見出し画像

生が死を受け入れたとき、生は生を受け入れる

Wann das Leben akzept den Tod, das Leben akzept das Leben.
あってるかはわからないドイツ語。

買おうか悩んで買ってなかった本、きっかけをもらって買ったらすぐ読めたし書きたいことが溢れ出してきた。

Kindle↑紙↓

旅と生死と狩猟とお金、ってkuripかよ。って思ったけど、全体的に生き方を肯定されてる気がしてよかった。
肯定してくれるものにだけ触れるのもどうなの、とは思うけど今はまだそれでいいじゃんとも。



わたしは「死」というものをわりと長い間、本気で考えて目の当たりにしたつもり。
まだまだ弱いしどんどんアップデートしなくちゃいけないけど、生死についてはそこそこ考えてきた。

「これはほんとうに死ぬやつだ」と感じたり、「わたしはあの人のことをほんとうに殺すんじゃないか」と夜も眠れなくなるほど苦しい人間関係があったりと、「死」を本気で考えたからこそ、今は「生」を考えなくちゃいけないタームで、そんなときにこの本を読めてよかったんじゃないかなあ、と思う。


ライスワークとライスワーク、と表現されていたような、表面的な、生活のあり方みたいな、見える部分の生き方については、今のままでとりあえずは悪くないんじゃないかなと。

わたしのライスワークは、日本でもこっちでも同じで、子どもと関わること。
それを選んだのは単に楽しいからっていうのもあるけど、希望というか夢というか、そういうもののためでもあるし、言い方は悪いけど親になる(予定はない)練習にもなってるから、及第点だと思う。
ただ効率は悪いからそこはどうにかしたい。

ライフワークはいろいろあって、多趣味ななかのいくつかもそうだけど、まあいちばんはたぶん書くこと。
書いてアウトプットして自分を整えて加筆修正して読んでもらって承認欲求も満たせて、そうすることで生きてる実感ももてるし、その先の「希望」とか「夢」とかにも繋がるし、これをなくしたらわたしはまたよくない方向に行ってしまうんだろうなと思う。
だからこそ、めんどくさいなと思ってしまうことがあったとしても、書き続けた方がわたしはいいんだろうな、と思う。
なので時には「書け!」と叱ってください。


生きる意味と価値について、わたしは意味のほうはまあわからないでもない。
人生から問われたことに自分なりにこたえていく、ただそれだけだけど、意味なんてそんなもんだよね、とか。これは完全にフランクルの考えそのまんま。

だけど価値はあまりわからない。
人生の価値なんて自分しか決められないし、結局人は死ぬし、なにかを残すって言ってもたかが知れてるというか、残せるかなんてわからないし、残してもどう扱われるかなんてわからないし、死んだらこの世界のことなんてわからないし。
生きてるうちに評価されたとしても、他人の評価が自分の価値につながるかって言われたらそうでもないし。
ただ、生きてるうちじゃないとできないことがあるというか、死んだら何もできないのはその通りだから、生きる価値っていうのは「好きなことをできる」まあそれだけかな、とか。

なんにせよ、期待しすぎちゃいけないなって思う。


子育ての一番の使命は死なせずに生かすこと、って書いてあった。
わたしは今までに何度も死んでてもおかしくなかったけど、いま生きてるのは単にそれなりにお金をかけられたからだと思っていて、だからこそお金がないと死ぬ確率も上がるんだろうなとは思う。
(極端になかったらただただグレてたかもしれないし中途半端にかけると余計にしんどいとも思うけど)

お金は大事なんだな、と、この年になってようやっとなんとなく気がついて、ぜんぜん稼ぐことになんて興味をもたずにきたことをちょっと後悔したりもしてるけど、お金を稼ぐなんて、稼ぐのが好きな人に任せておけばいい気もする。
きっとまだもう少しの間は「稼ぐのが生きがいで稼ぐことしかしてこなかったから使い方がわからない」って人がそこそこいるんだろうから。
そういう人のお金をもらえばいいっていうんじゃなくて、いやとどのつまりそうなのかもしれないけど、ていうかわたしは安定して働くとかそういうの向いてないから……うーん。
とにかくいい子にしとこうって思いました!


子どもをもつ、育てる、に関してはやっぱりまだまだこわい。
結婚は両者のコンセンサスとれてるからするんであって、どちらかがどちらかを批判したり「騙された!」って言ったりするのは、ほんとうに悪意がある場合を除いて、なんだかおかしいなって思う。

ただ、子どもはただの卵子と精子だったわけで、精子が「人間としてここの親のもとに産まれて〇〇して遊んで将来は△△になって◇◇って感じに生きるぞ〜」とか考えて産まれてくるわけじゃきっとないし、完全にエゴとか見栄とかハプニングでできるものだし、
となるとまだまだ責任なんて持てない。

こんな自分のまま親になってしまったら、わたしの両親みたいに「こどもの日はこどもが親に産んでくれてありがとうございますって感謝する日だ」「あんたが産まれてきたがってたから産まれたんだ」なんて言いかねない。
男女問わず、生殖機能が働かなくなる少し前になると猛烈に自分の子がほしくなるらしいけど、なんかそれもこわいよなあ。

予定もないのに毎日こんな恐怖に怯えてるの、ちょっとおかしい気もするけど、とつぜん玉山鉄二の子どもを身籠もる可能性がなくならない限りは日々真剣に考え続けます。


今のわたしは「あのとき死ななくてよかったかもしれない」くらいに考えてるけど裏を返せば「まあ死んでもよかったし死ねてたら楽だった」とも思うわけで、「絶対に死ねない!」とかそういうのはまだまだぜんぜんなくて、そもそもその「あのとき」が多すぎてなんで死ななかったのか不思議だし、ただまあそれでもいま生きてるっていうのは諦めの悪さゆえなのかな、と思うとわたしにも生きる意志があるのかなあなんて。

