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川越宗一『熱源』。サハリンは寒くないのか、タイトルのように強い熱気を感じつつ読む

昨年、梯久美子『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(角川書店)を読んだときに(感想はこちら)、川越宗一『熱源』は読んでないのか、ときかれ、ずっと気になっていたのだが、ようやく読めた。本当に面白い本で、426ページもある長い物語だがぐいぐい読み進められた。
近年の直木賞は真藤順丈『宝島』で戦後沖縄史を俯瞰し、大島真寿美『渦』で江戸時代の人形浄瑠璃の世界を眺め、この『熱源』で19-20世紀のアイヌの伝統を垣間見せてくれた。いずれも、大半の読者にとって身近ではない世界に目を開かせてくれたよい本だった。文学賞は社会への窓となる。

アイヌの歴史、という、馴染みのない世界を描いた本なので、もっととっつきにくい、と思ったら、文章は平易で大変読みやすい。
1945年8月16日にサハリンに上陸したソヴィエトの女兵士が、かつて大学で民俗学を学んだ際に聞いた蝋の円筒に録音されたアイヌの物語や琴の音楽について思い出す導入。そこから本編は一気に明治初期の北海道に飛ぶ。主人公ヤヨマネクフと友シシラトカ、千徳太郎治、なかなか名前が覚えられず、何回も登場人物紹介のページを見に戻っていたが、その繰り返しの中で物語がだんだん馴染んでいく。
登場人物紹介は僅か1ページで、15人しか扱われていない。しかしその15人で426ページ、タイムスパン64年の物語が語り尽くされる。小説なのだが、主人公格のヤヨマネクフとブロニスワフ・ピウスツキを始め、大半の登場人物が実在している。日本人の登場人物は金田一京助と白瀬矗。舞台の大半はサハリン(樺太)だが、北海道、ウラジオストックなど関連の深そうな土地だけでなく、ピウスツキの故郷で、当時は国でなくなっていたポーランド、更には南極まで物語は広がる。本を読みながらWikipediaなどをネット検索して、史実の裏付けをとりながら、ヤヨマネクフ、そして流刑囚としてサハリンに来たピウスツキの人生をなぞる。

寒冷地。虐げられた民。自ら「私たちは滅びゆく民と言われることがあります」と語ってしまうこともあるが、描かれている彼らの生活はそんなに暗くも辛そうでもない。理不尽な搾取や、国の都合(日露戦争など)に翻弄される面もあるが、アイヌの伝統を守り、古来の漁を続け、生きている姿に肩ひじ張ったところはない。
ロシア人にだまされて土地を取られてしまったりするのは教育がないからだ、と、学校の設立を働きかける人の動きなども描かれるが、村の頭領が、学校の設立に積極的でなかったりする。
一方で、ロシア皇帝暗殺事件の関係者としてサハリンに送られたブロニスワフ・ピウスツキ、弟ユゼフ・ピウスツキも連座でシベリアに送られたが、先に赦免され、ポーランドに戻り、国の独立のための社会運動に身を投じていく。刑期が長く、赦免後も流刑地に居留することが求められるブロニスワフ・ピウスツキは、二ヴフ(ギリヤーク)の若者と知り合ったことをきっかけに民俗学を研究する道を歩むことになり、アイヌの村落にも足しげく通うようになり、そこで妻を娶る(結果的にアイヌの妻が産んだ子どもの子孫が現在も日本にいるらしい)。
ピウスツキは弟が目指すポーランド独立に手を貸すためにサハリンを去り、日本で大隈重信と会ったりしている。日露戦争でロシアに勝利した(少なくとも負けなかった)日本は、弱肉強食(ひいては白人至上主義)の摂理の中で戦ったのだ、と大隈は言い、ピウスツキにあなたたちはどうする、と問う。ピウスツキは、「私は、その摂理と戦います(p.327)」と言う。スタンスの違いが印象的なシーン。
そして、7年後、南極から帰ったヤヨマネクフもまた大隈と会う。「滅びると言われたけれど、そんな気はしない」と言うヤヨマネクフにも、大隈は日本人は弱肉強食の摂理と戦ってきたのだが、お前たちはどうするのだ、と問う。ヤヨマネクフの答えは「俺たちはどんな世界でも、適応して生きていく。俺たちはアイヌですから」(p.375)というものだった。ここで、作者の主張は大きな円を描き切った感じがした。
ヤヨマネクフの物語はここで一点に集中し、明るい空気を漂わせて終わる。
それに対し、摂理と戦ったピウスツキの人生は、ある意味志半ばで閉ざされてしまった感じではあるが、ポーランドは弟ユゼフ・ピウスツキ等の力で独立を果たす。運命に絶望して消えて行った人はいない、という基調が貫かれる。

だからこそ、この物語は北の大地の物語なのに寒々しくない。登場人物たちは熱気をまとい、燃えるような気持を抱いて生きている。
終章でふたたび1945年8月のサハリンが描かれ、そこにはアイヌでも二ヴフでもない、オロッコ(ウィルタ)の若者も出てくる。最後の最後でまた新しい世界が! 序章の録音されたアイヌの記録も終章できちんと落とし前がつけられ、当事者は「あたしたちは滅びない。生きようと思う限り、滅びないんだ」(p.422)と言う。20年以上前に亡くなったヤヨマネクフの気持ちはちゃんと生きている。

摂理の中で闘争するのとも、摂理に戦いを挑むのとも違う、そんな生き方が、今もきっとある、と希望を持って本を閉じる。


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