーの時間。

サパの街には地元のマーケットとカフェ・ホテルがいくつかあるがあまり見所はない。

執拗な民営品の営業には疲れたが、とても良いツアーだった。

もっと日数があればバイクを借りて、村を走り回るのも楽しいだろう。

ハノイからラオスへ(ナメオ-ナムソイ ボーダー)

2015/09/18~

ハノイからラオス国境へ向かうルートはいくつかあり、ラオスの有名な観光地であるビエンチャンやルアンパバンまで国際バスも走っている。

しかし、国際バスは30時間程の時間が掛かるし、途中の街や村に宿泊は出来ない。

ハノイから出来るだけ短距離で西へ向かいラオスに入るルートがある。

ただ、これはローカルバスを乗りついで行くため、このルートを行く旅行者はほとんどいない。

私がベトナムに滞在できる日数はまだ7日程は残っているので、ハノイからローカルバスを乗り継いで、ラオスに向かうことにした。

多少時間が掛かっても問題ない。

複数回の乗り換えがあり、バスも一日一本しか通らない村が多い。

ある程度どの村に宿があるかを調べたら早速出発。

ナメオ・ナムソイ ボーダーはハノイから南西に200キロちょっとのところにある。

頑張れば一、二日でいけるルートらしいが、余裕をもって3泊くらいは想定しておく。

ルート
HANOI->MAI CHAU バスで3時間
MAI CHAU->COLUONG バスで30分
COLUONG->CANH NANG バスで一時間半
CANH NANG->DONG TOM バイクタクシーで30分
DONG TOM-QUAN SON バスで一時間
QUAN SON->NA MEO バスで二時間
NA MEO->国境まで歩いて200m

一日目
HANOIからMAI CHAUへ向かう。MAI CHAUは田園風景が人気の観光地でもある。

ハノイのMY DINHバスターミナルからMAI CHAU行きのバスが出ている。

日に2,3本出ているらしいが、私は13時半発を70000ドン(400円程)で乗車。

3時間で到着。

道は舗装されていないので、物凄い振動でお知りが痛くなるのと、クーラーから水がぽたぽたたれてくるのが苦痛。

さらに豪雨による雨漏りもあり、最悪。

17時にMAI CHAUについてホテルを見つけて宿泊。

荷物を持って歩いてるところに声を掛けてきた男はホテルのオーナーらしく、最初は一泊シングルで400000ドン(2000円程)と言ってきたが、値下げし200000ドン(1000円程)で一泊した。

高いが田舎だから仕方がない。

翌日のバスの予定を確認しようとと思っていたところだったが、オーナーの友達がバスを運行しているというので、明日午前11時に受付に来るよう教えてくれた。

順調な滑り出し。

二日目
朝九時、宿のオーナーが部屋に来て、「昨日の豪雨により国境の町NA MEOと一つ手前のQUAN SONの間で土砂崩れがあり、道の修復に3日掛かる」という意味の英文を記載した紙を持って私の部屋にやってきた。

あと二日泊まれと言われる。

なんとついていないことかと落胆したが、途中の街まで行くことは出来るかもしれないと思った。

試しにバス乗り場でQUAN SONまで行くバスはあるか聞くと、あと10分くらいで来るという。

急いで宿に戻って荷造りしてバス乗り場まで走る。

幸いバスはまだ来ていない。というより、それから30分くらい待った。

田舎のバスは各村を通る際に乗務員が走りながら大声で乗りたい人がいるかを叫んで問いかけて、乗りたい人がいれば拾っていくシステムのようだ。

結構なスピードで走りながらくるので、バスを見つけたらすぐに手を上げて発見してもらわないと、日に一本のバスを失うことになる。

バスを待っている間に少し英語を話す男が現れて、ラオス国境付近までのバス乗り継ぎのルートを細かくノートに書いてくれた。

この先でこのノートを誰かに見せれば、案内してもらえるようにベトナム語でも文章を書いてくれた。

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先のルートが不安だっただけにとても有難い。

MAI CHAU からCOLUONGまで30分ほどで到着。

何もない小さな集落だ。

ノートを見せてバス乗り場を聞いて回るが、指を差す方向はみんな同じ。

しかし、バス停はない…。

そして、バス停などはそもそもないことを理解するまでには少々の時間が掛かった。

皆バスの向かう方向を指していたのだった。

民家を見つけてノートを見せる。

民家のおばさんは「バスが来るまでここで待て」というような素振りでお茶を出してくれる。

時計を指して「いつくるか?」と聞いても。

首を傾げて「日に一本しかないからなあ」という素振り。

バスどころか車も一台も通らない。

子供が英語の教科書を持ってきて、年齢はいくつだとか、どこからきたかとか話をしていると、30分くらいしてバスがきた。

満席なのでバックパックは屋根の上に載せて、席を無理やりつめて座る。

もちろん、旅行者などいない。

乗客にじろじろ見られる。

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何か聞かれても分からないので、「ニャパン(日本の意)」と答える。

