マガジンのカバー画像

国際金融制度改革の必要

17
運営しているクリエイター

#国際経済

国際金融制度改革の必要性12 ー 為替レート/まとめ

国際金融制度改革の必要性12 ー 為替レート/まとめ

*長くお付き合いいただきましたこのシリーズ、今回で完結です。無料で最後までお読みいただけますが、よろしかったらご購入いただき、オススメしていただけると嬉しいです。

為替レートの決まり方ここで、銀行に持ち込んだ時など、為替レートがどこで定まるのかという、外国為替にとっての根源的な問題に行き着くことになる。為替レートの定まり方には、大きく言って以下の三つがありそう。一つ目は、中央銀行が受け入れられる

もっとみる
国際金融制度改革の必要性11 ー 新しい国際政治経済モデル

国際金融制度改革の必要性11 ー 新しい国際政治経済モデル

国際政治経済モデルの限界一方で、安全保障や政治が関わった国際的な話になると、モデルとしての限界が露呈している。破壊、復興による第二次世界大戦型の経済成長モデルは、すでに述べたとおり金融の発展によって限界に突き当たっており、別のモデルが必要とされている。戦争でなくても、自然災害は継続的にどこかで起こっており、別に人為的に破壊活動を行うという無駄なことをする必要もない。復興モデルは人為的破壊がなくても

もっとみる
国際金融制度改革の必要性10 ー 同時多発テロからの政策的示唆

国際金融制度改革の必要性10 ー 同時多発テロからの政策的示唆

4. 同時多発テロからの教訓 - まとめに替えていま、同時多発テロから20年の節目を迎えるに当たって、その事件によって期せずして明るみに出た不均衡なルール、つまりいかさまギャンブルと言えるデリバティブに代表されるカネでカネを売買する金融商品や、有限責任制度という株式会社の制度について考え直す絶好の機会であると言える。一方で、テロとの戦いという、国家権力が一方的にテロリストを定義し、それとの戦いを正

もっとみる
国際金融制度改革の必要性9 ー 戦後経済体制 プラザ合意、同時多発テロ、経済戦争

国際金融制度改革の必要性9 ー 戦後経済体制 プラザ合意、同時多発テロ、経済戦争

第二次大戦後の戦争周期さて、歴史的に言えば、ケネディの時代も含めて、第二次世界大戦後ずっと平和が続いていたかと言えばそんなことはなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン紛争、湾岸戦争、そしてアフガン・イラク戦争というアメリカやソ連が直接介入したものも、ほぼ十年間隔位で起こり続けていたし、一方で中東でも48年を皮切りに73年の第四次まで十年に満たない間隔で戦争が起こり続けた。中東戦争の方はニクソンショ

もっとみる
国際金融制度改革の必要性6 ー オイルショックの構造と帰結

国際金融制度改革の必要性6 ー オイルショックの構造と帰結

2. デリバティブの急拡大こうした背景を踏まえた上で、最も注目を集めた世界貿易センタービルへのテロをどう考えるか、と言うことであるが、これはやはりグローバル経済制度に対する不満の顕在化だと考えるべきなのだろう。

テロ事件後の原油価格急騰話は少し飛ぶが、同時多発テロに前後して、国際的な原油価格がこれまでに例を見ないほどに急騰しだした。これまでも二度のオイルショックがあり、それによって世界経

もっとみる
国際金融制度改革の必要5 ー 変動為替相場制のもたらしたもの

国際金融制度改革の必要5 ー 変動為替相場制のもたらしたもの

投機化する変動為替相場制金融業界の利益の源としての為替相場確立の流れの延長として、まずは85年のプラザ合意によるドル安誘導、そして逆に92年のポンド危機を皮切りに、特に97年のアジア通貨危機ではアジア通貨が次々にヘッジファンドによって売り込まれて暴落するという、政治的為替変動が次々起こるようになった。それは実体経済とはほとんど関係がなく、思惑に大きく左右されていた上に、その対応としてIMFの貸付け

もっとみる
国際金融制度改革の必要 付論 − 市場を歪める金融緩和

国際金融制度改革の必要 付論 − 市場を歪める金融緩和

朝日新聞7月17日付6面「顕れたもろさ コロナ危機と経済5」で、金融緩和による材料高騰の話が出ていた。実需に基づかず、思惑で原材料が上がるというのは、在庫を持たなくても商品をやりとりできる先物市場あってのものだと考えられる。在庫を抱えなければならないとなったら、そのコストを考えれば思惑だけで買い占めなどはできないからだ。在庫を抱えても物価が上がるということならば、それは実需に基づくものだと考えて良

もっとみる
国際金融制度改革の必要性4 ー 変動相場制と為替先物

国際金融制度改革の必要性4 ー 変動相場制と為替先物

戦後通貨体制の確立さて、戦後通貨体制についての構想は、シカゴ大学のジェイコブ・ヴァイナーを中心に1939年、まさに第二次世界大戦が始まった頃から動き出しており、まだ太平洋戦争の始まっていなかったその時期には、東南アジアの情勢は考慮の外であった。太平洋戦争が始まった1週間後には財務長官モーゲンソーは指揮下のアメリカ財務省で働いていたホワイトに戦後通貨体制についての草案づくりを命じ、ヴァイナーは翌年1

もっとみる

国際金融制度改革の必要性3 ブレトンウッズ以前の通貨体制

それに対して、ワシントンD.C.という政治の中心へのテロと見られるものをどう解釈するか、と言うことであるが、このテロ事件の前から、ワシントン・コンセンサスという考え方で、アジア通貨危機の起こった国々に対してかなり強硬な構造改革を押しつける、という事が起こっていた。これは、IMF・GATT体制という第二次世界大戦後の国際経済秩序を規定する仕組が、その価値観に基づいて自由貿易・金融体制をあまねく広めよ

もっとみる