見出し画像

私には人を救えない一一仕事のスタンスであり問題点

「人に、人生に影響を与えたい」と思っていた時期がわたしにもありました。
今でもそうなのかもしれません。

高校卒業時には、自分がそうしてもらったように教員になって、人の価値観をつくり人生の方向をきめる一助となるような存在でありたいと考えていました。
でもそのときですら、「教える」ということはしたくありませんでした。
そこから紆余曲折ありましたが、教育の仕事をしていて「心への働きかけが必要である」と考えて、心理的支援を目指す方へ舵を切ったのです。
今は就労支援という福祉サービスに携わっています。

わたしの人生からも明らかでありますが、何かを学び変化を起こすのは自分自身であり、そのきっかけや環境を与えるのは特定の誰かではなく、誰でも何でも変革の可能性を持っているはずなんです。
だからわたしは「人に何かを教えられる」とか、「人を助ける・救うことができる」という考え方をしないようにしよう、と思っています。

以前心理学の先生が教えてくれたのは、「ただ、何もせず、そこにいるだけ」ということの難しさ。
でもそれだけで周りが影響を受けることはたくさんあるし、ある人に何かが響いて結果的に変化を与えることもある。
結局学ぶのはその人自身にしかできないことだし、自分を助けられるのは究極的には自分だけだから
きっかけや環境を用意するしかできない。
助けを求められたときには、精一杯自分にできることをしますが…
「何かしてあげられる」という気をもてば、その人自身のちからをそいでしまう恐れだってある。

わたしはこれを、人と関わる仕事をする上で、特に人の成長に携わる仕事において大切なスタンスだと考えています。
でも、わたしにはずっとずっと抱えている克服できないコンプレックスのようなものがあります。

「挫折経験がないこと」

この一言だけで言おうとすれば語弊があります。失敗しない人間なんていないし、むしろわたしはどんくさい、うっかり、ボケてるのを自他ともに認める勢いでやらかしの連続をしてきました。
あえて「並」という言葉を使いますが、人並みに悩みも抱えてきたし、周りに笑われたりからかわれたりすることもあった、自分の手を汚く感じて嫌になったりもした、進路に悩み妥協せざるを得ないことも、人間関係をうまく築けない、自分のことをうまく表せない、生きていく希望をなくしたり、今日が来るのが嫌で嫌で泣いたりしたこともあった、ごはんがおいしく食べられないこと、社会の暗い部分に騙されたりお金で失敗したりしたこと、死にたいと思ってカウンセリングに行ったこと、それでもやることがたくさんあって、生活が破綻しそうになりながらなんとか毎日をこなしている。

でもわたし、なんとかなってるんです。
本当の無理ができないからか、悩むのを趣味だと思っているからか。生まれたときにいただいたものに恵まれているかもしれないし、もしかしたらこれから今までのツケがまわってくるのかもしれないけど。
例えば、受験に失敗したとか、生活費がゼロになって支払い滞納するとか、体調やメンタルを崩してしまうというような「挫折」が、ないんです。

聞く人によっては自慢か嫌味かと思われるかもしれません、すみません。
でも、本当に人生どうしようもなくなった人もいる、ことも知っていて、むしろそういう人がいるから支援の仕事があるべきとも思っていて、
頭では思うんです、「“他人”が想いや境遇を聞いて、その立場から精一杯共感できることに意味があるんだ」って。
でもピアサポーターなんていうのがあるみたいに、やっぱり同じような境遇にある人や似た経験を持つ人にできることって確実にあるよな、と思う。
だからわたしみたいな、結局どこかのんきでぼんやり生きてきたような人が、支援を求める人に与えるパワーってないんじゃないかと、
むしろ、だからこそ、「人を助けよう」とすること自体、おこがましいのではないかと
ずっとその想いを抱えています。

付け足していうと
わたしは自分で人間らしい気持ちを自覚してきたのが最近で、
以前は自分の気持ちすら、ややこしく考えて喜怒哀楽もわからなかったような気がします。ただ、人と関わりたい欲求はあってそのためにどうすればいいか分からない。
他人のことはなおさら自然に考えることができなくて、頼まれたらやる、そういう決まりだからやる、前うまくいったからやる、とか、コミュニケーションをルールや手順にして考えていました。
それで、他の人が人とどのように関わっているかは分かりませんが、自分のこのロボットみたいな思考回路も、人と接する仕事には正直向いていないんじゃないかと思っています。
高校のときにホランズの6分野適性テストみたいなのを簡易的にやった際、対人よりも対物の仕事がよいという結果が出たのを覚えています。
でも、だから、そこからなんとか対人の仕事をやっているのは、経験の蓄積と学びの努力、それを支えてくれた人と環境によるものです。

だから、教員とか支援員とかカウンセラーとかの方向へ今の志望は向いていますが、それに「向いているか?」と聞かれると、少なくとも向いてはいません。
でも、「自分は向いている!」という人よりも、「向いているのだろうか?」「何か足りないところがあるんじゃないだろうか?」と疑問を持ち続けられる人でありたいとも思っています。
「わたしがいる」ことが何か誰かに意味をもっていると信じて。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?