次の目的地CANH NANGへ向かう。

一時間くらいで着くはずと思っていたが、途中、土砂崩れ後のよりぬかるみでバスが動かなくなる。

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男性人は皆(15人くらい)降りて石ころを道に置いてバスを押す。

苦労の末に30分くらいしてなんとか脱出。

ベトナム人が私に向かって「ワンダフル!」と叫ぶ。

私も笑顔で親指を立てる。

CANH NANGからはバイクタクシーでDONG TOMというジャンクションへいき、QUAN SONいきバスへ乗る予定であったが、バスを降りると既にDONG TOMにいることが分かった。

バスの乗務員が気を利かせてDONG TOMでおろしてくれたのだ。

これもルートを記載したノートのおかげだ。

DONG TOMでQUAN SON行きのバスを探す。

ここにもバス停はない。

17時頃バスが通ることが分かった。

あと一時間半もあった。

ご飯でも食べようかと思っていたところ、フォードの大きなワゴンを発見。

持ち主らしき人が声を掛けてくる。

行き先を聞かれてると思ったので、「QUAN SON」と答える。

男がうなずいて車を指す。乗せていってくれるようだ。

値段を聞くか迷った。

何も聞かなければただで乗せてくれるかもしれないが、後で高額を請求されても困るので、一応値段を聞くと、1000円くらいだという。

500円に値切って乗せてくれることに決定。

QUAN SONまでは一時間くらい。

そろそろ着く頃かと思っていたところで、また土砂崩れ後の道に遭遇。

そこで私が乗ろうとしていたQUAN SON行きバスの先に出ていた便が泥にはまって動けなくなっていた。

既に大分時間がたっているようで中には誰もいない。

バスの横ではショベルカーが道を固めている。

15分程待って固められた道を私の乗ったワゴンが通った。

そこから2kmくらいでQUAN SONに着いた。

QUAN SONはとても小さな集落だがホテルは2,3件あるようだ。

暗くなってきたのでここで一泊することにした。

この村で始まったことではないが、田舎の集落は発電機により電気を賄っているので、昼間は電気がない。

発電機は夕方から夜に掛けての4,5時間しか稼動させないようだ。

夜でも発電機のない家は、ろうそくをつけているのが見える。

発電機のあるのはホテルぐらいなのかもしれない。

そとは真っ暗だが電気が着いている場所があるので、行ってみると飲み物を売っていた。

名前は知らないがサトウキビを削って作る飲み物やジュース・ビールが売っていた。

子供達がたくさんいて、学校で覚えたての英語を使って名前や年齢を聞かれる。

私も知っている限りのベトナム語で答えたり、今まで撮ってきた写真を見せる。

男の子はヨーロッパでプレーしている日本のサッカー選手(香川や長友など)を知っているようだ。

三日目
11時半にQUAN SONを出るバスに乗った。

国境の町であるNA MEOまで2時間。

MAI CHAUのホテルのオーナーが言っていたように土砂崩れの影響を受けた箇所はいくつかあったが、既にある程度は修復されていたので止まることはなかった。

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NAMEOは今までの村よりもさらに小さな小さな集落。

人口は数百人レベルでだろうか。

↓NAMEOの写真

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NA MEOにつくとすぐに「ホテルはこっちだ」という男に案内されてお茶をご馳走になる。

この男が集落にはホテルは一つしかないというので迷わずチェックイン。値段も千円くらいだった。

その後、集落を歩くと別のホテルを見つけた。

他にもホテルあるじゃないか…。

これだから向こうから声を掛けてくる人は信用できない。

これは他の外国人観光客も口をそろえていうことだが、ベトナムの商売人はうそつきとぼったくりが多すぎる。

外国人から出来るだけ多くの金を巻き上げようとしている。

これにはうんざりした。もちろん、とても親切な人たちもたくさんいることは忘れない。

集落は10分くらいで歩くのが終わってしまうほど小さい。

暇なのでホテルの入り口で座っていると、白人男性が歩いてきたので声を掛けた。

今日ラオスから来て明日ハノイに向かうという。

MAI CHAU以降で初めて会った外国人だ。

こんな山奥で旅行者に会うとは思わなかった。

彼は49歳のドイツ人でタイのチェンマイからラオスをバイクで旅行してきたが、バイクでそのままベトナムに入ることは許されず、国境にバイクを置いてベトナムに一週間滞在するらしい。

ラオスのオフィサーとの間で、7日間まであればバイクを国境で保管してくれるという契約を結んだらしい。

バスの乗り換えを上手くしないと一日ではハノイに着けないことを伝えて、私のハノイからここまでのルートを記載したノートを切って彼に上げた。

その後一緒に食事をして、彼の持つラオスの通貨キップと私のベトナムドンを交換した。

彼とはビールを飲みながら3時間くらい話たろうか、とても良い出会いだった。

明日の朝国境を越えてラオスへ行く。

とても辛くて長い道のりだった・・

<次に続く>

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