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あなたの苛立ちはどこから+【私大病院6〜医療保護入院・患者編〜】

いつまで過去の話をするのかなんて、私がいちばん思ってるよ。
けど、グリーフワークの一環として、たくさんの感情や情景を思い出して書いて考えて吐き出して飲み込んで捨てて排出して高圧洗浄して破棄してから纏わないと、生きたまま死ぬことになるから。
だから私はいつまでもいつまでも、私が主語の話をするよ。


私の家では、皆が何かに苛立っていた。

皆と言っても、一人っ子で核家族だったので両親と私しかいなかったけど。

父は、社会や自己への苛立ちを通り越し、諦めや見ないふりで日々の暮らしをやり過ごしていたように思う。
ただ、ふとした瞬間に現れる、怒りの主のような大きな影は常に抱えていたので、幼い私はいつも怯えていた。

母は、家庭をかえりみず外でばかり活躍する父に苛立ち、そして母に寄り添わない私に苛立った。
私は、その両親の苛立ちの渦をどうにもできない無力な自分に、苛立った。

皆それぞれ理由があって根拠があって、因果関係があって、苛立ち、怒り、嘆き、悲しんでいた。

けれど、私には、母に知識や知恵や社会との繋がりがなく、何も見えていないことが、いちばんの問題に見えていた。

学習の機会がさほどなかったことや、寿退社をして基本的に家にいる生活だったこと、それらを母自身が「当たり前のこと」として疑いもせず受け入れてきたことが問題で、それは母の実家に起因するものだと思った。
もちろん、母方の祖父母だけが悪いわけではないし、その時代ではそれが本当に当たり前というか普通の、よくあることだったのかもしれない。
とは言え、社会や時代背景や環境だけのせいにするのも、また嘘くさいというか、母という、人間という存在を否定するような気分になる。

母が父だけを悪者にするのも、父の背景にある社会のせいにするのも、違うのだ。

生まれ育った時代的に仕方ない部分もありつつ、親が絶対ではなく逆らってはいけないものでもなく、多少の恨み辛みや後悔のようなものは抱えつつ、共に生きたいのであればそのままの関係を維持し、それでも自分の人生を、今を、自分として、自分で生きろと、思う。思っていた。

ああそうだ、私が彼女に対して苛立ちを覚えていたのは、責任の所在を探さない平面的な生き方/考え方をしているように見えていたからだ。
責任の所在なんて、一つではなくて、どこにもなくて、全てが少しずつ害で、悪で、善で、良だとは思うけれど、それぞれをきちんと丁寧に眺めて観察して、自分でコントロールしようとせねばならないと、私はずっとわかっていたのだ。

もちろん、理性を失った、ともすればそんなものは自ら捨てたような、粗暴な振る舞いの父がすぐ近くにいたら、何も考える暇なんてなくて、ただただ息をしているだけで精一杯だったのかもしれない。
それでも、私は彼らをどうしても許せなくて、でも切り捨てることなんてできなくて、1人だけになっちゃうのがとっても怖くて、逃げ出しきれなかった。逃げ出しきれないでいる。

そして、それら(母の生き方も父の生き方も)は私の生き方に反面教師として活かされているようで、実のところは一つも機能していない。

現代の、毒親やmetooなどの、
「傷ついた側は声をあげて主張していいし、すべきだし、守られるべきだし、傷つけた側のことはどこまでも避難していい」
という流れに乗っかって、責任の所在を探さず平面的に「毒親」「ネグレクト」「虐待」「過干渉」「男」「レイプ」などの大きな主語の見えない敵に悲しみと怒りを投げつけているだけなのだ。

もちろん、そんな感情に走らされた言動が目立ってしまうのは、嫌な思いをしたからだし、辛かったという気持ちの発露であり、二度と繰り返されてたまるかという主義主張からだし、私のこれもあなたのそれも、あの人のあれも、どれも全部必要なんだけど。

ふとした瞬間に、敵を作り出すことで生きているような、気になる。
そこまでする必要はないと、普段は思うけれど、渦中では何も見えず、聞こえず、ただただ必死になってしまう。

