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あたたかくてやさしい~息子が出会った関西のおかん達~

障害児をもつ親にとって、「子供の自立」はとても悩ましい課題だ。どこまで親が手を出して介助をし、どこから自力でやらせるのか・・・。その線引きが非常に難しい。できたら家族以外の人と関わり合い、たくさんの人に揉まれて生きてくことが理想だと思う。

そんな我が家には、肢体不自由の息子がいる。

幼少期から高校を卒業するまでの間、私たち夫婦は、両足と左手が不自由な息子にずっと付き添ってきた。どこに行くにも車で送迎し、上手くできないことは代わりにやってあげて、夫と二人で息子の手となり足となってきた。

でも、それは思春期を迎えた男の子には、とてもキツいことだった。何をするにも親の介添えが必要だと子供の自立心を削いでしまう。また、いつまでも親と一緒にくっついて行動することは窮屈で束縛されることでもある。

「ボクは一人になる時間が欲しい。一人で自由に生活してみたい。」

そう息子に言われたとき、そりぁそうだよなぁ~と思った。

私だって多感な10代後半にずっと母親や父親がくっついていたんでは、全然面白くない。親が知らない「自分だけの時間」を過ごしたいし、親の手が届かない「自分だけの世界」を作りたい。これは全ての若者に当てはまることだ。

そこで私は、息子がチャレンジしてみたいと意欲を出したことを契機に、親元から解放して自由な世界に放り出してあげようと思った。

ツバメだって大人になったら巣から飛び立つのだ。人間だってそうすることが自然の摂理だ・・・と。

息子が大学に進学することとなり、京都での一人暮らしが決まったので、これを機会に思い切って息子を突き放してみることにした。親離れ・子離れである。

こうして息子の一人暮らしが始まった。

息子には、一人で暮らしていくのに必要な衣食住に関することを一通り教えた。掃除は手の届かない部分も出てくるだろうと思い、福祉サービスでヘルパーさんを週一で利用することにした。また、食べることに関しては「自炊はちょっと難しいかな」と思い、ご飯を炊くことしか教えていなかったけど、「ボクも料理をやってみたい」と言いだしたので、途中で鍋やフライパンを買い足した。

とにかく無理はしないこと。周りに合わせるのではなく、自分のペースを大事にすることを、息子に諭した。

障害児(者)の一人暮らしは、いろんな面でハードルが高い。

しかし、もしも万が一、途中で自活が難しくなったら、その時々で対応を考えばいい。大学への通学も自力歩行で困難になったら、いろんな手段を模索すればいい。最悪、差別とかイジメに遭って孤立し学校が嫌になったら、休学や退学も視野に入れていこう。ここしかないと固執する必要はないんだし、他にも道は無限にあるのだから、あまり堅難しく考えずライトに行こう。何事も臨機応変に柔軟に対処していけばいい・・・と思うことにした。

とにかく「一人で生活してみた」という体験が大切なのであり、それがたとえ数日間や一週間であったとしても、実際にやってみて少しでもできたのなら「よく頑張った!」とプラスに受け止めて褒めてあげたい。世間体にこだわらず、息子のチャレンジを前向きにとらえていこう。・・・そう考えたのだ。

つまり、うまくいっても、うまくいかなくても、どちらに転んでも良い・・・と覚悟したのだ。私も夫も、息子が居ないところで密かに腹をくくった。そして、もしも息子の身に何かあったときには、私たちは息子のセーフティネットとなると決意した。

こんな親の決意など知るよしもなく、息子は嬉々として京都に出向き、満面の笑みで一人暮らしを始めた。親としては大きな賭である。吉と出るか、凶と出るか・・・。

ところが・・・である。蓋を開けてみたら、意外と大丈夫だったのだ。これには拍子抜けした・・・というかビックリだった。非常にあっけなく順調に息子の一人暮らしが続いていく。「案ずるより産むが易し」とはよく言ったものだ。

よし、この調子なら大丈夫だな。

スタートしてから1ヶ月ほど経ったところで、難なく暮らしている様子を確認し、私は息子のことを心の中でそっと切り離すことにした。

ここから先は、親の知らない自分の時間を過ごしてね。親が知らない自分の世界を作ってね。」・・・と。

もう息子のことは心の中で完全に切り放し、親が息子の暮らしぶりを細かくチェックすることは止めた。上手くいっているかの確認もしない。息子のことをくよくよ思い出すことはせず、「便りが無いのは元気な証拠」と思うようにした。最悪なのは「死ぬ」ことだけど、一人暮らしの夢を叶えて死んだんなら、それで本望では無いか・・・。そこまで思い切れるほど、私達は覚悟を決めた。(障害児の親御さんなら、私たちの覚悟の程をよく分かってくださると思う。) とことん息子を信頼して、息子のことは全て息子自身に任せることにしたのだ。

その代わりに、私は私の時間を過ごし、私の世界を作ることにエネルギーを注いだ。私も息子を育てるに当たって自分の時間が全く持てず、息子中心のスケジュールで18年間も生きてきたから、「これは命の休息だわ」と思った。