結局死にたいっていうのは生きたいように生きられないってだけのことだから。
死ななきゃっていうのはまたすこし違うけどそれでも概ね一緒だと思ってる。

好きなときに好きな人たちと好きなことを好きなだけする
、ってもう19歳のときに決めてたはずなのに定期的に忘れたり、やっぱりはみ出すのがこわくなって社会に迎合しようとしすぎたり、好きなことがわからなくなったり、そんなふうにたくさん寄り道したけど、結局もとの道に戻ってきてるところを見ると、わたしって天才じゃない?!人生の達人では?!?!なんて思ったり思わなかったり。


わたしは年齢的になのか、親目線と子ども目線、わりといつも両方考えちゃうんだけど、この本を読んで、

親目線では、
「『新しいことを知れて幸せ、成長を目にできて幸せ』ってあるけど、もっと知れたかもしれないって悔しさは?わたしなら、現状が幸せであればあるほど、早死は悔しいんじゃないか」
と思った。

だけど、いつまでも生きられるわけじゃないとか、生は有限とか、いつかは死ぬからいつまでも知り続けられるわけではないとか、だからいま知れることを味わうとか。
当たり前のそれらがやっと腹落ちした気がする。

子ども目線では、
よくしてもらってるお姉さんの言っていた
「親は先に死ぬよ」をきちんと分解できた気がする。

よくもわるくも、たいてい、親は子より先に死ぬ
死んだあとは、生きる理由も死ぬ理由も親にできなくなる。しづらくなる。
生きる糧(お金とか)ももちろん。
要するに、頼れなくなる。

当たり前だけど、死んだら頼れないのだ。よっぽどすんごい家柄で人脈とかしがらみとか、なんかそういうめんどくさくてすごーいものがあるわけでもないなら、余計に。

その練習を、生きてるうちからしなければいけな…い……!?!?
自立か。自立なのか。経済的にも精神的にも!!?自立なの!!か!!!!!

無理です

って思いました。


自分がほしかった大人、わたしもそうなりたいけど、それはわたしの時代の、わたしのほしかった大人で、次の世代が求める大人ではないかもしれない。みたいなことは最後の方にも書いてあったけど、ほんとうにそう思う。

きっといまハラスメントだなんだって言われてる上の世代は「勉強!労働!我慢!高い給料!」みたいなのが正義だと思ったからこそ次の世代に押しつけたりとか、そういうのがきっとあったんだろうし、まあ要するに押しつけはよくないよねって話かなあ。

自分がいいと思っても人はそうじゃないかもしれないし、けど自分はいいと思うわけだからそうしたくなるのは仕方ないし、「自分はこうだけど」っていうスタンスというか立ち位置みたいなのをきちんと把握しておけばそれでいいのかな、なんて。つまり伝え方の問題?

母親がわたしに「結婚できないよ」って言ってたのも同じだね。
結婚だけが女の幸せみたいに言うけど、あなた結婚して幸せなの?掃除機とか椅子とか投げられても?鼻の骨を折られても?
自分が守ってきたルールと価値観で生きてきて、あなた幸せになってるの?

バカバカしいけどそういうことなのでわたしはもうちょっとのんびりフラフラしたいです。


子どもにとっての灯台になりたい、って書いてあった。いいな。
灯台っていうのは、ぼぉっと灯ってるからいいのもそうだけど、動かずずっと同じところにあるからその価値があるんだと思うんだよね。
そこを目印に、自分がどう進んできたのか、これから目的地へ向かうにはどちらに舵を切ればいいのか。
星とおなじで、それらを判断するとてもいい材料になるから。

ただ、過去のことじゃないと、今あるものだと結局移動するから、死なないと灯台になれない気がする。って思ったけどこの著者はもう遠くない将来、死ぬのか。
なんだか忘れてしまっていた。


ひとつだけわからなかった箇所として、
「若いうちの苦労は買ってでもしろ、なんてウソ」
みたいなところ。

「100万円あげたら、あとは何があっても口も手も出さないから、失敗は自力で解決してもらいたい」
っていうのは、「苦労は買ってでもしろ」の本質だと思うんだけど……
100万円使って旅して、その旅先でハチャメチャに面倒なことが起きても自分でどうにかこうにかがんばってなんとかする、その経験に価値がある、っていうのは「苦労は買ってでもしろ」とどう違うの?
100万円で問題解決能力や人脈を買う、みたいなことだと受け取ったんだけど、わたしの理解力不足かな。。この人の言いたいことがここだけわからなかったよ。


まあなんにせよとにかく大事なのは

自分に嘘をつかない
自分のその判断が嘘かどうかを見極められるだけの自分、を持つ

これだけじゃないかなって思いました!


長い!

あ、体調はすっかり良くなりました。
お熱はないし、お腹ももういつも通りです。いつも通りにはゴロゴロしてるけど、困るほどではありません。
みなさんたくさん心配してくださってありがとうございます〜!

ただ……また新たな問題が浮上してきたのです。。
これまた泣きそう案件。。。
なにかっていうのは、次の次の次の次の次の次くらいの記事で明らかになることでしょう。。。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

読書感想文

お読みくださりありがとうございます。とても嬉しいです。 いただいたサポートがじゅうぶん貯まったら日本に帰りたいです。