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1995年自転車の旅|09|熊野灘

 1995年(平成7年)秋。一人の青年が東京から鹿児島まで自転車で旅した記憶と記録です。

【前回のあらすじ】
 旅の6日目後編。
 尾鷲市街へ入り、地元スーパーで夕飯の買い物。尾鷲は、実際にはとてもこぢんまりとした街なのだが、それまで極端に人気の少ない山村漁村ばかり走ってきたせいか、随分と大きな街に映った。さらに先を目指し、眺望の開けていそうな海沿いの県道を選んだところ、とんでもない難路。疲れ果て、その晩は峠を下った九鬼の集落で一夜を明かすことに。JR紀勢線九鬼駅の片隅にテントを張る。

 旅の7日目。
 昨夜は気温が高く、寝苦しかった。汗をかいた。テントの中が汗臭くて気持ち悪い。
 5:27の一番列車とともに起床。もっと寝ていたいが、駅前に張ったテントで惰眠を貪るわけにもいかない。朝食は、バーナーでお湯を沸かして、寿がきやのインスタント味噌煮込みうどんを掻き込む。味が濃くて美味しく感じられた。

行商のおばさんの朝は早い
裏山は一面の杉林…一帯はとにかく杉林…花粉症の季節が恐ろしい

 出発の準備をしていたら、見知らぬおじさんがわざわざ車を止め、窓を開けて、
「熊野方面の道はキツいよ」
 とひと言。親切で教えてくれたのだろうが、さあ、これからというタイミングでそれを聞かされると、気分が重たくなる。
 あいにく小雨がぱらつき始めたので、空模様を見定めるあいだ、集落を一周し、神社に参拝。港の一角に腰かけていたご老人に、九鬼の集落と九鬼水軍の関係を尋ねたところ、
「ここは本家ではない」
 との返答。ここいらは九鬼中将藤原隆信という人を祖に持つ土地なのだと、ぶっきらぼうに言う。水軍との関係はよくわからなかった。

 南北朝のころ、南朝方の武将であった藤原隆信(平安末期、似絵の名手といわれた人物とは別人)が九鬼浦に居を構え、九鬼氏の初代となり、のちに信長麾下で名を馳せた九鬼水軍の発端ともなったようである。
「ここは本家ではない」
 とは、ネットの情報を流し見ただけでもさまざまな意味合いを含んでいそうだが、室町時代から戦国時代にかけて伊勢志摩に本拠地を移したのが主な理由か。事情を知らない観光客からしょっちゅう尋ねられて辟易していたのかもしれない。
 なお、藤原隆信の先祖は、平安時代に刀伊の入寇を戦った藤原隆家(NHK大河ドラマ「光る君へ」では竜星涼さんが熱演中)とされており、武辺の血が三百年を経て伝わったものか。

 8:15九鬼駅前を出発。
 ビーチの美しい三木里の集落を経由し、9:30賀田かた集落に到着。現金が心細くなったので、郵便局でお金を下ろす。

 昨日の経験で、海岸廻りの道の険阻さに懲りたため、県道70号を登って国道42号に合流するルートを選ぶ。
 県道70号は、舗装は良好な反面、勾配が極めて厳しかった。今朝のおじさんの言葉が脳裏に浮かぶ。紀伊半島、どうやらどの道を選んでもキツいことに変わりはないようだ。

ここまで登った!

 尾鷲市と熊野市の境、国道42号の大又トンネル(全長約1.6km)を抜ける。途端に雨。自転車を止め、一度外した雨天用の荷物カバーを被せ終えたと思ったら、スッと止んで晴れ間が覗いた。まったくもう。
 再びサドルに跨がり、初夏を感じさせる陽気の中、熊野市街へ向けて猛スピードの大ダウンヒル。つまり、海浜の賀田集落から、それだけの標高差を登ったわけだ。一気呵成に下るために…。

熊野灘めがけてどしどし下る!
大泊海水浴場
熊野灘は浦々にビーチがある感じ
観光名所らしい
入り口の写真のみ撮って先へ

 熊野の街は古くからの建物が並び、小規模ながらも落ち着いた、雰囲気のよい佇まい。目の前が熊野灘というロケーションもうらやましい。通りを歩く高校生はすでに冬服だが、こちらはTシャツに短パン姿。自転車を漕いでいなくても寒さはまったく感じない。雨は完全に上がった。
 駅の立ち食いそば屋で天ぷらそばを。たまに俗世に浸りたくなり、モスバーガーにも立ち寄る。海を眺めたりしてちょっとだけ長居した。

熊野市街

 14:30熊野発。秋の西日の下、国道42号の真っ直ぐな道を新宮市街目指してひた走る。平坦な道は楽ちんだ。途中の店で米などを購入。

七里御浜(しちりみはま)
黒っぽいごろごろ石の海岸が延々と続く
熊野川を挟んで新宮城址を臨む

バッグに入り切らない買い物袋はそのままぶら下げて
後ろの荷台には走りながら乾かすTシャツを括り付け
ややみっともないが、生活空間ごと移動しているのだ

 熊野川の幅広い河口を渡ると和歌山県新宮市。時計は16時を回った。見どころの多そうな街ではあるが、そろそろ連日恒例、一夜の宿探しに移らなくてはならない。熊野速玉はやたま大社を鳥居越しに拝み、天然記念物の「浮島の森」(街の真ん中にあって驚いた)を急ぎ足で見物しつつ、新宮市街を離れた。

熊野速玉大社は秋のお祭りの真っ最中だった
毎年10月15・16日は、熊野速玉大祭(御船祭)と呼ばれる大切な祭礼らしい
今日も見知らぬ土地で日が暮れる

 旅のメモには記録がないのだが、勝浦の国民休暇村に立ち寄って、
「キャンプ場はありませんか?」
 と確かめた記憶がある。なるべくなら野宿にならないよう、多少考えてはいるのだ。しかしながら、今回も答えは…。
 結局、勝浦の温泉街まで走って公衆浴場でひと風呂浴び、そのあと、来た道をJR紀伊佐野駅近くまで戻って、海岸べりの目立たない林の中にテントを張った。
 よく走った一日。結果的に10月12日以来の100kmオーバーの日となった。


【旅の7日目】
1995年10月16日(月)
三重県尾鷲市九鬼町 → 和歌山県新宮市佐野付近か
走行距離(当日)116.43km
走行距離(累計)690.17km
出費(当日)3,233円
出費(累計)14,980円


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