見出し画像

Take off is now!

ランドセルを見かけた

今日、用事があって立ち寄った街は、日本人の多い都市の中でも特に日本人の多いエリアらしい。
帰ってきてから知った。

日本食材店を覗いて、ニラや豆腐に始まり、明太子やキリンビール、さらには中華くらげ(!)まであるのに驚き、胃が刺激された。
すれ違うのは日本人(たまに他のアジア人)のみで、ドイツ人はほんとうに一人も見かけなかった。
びっくりしながら歩いていると、ランドセルを見かけた。
ドイツでは(他国もかな?)子供は決まった鞄なんて持たなくて、みなが同じ形状のものを背負っているのがなんだか新鮮に思えた。
20年以上目にし続けた光景なのに。

そういえば私は本当に数えるほどしかランドセルを背負ったことがない。
いつもその日の気分で、紺色で無地の実用的なポリエステルっぽいリュックだったり、カナダで買ったレスポのトートバッグだったりを無造作に選び、缶の筆箱やあれやこれやを詰め込んでいた。
祖母から贈られたキティちゃんのニット素材ショルダーバッグで通学していた時期もあった。

ランドセルを背負わなければいけないという概念がなかったのかもしれない。
決められた、指定のものがあるなんて、私立の学校くらいだと思っていたのだ。
ランドセルが嫌いだったわけではない。かといって好きだったわけでもなく、人と同じが嫌だったわけでもないと思う。
ただ特別視していなかっただけだ。
二年生頃までは、気まぐれで使うこともあったが、引っ越しの際にもう使わないしいいや、と親の知り合いに譲った。

ランドセルで通学しないことで、誰かに何かを言われた記憶はほとんどない。
教師にも親にも。
唯一、いつだったか同級生には「エンデちゃんはなんでいつも違う鞄なの?」と聞かれたけれど、どうしてかわからなくて、答えられなくて困ったように記憶している。

中学生になったら制服というものを着るらしいと認識したころには、制服ってなんかやだな、と思っていた。
学区域の公立中学は三校とも私服だったので、いいなあと思っていたけれど、結局、制服のある私立にいった。

雨が降るとボックスプリーツが崩れてゴワゴワになるスカート、濡れて透けるブラウス、長く伸ばそうとしてゴムがすぐダメになる靴下。
お弁当と筆箱、水筒を入れただけでパンパンになる革の鞄。
なにもかも指定だったし、なにもかも使い勝手は悪かったけど、こんなものかと思っていた。
制服も慣れてしまえば楽だったし、女子校なので校内で見え方を気にすることは特になかった。
寒ければスカートの下に体育着を履き、その下にはタイツを二枚、ついでに毛糸のパンツも忍ばせ、もう十分に思えるのにそれでもブランケットを巻いて、掛けて、くるまっていた。

そうして、少しずつ私は縛られる楽さを知り、世の中に順応していった。
まったく世間に馴染めていないつもりだったけれど、そんなことはなかった。

先月、同い年の人と知り合った。
関西出身だという彼に
「(大学)卒業してもう4、5年くらいですね」
と言うと苦笑いで
「そうなりますね、大学行ってれば」と返ってきた。

驚いた。
いろんな人と出会ってきたつもりだったけれど、私の視野は狭くて、
都内の住宅街で育って大学まで進む人、大学から上京した人、しか私の身近にはほぼ存在しなかった。
親が転勤族だった、園児の頃まで、確かに私も地方に住んでいたはずなのに。

大学に行かないで海外に来る人や、東京以外から来ている人は、驚くほど多い。
私は、日本人はみんな大学に行くし、ほとんどが東京にいると思っていた。
そして、海外志向の人は、みな大学を出ていると思っていた。

大学に行かないで海外に来てる人がいるなんて。しかも地方出身だなんて。びっくりした。
住宅街で、私の今まで通りの暮らしをしていたら、なかなか目に入ってこない、会うことのない人たちだ。
「あ、大学って行かなくても生きていけるんだ…」と、生まれて初めて知った。

ランドセルを背負わなかった私でさえ、日本の、東京の、当たり前をたくさん吸収して育っていたことに驚いた。
私はきちんと日本人だった。

お読みくださりありがとうございます。とても嬉しいです。 いただいたサポートがじゅうぶん貯まったら日本に帰りたいです。