石巻魚市場の、かつて魚だったもののにおい。(前篇)
23:00
バスを待っている。
スターバックスが閉店時間になったので追い出されてしまった。サザンテラスのビルのしたにはカップルが座り込んでいる。そのなかで、僕も一人、風にあたっている。涼しくなった。風邪をひくほどでもないが、心地よい風があたっている。こんな時間に、一人で、都会の中心にいる。なにかを待っていると、なにかをせずにはいられない。計画、を考える。これからのこと。それはバスに乗ってからのことでもあるが、もっとさきのこと。
この旅を決心するのはかなりの時間を要した。
Twitterのタイムラインを見ていて、ある日、「吉増剛造」の名が流れてきた。それも「詩人の家」という企画で、客人を迎えるというものだった。サイトを調べてみると、吉増さんの例の「裸のメモ」のような原稿が載っており、前口上が読み上げられる。二カ月間、吉増さんは宮城県の鮎川に居を構えるようだった。そして、客はその詩人の生活の一端に触れることができる。僕にとっては、それだけで魅力的なことだった。しかし、調べれば調べるほど車のない(ペーパードライバー)男にはかなり厳しい場所だった。石巻から車で1時間強。バスは朝と晩にしかない。鮎川についてからも、見られるスポットはほとんど車で移動しなければならない。それも、被災地であるからして、復興中とはいえ諸々整っているとも思えない。と、そんな地理的条件を含めてほとんど諦めていた。いや、本当のところ、吉増さんに会って、どんな話をしたらいいのか、緊張しいの自分にはすごく恐ろしかったのだ。
しかし、8月も終わりに近づき、9月は仕事で忙しくなるので徐々に決断しなければならない時期が近づいてきた。行くべきか、見なかったことにするべきか。こんな機会がほかにあるだろうか。いまいちばん尊敬している詩人に会って話す機会が持てる。そんなこと、あるだろうか。それに、自分自身、なにか行き詰まっていた。どこへも行けなくなっていた。簡単な言葉で言えば「刺激」が必要だった。
電話をかけた。
「〇〇日にお願いします。」
「わかりました。」
数分後、電話がかかってきた。
「やはり、〇〇日は都合がつかないので〇△日では?」
瞬時に縁がなかった…?その日仕事どうしようやらいろいろなことを計算して「お願いします」と言った。
それから、夜行バスを予約した。
バスタ新宿から石巻駅まで3000円だった。
帰りの新幹線を予約した。
仙台駅から東京まで12000円くらいだった。
準備をした。持っていく本など。段取り。どこにいくべきか。夜行バス安眠グッズ。
前日。そういえば、宮城には大学時代の友人(後輩)が住んでいるのだった。
連絡をとってみると、「リボーンアートフェスティバルですか?あの鹿が見られるやつですか?」と聞かれ、そうだと答えるとちょうど行きたかったのだそうだ。それから、鮎川までも送ってくれるという。なんという幸い。さすがに被災地を車もなしに一人でまわるのはかなり心細かったので、かなりの安心感がこのときに得られた。
翌日、6:00
石巻に着く。
夜はあまり眠れなかった。眠ってはいたのだろうが、ずっと目覚めていたような気もする。となりに座ったおじさんは途中に気分が悪くなったらしく、運転手にサービスエリアによってくれと頼んでいたが、そのあとどうだったのかよくわからない。とにかく眠かったのでアイマスクをして眠ってしまった。
すこしふらつく。
駅がどこだかわからない。
静まり返っていた。石巻で降りた客たちは散り散りにスーツケースを引きずってどこかへ行ってしまった。
なんとか駅に着くと、駅舎にサイボーグ009のジェットが飛んでいた。そうか、石ノ森章太郎は石巻出身だったか、ということを了解した。街のいたるところに石ノ森キャラクターの像が立っている。
しかし、それにしても、どこもあいていない。
ファミレスの一軒くらいは……とも思っていたが、コンビニすらあいていない。
トイレに行きたいと思うも、見当たらない。
駅に待合室のようなものも、と思ったが改札内にしかないようだ。
Googleで「石巻 朝」と検索した。
我ながら困っているんだなと思った。
すると石巻魚市場があり、そこの近くの「斎太郎食堂」というところが6:30からあいているようだった。それも、とれたての魚が食べられるようだった。これは天の恵みだと思った。すかさずGoogleマップで経路を検索。徒歩40分。……。
時間はたっぷりある。
友人との待ち合わせは10時。
歩きはじめた。街中のサイボーグ009や仮面ライダーをカメラにおさめていく。
20分くらい歩いたところでセブンイレブンを見つける。6:50。やっている。
やっとトイレにいける。トイレから出ると、作業着を着たおじさんたちが何人か待っていた。
石巻はどこもかしこも工事をしている。復興の工事だ。そのための作業員がここをオアシスとしてやってくるのだろう。現に、となりに教会「オアシス」というところがあった。
7:00
ふたたび歩きはじめる。
工場が増え始めた。魚の加工工場だ。すさまじい臭いがする。魚の腐った臭い。
このあたりは津波でほとんど流されてしまったのだと思うと、いまこうして何事もなかったようにしているのが不思議だった。途中の幼稚園施設はぼろぼろになっていた。いたるところでインフラ工事をしているので何事もないわけではないのだが、こうして立ち直ることができるのか、と思いをはせた。
7:20
斎太郎食堂に着く。本当にこんな朝からやっていた。
どうやらこの食堂は復興後もプレハブ小屋でやっていたらしい。
海鮮丼(1800円)を注文する。他にもたくさんのメニューがある。
地元の人たちはやきそば、ジャージャー麺、カツ丼など、いろんなものを食べていた。
しばらく待つと大きな丼がでてきた。
朝からこんなに食べられるのかと思ったが、おいしくてすぐに食べてしまった。
8:00
食べ終わると眠くなってきた。寝不足だ。このあと、持つのだろうかと思いながら店をでた。
石ノ森章太郎の「石ノ森萬画館」は9時からあいているようなので、歩いていけばちょうどいいと思って、また歩き出した。
元来た道をいくのも芸がないと思い、自分なりのルートで歩いてみたら、行きよりも倍くらい時間がかかった。
方角はわかっていても、工事をしていて迂回に迂回を重ねて、行きたい方向に進むことができない。
そもそも、歩いている人は僕くらいしかいない。
工事の人が作業着を来てそこかしこにいるが、こんな麻ジャケットに麻パンツに麻ストールをしているようなトラベラースタイルで歩いている男はここでは異様だ。
歩く、ということはそもそも異様なことなのかもしれない。
それなりの距離を移動しようとしたら、自転車や車、電車に乗るもので、歩くということはそうとらない手段だ。あるいは、ランニングをするということはあるかもしれない。そのへんをうろうろと人が歩いている、ということは異様な風景なのかもしれない。
とはいえ、これまで僕は立原道造や堀辰雄といった近代詩人などを追いかけてきた。軽井沢などの信州を好んだものたち。立原は盛岡から長崎まで旅をしている。おそらく車に乗ることもあったろうが、ほとんど徒歩だったのではと思っている。だから、それと同じようなことをしてみたいと思ってこの夏もなるべく歩いて旅をしている。
そういう、歩くということもよく考えてみなければならないのだろう。
(つづく)
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