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とよ先生の半生記

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2022年5月の記事一覧

第6章【人生初めての挫折】とよ先生の半生記

夏合宿 キャンプイン。

夢にまで見たアメリカでのアメリカンフットボール。

ワクワクとドキドキの楽しい気持ちなんて

一瞬で打ち砕かれました。

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第17章【交通事故 寝たきり生活】とよ先生の半生記

オランダ帰国後、モスバーガー本社での報告会。社長が「今度、食事でも行こうね。」と私たち(遊学生選抜者)1人1人に名刺を配ってくれました。その後、本社に「社長が食事に行こうと言ってくれたので、約束しようとお電話しました」と電話したのは私だけだと聞きました。
社長とはその後、何度かお食事をさせて頂きました。
e-kidsはモスバーガーに認めてもらうという大きな任務もあります。

2002年11月の晴れ

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第16章 【モスバーガーとオランダ修行】とよ先生の半生記

第16章 【モスバーガーとオランダ修行】とよ先生の半生記

プロで試合をさせてはもらったものの大してパッとしない生活をしていました。
その日、モスバーガーを店内で食べていました。
「モス地球遊学生制度」(2003年、同時多発テロなど世界情勢悪化の為に終了のポスターが目に入りました。

「あー、まだやってんだ。この企画」渡米する前、高校生時代にも見たことがある長年続く企画でした。海外国内を問わず、夢を追う人にモスバーガーが奨学金を支援するというものでした。

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第15章 【プロデビュー】とよ先生の半生記

執筆にかなりの時間を費やしているので、
みなさんが楽しんでくれているのはとても嬉しいです。
パソコンの前に座って1回で1つのシリーズが出来上がるわけでもなく、

下書きに下書き、見直しに見直しを重ねて一つのシリーズが出来上がります。
日常生活でも、上手く書けそうな文面が思いつくと、携帯電話にメモしたり・・・読んでくれる人がいるから頑張れます。ありがとうございます♪

一応キックボクシングプロデビュ

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第14章 ミルコクロコップ vs マイケルマクドナルド オーストラリアでの(チン)事故

「トヨ、明後日オーストラリアに一緒に来てくれ」

突然の電話でした。
電話の相手は、アンディフグ選手のチームで一緒に練習していた、
マイケルマクドナルド。
マイケルはカナダ出身のキックボクサーで、
ずっと日本に滞在しアンディと一緒に練習してアンディが強かったのは、
彼が練習相手にいたからだとも言われている選手です。
彼のパンチはとにかく速い。絶対にこのパンチが今から来る。
と、分かっていても鼻の頭

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第13章【アンディフグ選手との別れ。最後の焼肉屋】

2000年8月、その時は突然にやってきました。
アンディは全盛期。国民的スターとは彼の為の言葉でした。
自分の試合、その試合のための練習、
更にはテレビや雑誌の仕事で多忙を極めていました。

そんなアンディが私のような新人に構っている暇などありません。
私はと言えば、練習だけでは生活ができないので、
平日午後は予備校でTOEIC問題作成、
週末はアンディと知り合うきっかけにもなった飲食店で
継続し

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第12章【スイス合宿とアルプスの少女ハイジ】

ここまで執筆して思うのは両親への感謝の気持ちです。
アメリカに息子が4年以上行って無事帰国。
英語も話せるようになって帰ってきました。

就職活動して一流企業に就職か、安心、と思ったら、やっぱり辞めた!
今度はキックボクシングやる、です。

何も言わないで見守ってくれてた、両親に感謝です。

さて、アメリカから帰国して5ヶ月後に
私はアンディフグ選手にスイスに連れて来てもらいました。
スイスの中で

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第11章【スーパースターに猫パンチ】 

スーパースター、アンディフグ選手と初の対面から
20分も経たないうちに、
そのスーパースターを相手に戦うことになっちゃっている、
(とよ先生になるまで後6年と半年の)私。

「ここでアンディフグを倒して、俺はスーパースターになるんだ!」
思考回路は引続き故障しっ放しです。

開始のゴング。なんのこっちゃない。

てい、てい、てい!ネコパンチを繰り出す私、

をアンディフグ選手はしっかりガード。

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第10章【アンディフグ選手との出会い】

関係者の方に手紙を渡してたった2日後。

私は頭を丸めてアンディフグ選手の道場を訪問しました。

前日に格闘技ショップ行ったは良いけど、
素人の私が何を揃えていいか分からずに、
適当に買ったキックボクシングセット一式をバッグに入れて持っていきました。

何を思ったかアンディフグタオルも買っていました。
(試合の応援に行くんじゃねーぞ)

高田馬場にある道場に到着。
「すんません、ここに来るように言

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第9章 【アメリカンフットボール引退・帰国】

第9章 アメリカンフットボール引退/帰国

アメリカンフットボールシーズンの途中に、

自分の弱さをケガのせいにして、チームを去り、

目標を見失いながら私は5年間のアメリカ生活を終え日本に帰国しました。

一応、就職活動をしました。

面接官の挨拶の声の小さに失望しこの面接直後に、

辞退の連絡をいれました。

大学卒業→就職活動→就職、という発想がなかったです。

でも、どうしましょ。

日本

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第8章【アメリカンドリームの大きさに負けた日】

アメリカンフットボールでのケガは絶えませんでした。

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第7章【アメリカでの日々】とよ先生の半生記

合宿以外のアメリカの日々といえば、午後まで授業に出て、午後から練習が基本でした。

休みの日は宿題と自主トレ。試合の日は朝からチームに合流という感じです。

フットボールがシーズンオフの時はシカゴでの柔道大会に出場したりもしました。

とにかく、自主トレーニング。筋トレです。

筋トレが毎日の歯磨き。いや、呼吸のようになったのもこの頃です。

別に私が筋肉バカだからってわけじゃないです。

アメリ

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第5章【渡米】とよ先生の半生記

渡米の日。

ずっと1匹を売りにしていた高校生活だったのに、

友人が10人くらい空港まで見送りにきてくれてとても嬉しかったです。

さー、後は前を見て新しい世界に挑戦するだけ!

アメリカ、インディアナ州の小さな町、Valparaiso に単身乗り込みました。

まず、英語。

「話せる」と「思っていた」だけでした。

まったく通じません。

そりゃそうです。日本にいる時に相手をしてもらっていた

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第4章【アメリカ留学 準備と決意】とよ先生の半生記

高校3年生 進路選択の時期。

まず、説明しなければいけないのが、

当時の私のアメリカンフットボールへの思いです。

柔道部と兼部という形で続けてきたフットボール。

当時はテレビでたくさんアメリカのフットボールの様子が

放映されていて、フットボールを通してアメリカを見る機会が

たくさんあり私の憧れはどんどん大きくなっていきました。

特にテレビの放送の合間に流れた、強豪チームの選手が練習中

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