とは言え、崇高な思いだけで生きていけたら、それは理想だし素晴らしいことだけど、ネガティヴな感情とか反骨精神ゆえでも、たくましくなくても、生きていけるなら。
それでもう、人生は御の字なのだから、ある程度は自分の中で仮想的を作り上げてしまっても仕方がないのかもしれない。
社会を機能させるには、多くの個人がある程度のなんらかの生産性をもって生きねばならない(ほんと?)。
となるとその原動力が生であれ負であれ、動くのであればなんでも良い部分は大きいと思う。

他人を傷つけない範囲で、という但し書きは必要になるけれど、他人を傷つけずに生き続けるなんて、無理な話だ。
当たり前の顔をして自分だけの利を追求しろという乱暴な考えではなく、この世界では誰もが何かと複雑に絡み合っている、ということ。

「自傷他害の恐れを孕む」

と言われて入院したりもしたけれど、自傷他害の恐れを孕まない人なんていないと思う。

人が生きるということは、他の誰かや何かを傷つけてしまうこと。
どれだけ気をつけても、服は必要だし食べるものも必要だしWi-Fiもほしいしシャワーだって浴びたいもん。
どこかで誰かが少しずつ犠牲になって、社会は成り立っているから、バランスを保ちつつ、気をつけて生きるしかない。
だって、生きるしかないのだから

ただ、実体のない既存の言葉や概念でもってして、誰かを叩きたいとか、敵を見つけたいとか、傷つけたいだとか、そういう感情って、目には見えなくても誰しもほんの少しは抱えているものだと思ってるけど、それらがどこからくるのかわからなくて、不思議でたまらなくて、コントロールできなくて、もどかしいや。

私は他人にも傷ついて欲しいのだろうか?

お友達と話していて、性差(と一言で片付けていいものなのかわからないけれど)ゆえにか意見が噛み合わない、分かり合えない、なんていうことが多々ありつつ、意見を言い合えるだけで貴重な存在ではあるかと思いつつ、イライラしてしまうことがままある。

なぜだかわからなかったけれど、外野から、安全なところから語ってんじゃねえという強い思いがあることに気がついた。
まあミクロな視点では確かに部外者なことも多いし、外からの視点も大事だけれど、社会全体というか家族や友達などの共同体ベースで考えるとある程度の関係はある話だから、まるで当事者ではないかのように語る姿勢に、違和感を覚えていた。
冷静に遠くから眺める視点ももちろんもちろん大事ではあるけれど、もう少し傷つく覚悟を持って参加すればいいのに、と私は感じているようだ。

偏差値が高くて実家が太くて義実家もまあ太くて友達からもまともにやばい良いやつみたいに評されて遊んでたのに身を固めて勉強がずば抜けてできるのに運動もそこそこできて勉強ができて勉強ができて、そんな背景を知っているからこそ「嫉妬」という感情が含まれていないと言ったら嘘になるかもしれないけれど、それだけじゃないと思った。

弱者の生活や考えにただの興味本位で首を突っ込んでくる、金持ちの道楽のように感じていたのかもしれない。
興味も持たれないよりは、共存共栄に近づきやすいのかもしれないけれど、政治家に高みの見物をされているような気分もコップ一杯分くらいはある気がしたから、
そういう「何もかも手にしているように見える人たち」は、手首切るか整形するくらいの何かがあれば「こちら側」からの支持も増えるのでは?などと今日も私は勝手なことを思う。

私は肉体も精神も弱いけれど、存在が強いのでここまで生きてきた。
生命力とはまた少し違い、存在が強いのだ。
近い他者との噛み合わなさや社会との齟齬、他人への恨みつらみなどが原動力になって死なずに動かされている部分もあることを自覚して、私はここに存在している。
あなたはどうですか、今日もきちんと存在していますか。


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私大病院6〜医療保護入院・患者編〜

前回の続き、よく覚えている2人の患者さんについて。



1 前日に日赤を退院したばかりの、夜中に救急車でやってきた、お姉さん。

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