こうして息子と遠く離れて暮らすようになり、何をしているのか、誰と会っているのか、ちゃんと生きているのか、さっぱり分からない状態で毎日を過ごしていたけど、風の頼りで、向こうで友達がたくさんできて、充実したキャンパスライフを送っていることを耳にした。自分の障害について、隠さずオープンに友達に説明し、できないことは仲間に助けてもらいながら生き生きと過ごしているようだった。

ああ、良かった。これで息子も、健常者の他の若者達と同じように「自分だけの時間」を自由に使い、「自分だけの世界」で自由に過ごし、青春を謳歌している。私は安堵した。

たとえ、自分の世界で過ごしている中で大きな失敗をしても、また、つまずいてコケて痛い目に遭ったとしても、それらを全部ひっくるめて全てが「青春」なのだ。いつまでも親がベッタリ付き添っていたんでは、若者の特権である「若気の至り」を一度も体験することなく時が過ぎていく。こっちの方が、長い目で見たら絶対にヤバいと思う。だから、甘えられる親がいない遠い所に息子をポンと置いてきたのだ。これで良かったのだ・・・。

うちと同じように子供が巣立っていった他の家のお母さん達は、「子供が居なくなって淋しい悲しい・・・」としんみりしていたけど、私はそういう湿っぽい気持ちには全くならなかった。その代わりに、息子には「おかん」も「おとん」もいない自由を腹一杯満喫してほしいと心から願っていた。

そんな大きな気持ちで送り出した息子であるが、息子は息子で、彼の地でちゃっかり「おかん」を見つけていた。これは後々、息子から聞いた話である。

息子は学内で男女問わずたくさんの友達を作ったのだけど、その半数が自宅生で、家から大学に毎日通っている子達だった。

そんな自宅生の友達は、学校から家に帰ると、自分の家族に息子のことをよく話していたらしい。

「身体に障害があるのに、実家を離れて一人暮らしをしていて、すごく頑張っている子がいる。」・・・と。

しかも息子は、明るさだけが取り柄の子で、自分の障害を隠したり卑下することが一切無い。その上、喋りが上手くて話もなかなか面白い。暗さやひねたところが全く無く、皆が怖くて臆することも、楽しそうなら「やるやる~」と自分からと飛び込むタイプだ。(私たち親と真逆の性格・汗)

そんな息子の話を、息子の友人達は一家団欒の時に、その場にいるお父さんお母さん爺ちゃん婆ちゃん等に毎日語ってくれていたらしい。

すると、この話を聞いた親御さんや祖父母さんがいたく感動されたそうで、息子を大事にして仲良くしてあげなさいと言ってくださったという。また、なかには「どんな子か会ってみたい」と言われた親御さんもいたそうな。

そして、なんと、神戸の友達のお母さんと祖母さんは、息子のために手作りのおかずをタッパに詰めて「〇〇君(息子の名前)にあげて」と、朝持たせてくださったそうだ。

また、大阪の友達のお父さんとお母さんは、ご家族の夕食会に息子を時々招待してくださり、息子はそのご家族に混じって一緒にご飯を食べさせてもらっていたらしい。

更に、奈良の友達のお母さんは、ミシンで息子のズボンの裾直しをして下さったり、服が破けたときには快く裁縫で直してくださったのだという。

あと、京都市内在住の私の友人が「京都のお母さん」になってくれて、何かあったときに息子の面倒をみてくれると申し出てくれた。結局のところ、大学4年間、お陰様で何事もなく、彼女に世話になることはなかったけど、入学時と卒業時に、息子を友人行きつけの小料理屋に招待して「お祝い会」を開いて下さり、心温まるおもてなしをいただいた。

私が息子を手放して解放したら、ちゃんと私の代わりになる「お母さん」が現れて、私にできないことを皆さんがして下さったのだ。

「人たらし」なところがある息子なので、きっと皆さんから可愛がられたんだろうなぁ。でも、新天地で出会った友人やそのご家族に温かく迎えられて楽しく過ごしてきたのだな・・・と思い浮かべると、嬉しくて涙が出た。

これらは、私(母親)が息子に始終べったりくっついていたら、絶対に体験できなかったことだ。だから結果的には「一人暮らし」は大成功だった。

息子が一人自炊して暮らしていく中で、自力で築き上げてきた人とのつながり。出会い。絆。ふれあい。交流。親の知らないところで、たくさんの人たちから「やさしさ」をもらい、そっと見守られて、息子は大きく成長していった。

とても良い4年間を過ごしたんだなぁ・・・と思うと、今も感謝の気持ちで胸が一杯になる。

関西は息子にとって第二の故郷だ。

社会人になり、故郷に帰ってきた息子だけど、今も一人暮らしをしている。今年はコロナで自粛しているが、昨年までは仕事が休みの日は、ふらりと京都や大阪へ遊びに行っていた。もちろん、息子一人で。懐かしい人たちに会うために・・・。

人々の温かいやさしさに包まれた、息子の大切な世界。




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Emiko

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本州の真ん中・山の町に在住。散歩が日課の元中学校国語教師。たまに心に残るいい話も書きます。【noteコンテスト受賞歴】2020年「♯私が応援する会社」審査員特別賞/2021年「♯やさしさにふれて」Panasonic賞 // https://www.emiko258.com/