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サハリン島-チェーホフ、宮沢賢治、林芙美子、村上春樹、そして梯久美子『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(角川書店)

ノンフィクション作家梯久美子が「本の旅人」と「小説 野生時代」で連載していた「サガレン紀行」を単行本化した『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』を読んだ。
子どもの頃、地図帳を開くと、日本のちょっと上に細長くてかなり大きい、何もなさそうな島が浮かんでいた。樺太(カラフト)と書いてあった。そこはソ連(当時)の一部らしい(厳密にはちょっと違うらしいことを、この本を読んで知った)。ロシア語だとサハリンというらしい。日露戦争後、南樺太を日本が領有していたが、第2次世界大戦敗戦で、そこはソビエトのものとなった。それ以上の知識は、全く増えることなく、学校教育を終えた。
ソビエトがペレストロイカの波に洗われ、極東の軍事拠点として外国人の立ち入りが厳しく制限されていたサハリンが開港し、北海道との定期船が通うようになったのが1991年、その直後にサハリンを訪れ、列車搭乗記を書いたのが宮脇俊三。サハリンを走る鉄道はかつて日本人が敷設した狭軌(1069mm)のレールで、梯久美子がサハリンを訪れた2010年代後半にようやく、ロシア基準の広軌(1520mm)の線へのに架け替えが終わろうとしていた。村上春樹が「東京するめクラブ」の企画でサハリンを訪れたのが2003年。村上春樹、吉本由美、都築郷一『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(文藝春秋 2004年刊行)の中に、「ああ、サハリンの灯は遠く」の章があり、一般的な観光旅行の感覚ではサハリンには行けないらしい、と知ってからもう16年もたつのか、その間、サハリンについての知識は何も増えてなかった。いや、チェーホフの『サハリン島』は読んだよ(ちくま文庫のチェーホフ全集、松下裕訳)、面白かった、というかすごかったよ。チェーホフは村上春樹『1Q84』の中でも引用されるのだが、読むきっかけになったのはどちらの本だっただろう。アンリ・トロワイヤ『チェーホフ伝』(村上香住子訳、中公文庫)も途中まで読んだ記憶が。何が当時の自分を駆り立てていたのか、というか、チェーホフをサハリンに行こうと決意させた動機の方が不思議だ。まだシベリア鉄道もなく、橇で極東に向かったチェーホフ、流刑者の島だったサハリンに、1890年の夏、3ヶ月にわたって滞在し、流刑囚たち(政治犯と接することは禁じられたので主に刑事犯たち)に聞き取り調査をしたチェーホフ。
と、脱線してしまったが、そうやって読んだ本のことをすっかり忘れていて、今、梯久美子の本を読んで、色々なことを思い出した。かつて、『狂うひと 『死の棘』の妻・島尾ミホ』(新潮社)を読んですごく感銘を受けた梯久美子の、これは、もっと紀行とかエッセイに近い本で、作者の嗜好とか生活態度とかが身近に感じられ、サハリンでの鉄道の旅や、取材活動の中で、まずは1934年の林芙美子の樺太旅行、次いで、1923年の宮沢賢治のカラフト旅行が描かれる。あわせて、かつて樺太で暮らしていた児童文学作家神沢利子の『流れのほとり』という本に描かれた樺太、そして北原白秋の『フレップ・トリップ』の一節なども引用される。サハリンの光景は、北海道ととても似ているらしい(稚内から宗谷海峡を渡って50㎞もないところにコルサコフ(日本名大泊)という港がある。そこから北へ向かう鉄道。
林芙美子の好奇心の在り方みたいな部分も面白かった。南樺太とソビエト領だった北緯50度線以北との国境に興味を持ちながら、結局行かずじまいだった林芙美子の気持ちを憶測する作者。自分は八十年以上たって、寝台特急でかつての国境線を越える。当時から日本領でなかった、ノグリキにある、日本の設営した石油タンクを見る。色々なところに残る日本。ホルムスク(真岡)にある王子製紙の工場、鉄道、1945年に日本人が出て行ったあとも使われ続けたものたち。
色々なことが興味深かったが、やはりこの本の圧巻は、宮沢賢治。「永訣の朝」で有名な、妹トシ子の死を気持ちが受け入れられないまま、鉄道で花巻から青森、青函連絡船で函館に渡り、稚内まで列車で行って、また宗谷海峡を連絡船で渡り、当時鉄道が開通していた栄浜(スタロドゥプスコエ)までの道行きの中で読まれた詩の中に描かれる慟哭、そして、『銀河鉄道の夜』創作のヒントや手がかりを探していく。宮沢賢治の独特の語感を引用された詩や小説の中で堪能し、絶望に満ちた気持ちで花巻を発った賢治の中で気持ちがどう変容していったかを読み解く。旅そのものは、教鞭をとっていた花巻農学校の生徒たちの就職を頼みに行く、という目的のものだったが、往復2週間弱の鉄道と船の旅の中で賢治はひたすらに思索にふけり、詩をものしていく。
村上春樹は『地球のはぐれ方』の中で「サハリンという島は、僕らが普段頭で考えているより、ずっと僕らの身近にあるのだ、というか、身近にあるべき場所なのだ」(p.268 「身近にあるべき場所」には強調の点が打ってある)と言っている。かつて40万人近い日本人が住み、帰国した後は45年以上訪れることも出来なかった場所だが、北海道の眼の前にある場所。外国でありながら、見たことあるような風景の広がる場所。
1冊の本から色々な手掛かりが見えて、サハリンについて思いを馳せる経験を出来た。本当に面白かった。

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