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花束と別れとジュビリー

昨日、息子が巣立っていきました。

大学を卒業してから5年間、地元に帰ってきて、こちらで働いていたのですが、大学院の試験に合格したので、この春から、院生として学生再デビューすることになりました。
と、同時に、今どきの院生は、社会人として働きながら大学院に通う…というスタイルがスタンダードらしく、教授に相談したり、他の社会人院生からアドバイスをもらいながら、向こうで就活を決行。おかげさまで、良い職場が見つかり、4月3日からそこで働かせていただくことになりました。

ちなみに息子は、大学卒業後、地元には帰ってきたけど、私たちが住む実家には入らず、職場近くのアパートで独り暮らしをしていました。残業が多い職場なので、帰宅時間が不規則だし、大学時代の一人暮らしで、せっかく自立できていたんだから、そのまま別居した方が良い…との判断で、そのまま一人暮らしをさせていました。本人も気ままに過ごせてよかったみたいです。

当時は、『跡取り長男は、実家で親と同居するもの』という固定観念でガチガチに凝り固まっている人には、私たちのこのスタイルは理解不能だったようです。
でも、後々、あのCORONA禍のなかで、この別居が「感染リスクを分散させる」という意外な効果を発揮してくれて、ホント助かりました。

さて、話を戻します。

息子は、こっちで普通に働きながら、大学院を受験→院がある街で就活→新居を探す→転職&転居に関わる諸手続き…等をやってのけました。先月3月の祝日頃には、友人たちの手を借りて、引っ越しも無事に完了。今まで住んでいたアパートを引き払い、退職までの約10日間は、実家に帰り、実家から職場に通っていました。

息子の旧職場は、人員不足から「忙しい」状態が慢性化していて、退職の辞令式が行われるギリギリ直前まで、次々と仕事を割り振られていたようです。前日も夜遅くまで残業していてました。

いろいろ大変だったけど、良い上司と仲間に恵まれ、充実した5年間だったようです。いい経験を積ませてもらいました。

次の職場は、今の仕事と同じ職種になります。もう既に、息子の受け入れを担当して下さった方々や新上司とも、すっかり打ち解けている様子。入る前の息子に対しても、ウェルカム&アットホームな雰囲気を醸し出してくださっているようです。
また、大学院の先生も、息子の相談にオンラインで乗って下さっているようで、いろいろご配慮をいただいているとのこと。
本当にありがたいことです。

こうして無事に3月31日を終えて、息子は退職の辞令を受け取り、職場の皆さんにご挨拶をして、ちょっと早めに帰宅しました。

職場の皆さんからいただいた花。包装を解いて、そのまま花瓶に飾りました。

その晩は、のんびり夕ご飯を食べて、ゆっくり夜を過ごして、床に就きました。息子が子供の頃から「当たり前のこと」としてやってきた日常の全ても、もうこの日が最後です。

社会人になってから5年間、寒さが厳しいこの地で一人で頑張ってみたけど、やはり身体障碍があるこのカラダでは限界がある…と、息子は悟ったようです。

「親がまだ元気でいる今のうちはいいけど、将来、親が老いて逝き、自分が残った時、この雪深い厳寒の地で、生き抜くことは困難である。早いうちに、一人でも暮らしていける温暖で便利のいい場所に居を構えよう」…と。

このとき、かつて大学時代に過ごした街が、自分にとって一番生活しやすく、安心して暮らせるできる場所だと思ったようです。

そこで、以前から気になっていた大学院受験を思い立ち、受けてみたら見事合格。そこから、今日までの流れへと至りました。

職場に退職の意向を伝えた時は、上司から、(息子を心配するお気持ちから)いろんなことを言われたようです。非常に安定した職だし、親元にいるんだし、常識的に考えたら「成功コース」「安泰コース」なのに、どうしてそんな無鉄砲なことをするのか?…と、息子の意図が理解できなかったようです。

上司はおそらく、こんなに良い条件がそろっている場所なのに、そこから立ち去ろうとする息子のことを、単なる「若気の至り」から出た突発的かつ精神的な幼さからの愚行…と思われたのかもしれません。一般的な常識を超えた「新しいこと」です。心配されるのも当然でしょう。

