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汚れた血 (1)


- Mauvais sang -


【概要】
 消失した宇宙貨物船〈キャロ〉唯一の生存者、アガサ・ローナンは、救出された宇宙艦ファインダー内にて、カウンセラーのタケウチへと〈キャロ〉内で起こった出来事を語りはじめる。


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「ご紹介します。こちらは、ドクタータケウチ。レベル9のライセンスを有する、連邦医師です」
 私の医療診断を二〇時間以上も続けてくれている宇宙艦ファインダーの医療部長、ナミ中佐が連れてきた男性は、艦員たちと異なる、地味な服装をしていた。もしかすると一般乗客なのかもしれない。特徴のある顔だちからアジア系民族の地球人と推測できるが、直接目にするのははじめてだ。
「タケウチです。普段は連邦コロニーのカウンセラーをしています」感じの良い笑みを見せて距離を縮めたタケウチは、ベッド脇に置かれたブックタイプの端末を手にとった。琥珀を思わせる茶色い瞳でまっすぐ見つめられる。「思っていたよりも顔色は良いですね」柔らかな声だ。
 私は返答の代わりに口角をほんの少しあげた。その所作は意図せず、端末の起動音とシンクロした。目の届く範囲に鏡がないので確認することはできないけれども、頬に血が通っているのがわかる。タケウチが指摘したように、顔色は良くなっているのだろう。ただし酸素吸入のチューブが鼻孔に挿入されているので、外見は安静が求められる病人そのものに違いない。
「ドクタータケウチは、信頼できるカウンセラーです。規定に沿ったチェックと、いくつかの質問を行うだけですので、緊張なさらず、楽にしてください」穏やかな口調で告げたナミ中佐は、出入り口の扉の方へ向けて、しずしずと後退する。
 扉の前には、同デザインの服を着た男性が二人立っている。体躯の良い髭面の男性は、宇宙艦ファインダーの副長、リンカーン中佐だ。リンカーン中佐とは二時間ほど前に、二、三ことではあるけれども言葉を交わした。もうひとりの男性は初見なので名前も役職もわからない。見た目は若く健康的で、肉体年齢的には私より年下だと思う。男性の左眉尻には傷痕と思われるラインが斜めに走っていて――なぜだろう? 眉間にしわをよせて、睨むように私を見ている。室内にいるのは、私を含めて五人。当然ながら視界に存在するあらゆる瞳が、私をまっすぐ捉えている。
「聞いた話によると、小型シャトルに掴まったかたちで、長時間、宇宙空間をさまよっていたそうですね。乗っていた貨物船の最後の座標を憶えていますか?」
 タケウチに問われた。答えるべく、顔を向けようとすると、鼻に挿さったチューブが頬を圧した。自然と表情が歪み、視線がさがる。
 誰かの溜息が聞こえた。気分を害してしまったのではないかと思って、慌てて顎をあげると、舌打ちの音が耳へと届いた。眼前には笑顔の見本のような笑みが。タケウチと目があった。彼ではない。溜息をこぼして不快な舌打ちを発したのは、扉の前で苛立たしげに頬を震わせる、眉尻に傷のある若い男性だった。
「憶えていませんか。シャトルで脱出した時点での、貨物船の座標を」
 私は唇を噛んで、かぶりを振った。憶えているかどうか以前に、宇宙空間での座標の定義すら知らない、と、正直に告げるべきだろうか。
「あぁあ、無理しないでください。横になったままで構いません。難題ですよね、座標を憶えているかだなんて。返答に窮して当然ですよ。私はいまだに座標の読み方も……あ。えぇっと、参ったな……すみません、偉そうに質問してしまいましたが、正直に言いますと、私は――」
 座標を読めないんです。そう言ってタケウチは恥ずかしそうに首をすくめて、白い歯を見せた。
 頬や顎が緊張から解放される。つられて私も歯を見せていた。不思議と安らぎを覚えて身体が軽くなり、周囲の空気が透明度を増したように感じられる。
「もっと簡単な問いからはじめましょうか。退屈かもしれませんが、どうぞおつきあいください。それでは、まずは名前から。名前を教えていただけますか」
「名前は――」アガサ・ローナン。私はそう呼ばれてきた。「アガサです。アガサ・ローナン」正しく発音することができただろうか。
 タケウチの反応を窺う。
 タケウチは私を見つめたまま、手元の端末を素早くタップした。


〈つづく〉

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