1995年自転車の旅|09|熊野灘
1995年(平成7年)秋。一人の青年が東京から鹿児島まで自転車で旅した記憶と記録です。
旅の7日目。
昨夜は気温が高く、寝苦しかった。汗をかいた。テントの中が汗臭くて気持ち悪い。
5:27の一番列車とともに起床。もっと寝ていたいが、駅前に張ったテントで惰眠を貪るわけにもいかない。朝食は、バーナーでお湯を沸かして、寿がきやのインスタント味噌煮込みうどんを掻き込む。味が濃くて美味しく感じられた。
出発の準備をしていたら、見知らぬおじさんがわざわざ車を止め、窓を開けて、
「熊野方面の道はキツいよ」
とひと言。親切で教えてくれたのだろうが、さあ、これからというタイミングでそれを聞かされると、気分が重たくなる。
あいにく小雨がぱらつき始めたので、空模様を見定めるあいだ、集落を一周し、神社に参拝。港の一角に腰かけていたご老人に、九鬼の集落と九鬼水軍の関係を尋ねたところ、
「ここは本家ではない」
との返答。ここいらは九鬼中将藤原隆信という人を祖に持つ土地なのだと、ぶっきらぼうに言う。水軍との関係はよくわからなかった。
8:15九鬼駅前を出発。
ビーチの美しい三木里の集落を経由し、9:30賀田集落に到着。現金が心細くなったので、郵便局でお金を下ろす。
昨日の経験で、海岸廻りの道の険阻さに懲りたため、県道70号を登って国道42号に合流するルートを選ぶ。
県道70号は、舗装は良好な反面、勾配が極めて厳しかった。今朝のおじさんの言葉が脳裏に浮かぶ。紀伊半島、どうやらどの道を選んでもキツいことに変わりはないようだ。
尾鷲市と熊野市の境、国道42号の大又トンネル(全長約1.6km)を抜ける。途端に雨。自転車を止め、一度外した雨天用の荷物カバーを被せ終えたと思ったら、スッと止んで晴れ間が覗いた。まったくもう。
再びサドルに跨がり、初夏を感じさせる陽気の中、熊野市街へ向けて猛スピードの大ダウンヒル。つまり、海浜の賀田集落から、それだけの標高差を登ったわけだ。一気呵成に下るために…。
熊野の街は古くからの建物が並び、小規模ながらも落ち着いた、雰囲気のよい佇まい。目の前が熊野灘というロケーションもうらやましい。通りを歩く高校生はすでに冬服だが、こちらはTシャツに短パン姿。自転車を漕いでいなくても寒さはまったく感じない。雨は完全に上がった。
駅の立ち食いそば屋で天ぷらそばを。たまに俗世に浸りたくなり、モスバーガーにも立ち寄る。海を眺めたりしてちょっとだけ長居した。
14:30熊野発。秋の西日の下、国道42号の真っ直ぐな道を新宮市街目指してひた走る。平坦な道は楽ちんだ。途中の店で米などを購入。
熊野川の幅広い河口を渡ると和歌山県新宮市。時計は16時を回った。見どころの多そうな街ではあるが、そろそろ連日恒例、一夜の宿探しに移らなくてはならない。熊野速玉大社を鳥居越しに拝み、天然記念物の「浮島の森」(街の真ん中にあって驚いた)を急ぎ足で見物しつつ、新宮市街を離れた。
旅のメモには記録がないのだが、勝浦の国民休暇村に立ち寄って、
「キャンプ場はありませんか?」
と確かめた記憶がある。なるべくなら野宿にならないよう、多少考えてはいるのだ。しかしながら、今回も答えは…。
結局、勝浦の温泉街まで走って公衆浴場でひと風呂浴び、そのあと、来た道をJR紀伊佐野駅近くまで戻って、海岸べりの目立たない林の中にテントを張った。
よく走った一日。結果的に10月12日以来の100kmオーバーの日となった。
【旅の7日目】
1995年10月16日(月)
三重県尾鷲市九鬼町 → 和歌山県新宮市佐野付近か
走行距離(当日)116.43km
走行距離(累計)690.17km
出費(当日)3,233円
出費(累計)14,980円
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