しかし、この時の話し合いで、「身体障碍者には、雪深い極寒の地で自立した生活を送ることは、非常に大変なことなんだ」という事情が、なかなか理解してもらえないもどかしさを、息子はかなり感じたようです。

だけど、理解してもらえないことに執着せず、相手を納得させようと躍起になることもせず、もうそこは割り切って、新天地で明るく元気に自分のフィールドを広げていくことに意識を向けて、自分の未来のためにエネルギーを注ぐ…とシフトチェンジしたようです。

その後も息子は、息子の退職を知った人から「なぜ辞めるの?」と聞かれていたようですが、質問されるたびに、答え方に苦慮したと言っていました。
そこで真意を伝えても、なかなか飲み込んでくれない相手だと感じた場合は、退職の理由を他のことに切り替えて、相手がすんなり納得できるよう説明してあげたそうです。
これによって、相手から無用な心配を引き出すことなく、また、誤解や摩擦を引き起こすこともなく、スムーズに話が済んだ上に、物事も順調に進んだとのこと。結果的にはこの作戦で良かったようです。

あと、近い人に対しては、息子から真意を説明して、息子の状況を理解してもらいました。

息子が大学を卒業した頃は、まだ「跡取り長男は、実家で親や家族と同居するもの」という価値観がまかり通っていて、それが当たり前でした。

だけど、今回は、同居信仰で頭がガチガチだった人たちも、今はずいぶん意識が軟化して、息子の話を素直に受け止め、あっさり理解してくれました。

この5年の間にCORONA禍を体験したからでしょうか。生き方や家族の在り方など、人々の意識も大きく変化したようです。

「猛反対されるかな…」と、私も夫も内心ヒヤヒヤして心配していましたが、皆さん、息子の話が腹落ちしたようで、素直に頷き、「すごいなぁ」と感心してくれて、温かく送り出す気持ちになってくれました。

こうして、ハード面もソフト面も「円満に地元を巣立っていく」のカードが全てそろい、満場一致のようなかたちで、息子はこの町を卒業することになりました。

4月1日。

いよいよ巣立ちの日です。

私と夫は、息子と荷物を車に乗せて、地元のバスセンターに向かいました。

この3年間は閑散としていたバスセンターも、今はインバウンド復活。外国人観光客ですごいことになっていました。ざっと見た感じ、日本人1割・外国人観光客9割…という感じでしょうか。
一緒にいた夫が、周囲の外国人旅行者に圧倒されてしまい、日本語以外の言語がビュンビュン飛び交っている状況に「地元なのに、なんだか外国にいるみたい。アウェー感を感じる…」と、かなりビビッていました笑。

息子は、待ち時間を利用して、バスセンター内の売店で、新しい職場の皆さんにお配りする手土産(さるぼぼクッキー)を買っていました。

そうこうしているうちに、高速バスが到着。

荷物をバスのトランクに積み込むのを手伝い、最後に息子とハグしました。

バスの座席にいる息子を、外から見つけて手を振ると、息子もそれに気づいて手を振り返してくれました。

これで、いよいよお別れです。

また近々、息子は残った諸手続きのため、休みを利用して帰ってくるんだけど、でも、住民票を移して、本拠地を変えて、向こうで独り立ちして生きていくのだから、今が本当の親離れの時。そして、私たちにとっても本当の子離れの時です。


この時、私の頭の中を、くるりの『ジュビリー』がエンドレスで流れていました。

これ、私の大好きな曲です。

歓びとは 誰かが去るかなしみを
胸に抱きながらあふれた
一粒の雫なんだろう

くるり「ジュビリー」歌詞・一部抜粋

小さくなっていくバスの後姿を見送りながら、この歌詞がずっと心の中で響いていました。
夫に「なんだかジュビリーの気分やなぁ…」と話すと、夫は小声でジュビリーのさびの部分を歌い始めました。

二人で歌うジュビリー。
残された私たちで仲良く助け合って暮らそうね。

春は別れの季節だけど、明るい日差しのせいか、悲しみよりも希望の光を感じるね…。

奇しくも、この日、桜が開花しました。

郷土の桜も、息子の旅立ちを見送ってくれているようでした。

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