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1995年自転車の旅|08|ある日の尾鷲

 1995年(平成7年)秋。一人の青年が東京から鹿児島まで自転車で旅した記憶と記録です。

【前回のあらすじ】
 旅の6日目は、国道260号最大の難所といえる「錦峠」越えから始まった。峠越えのトンネルに辿り着いたところで、神戸からやってきたという自転車乗りのカップルと遭遇。紀伊半島の見どころを教えてもらう。その後、三重県海山町みやまちょう(現在は紀北町)で出会った銚子川の流れは、目の覚めるような美しく透明な青だった。

 旅の6日目後編。
 国道42号を尾鷲おわせへと向かう。ひと山越える形となる。

 尾鷲は大きな街だった。いや、そのときのぼくの目には大きな街に映った。昨日今日と、人影まばらな山村漁村ばかり走ってきたせいだろう。
 尾鷲市の2024年現在の人口は1万5千人弱。自転車旅の当時はもう少し多かったのかもしれないが、どちらにせよ、人の数だけ見れば「市」と呼ぶのをためらいたくなるような、こぢんまりとした街である。
「サンバースト」という、地元資本らしいスーパーマーケットを見つけて、夕飯の買い物をする。品物が豊富すぎて頭がくらくらする。東京を出発してまだ5日しか経っていないのだが。
 店の出入り口にはガールスカウトの女の子たちが並んで、大声を張り上げ、赤い羽根募金を募っていた。ぼくも子どものころ、カブスカウトのブルーの制服を着て、何度も同じことをしたのを思い出す。小銭くらい寄付しようと財布を取り出しかけたが、これからの旅程を考えればわずかでも節約しなくてはとの思いが浮かんで、結局、素知らぬ顔のまま彼女らの前を通り過ぎた。相手がガールスカウトだったため、薄汚れた野宿旅の自分の格好が恥ずかしく感じられた。それが本心か。
 尾鷲は昔から降水量の多いことで有名。この日もぱらぱらと雨粒が降りかかり、蒸し暑かった。

尾鷲市街。
ときの彼方に去った日常の一コマ。

 さて、そろそろ今夜の宿泊地を決めなくてはならない(何だかそのために毎日走っているみたいでもある)。
 地図を確かめると、この先国道311号に折れ、三木里みきさと集落まで走れば、海浜キャンプ場が待っているらしい。5日間の経験上、もはやキャンプ場にこだわる理由は見出し難いが、とりあえずの目的地としてそこを目指す。
 ただ、国道311号は、途中かなり長いトンネル(八鬼山やきやまトンネル)を挟む。海側の眺望もきかないと思われる。よって、JR紀勢線に沿って伸びる県道778号を経由することに決めた。
 けれども、これが思いも寄らないハードな選択となった。
 ここまで走ってきたのと似たり寄ったりの道だろうと高を括っていたところ、実際には比べものにならない難路。断崖絶壁の山肌を縫うようにひたすら上る。上り続ける。ここで漕ぐのを止めたら、途端に足が攣って立ち往生しそう。人跡はぷっつり途絶え、行く手は小暗い杉林に覆われ、果たしてこの道はどこにつながっているのか、いいようのない不安に襲われる。赤い羽根募金に百円玉一枚惜しんだ天罰か、などと、あらぬことを考える。

 ようやく道が下り坂に変わった。
 一転して恐ろしい斜度と急カーブのダウンヒルをこなし、九鬼くきの集落へ。
 無人駅が見える。もうこれ以上は走れない。今夜だけ寝床をお借りしますよと、駅前広場の隅っこにテントを張らせてもらった。
 今日の夕飯はちょっとだけ豪勢で、尾鷲のスーパーで買った「クジラのステーキ」。これに牛肉も足して、携行用のガソリンバーナーでじゅうじゅう炒める。デザートにフルーツみつ豆の缶詰めもついている。あっという間に平らげた。

普通に鮮魚コーナーに並んでいたが…いまでも売っている?

 それにしても、こうして連日旅をしていて痛感するのは、日本列島の隅々にまで人は住んでいる、という当たり前の事実。いわゆる「辺鄙」きわまりない土地であっても。東京がすべてでは絶対にない。
 そして、同時に、初めて訪れたこの九鬼という土地でぼくは、誰もいない駅の待合室のベンチに腰かけ、都会から飛んでくるラジオの音楽を、どこかホッとした、どこか懐かしいような気持ちで聴いている。
 この土地で生まれ育った子どもたちは、将来、大人になって、ここから出て行ったり、あるいは帰ってきたとき、何を思うのだろうか。
 尾鷲でガールスカウト活動に勤しんでいた少女たちは、これから一体、どんな人生を歩んでいくのだろう。
 ぼくは転勤族の子どもだったので、故郷を持たない。根無し草は寂しくもあり、気楽でもある。いまさら「ふるさとをつくってくれ」と望んだところで不可能なのだから、人は、その人の人生を生きるしかないのだ。

 その晩は、昼間の疲れを理由に、夕飯を終えた食器をきちんと洗わず、テントの外に放ったまま眠りについた。
 夜遅くなって、駅前広場を駆け回る複数の野犬の足音や唸り声が聞こえ、テントのすぐ近くにまで気配を感じたのは、夢か、それとも記憶の混線か。

三重県尾鷲市中心部
©Google Map
県道778号の難路(右下に九鬼の集落)
©Google Map

【旅の6日目】
1995年10月15日(日)
三重県南伊勢町古和浦(当時は南島町)→ 三重県尾鷲市九鬼町
走行距離(当日)83.25km
走行距離(累計)573.74km
出費(当日)2,993円
出費(累計)11,747円


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