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1995年自転車の旅|06|紀伊半島上陸

 1995年(平成7年)秋。一人の青年が東京から鹿児島まで自転車で旅した記憶と記録です。


【前回のあらすじ】
 静岡県福田町(現在は磐田市)の海浜で野宿。翌朝、10月というのに夏のような暑さの中、浜名湖へ。太平洋沿いに伊良湖岬から鳥羽へと渡ることに決め、渥美半島をひた走る。丘陵地帯を抜け、最後の峠道を越えると、夕映えに輝く伊勢湾が視界に飛び込んできた。日が暮れて、岬の突端からほど近い公園にてソロキャンプ(←などという洒落た用語は当時はなかった)。

 5:30起床。食事と撤収作業を済ませ、7:30に出発。
 伊良湖岬から鳥羽へ向かうフェリーは、8:30出港。

港のターミナル

 今日も天気は快晴。暖かい秋の日、朝早いにもかかわらず、フェリーには大勢の観光客が乗船していた。皆、週末(この日は土曜日)を楽しんでいる様子だ。

 船に揺られている間、となりの席に座ったお爺さんと世間話を交わす。
「高校生なのか?」
 と訊かれて、やや参る。
 船足は速く、思いのほか揺れた。
 9:30鳥羽港着。ちょうど一時間の船旅。港近くの近鉄・中之郷駅前で、エネルギー補給のカロリーメイトを囓ってから、あらためて出発。昨日の渥美半島のアップダウンで、脚に油が回ったらしく、今日は快調に走れそうな気が。まあ、そんなふうに感じるときに限って、あとからガタがきたりするものなんだけど……。

 さて、この先は国道260号を進んだのだが、そこに至る経路をどのように走ったか、記憶にも記録にもない。おそらく国道167号や県道を走りつつ、志摩の西へ抜けたと推測。ほんのちょっと回り道すれば伊勢神宮に参拝することもできたはず。しかし、このときは、そうした考えは浮かばなかった。伊勢よりも熊野に興味があったようである。
 国道260号は、漁村と漁村の間を小さな峠で繋ぐ、自転車乗りにとっては終わりの見えない波状攻撃を受け続けるルート。それでも、ほとんどのサミットがトンネルになっていたのが、気持ち的には助かった(峠のてっぺんまで上りきらなくてもよいので)。勾配も極端にキツくはない。

ときどき山間部も走る。

 日差しは強く、ここ数日で肘から先がみるみる焼けていくのがわかる。この付近はかなりの過疎地帯で、荒れた廃屋も数多く見かけたが、景色は抜群によい。
 穏やかな空気に包まれた古びた町並み。秋の透明な光に照らされた静かな坂道をゆっくり下った記憶は、今も忘れがたい想い出として残っている。

【上の写真、グーグル・ストリートビューにより、慥柄たしから浦の集落内で撮影したことが確認できた。当時は南島町、現在は南伊勢町。ビューを辿る限り、家屋の修繕や改築がだいぶ進んでいる雰囲気。30年前よりずっと寂れているに違いないと、勝手に思い込んでいた。申し訳ない。】

【集落の山側(北側)にはバイパスが開通した模様】

 途中、食堂を見つけて昼食。通りにはほとんど人の姿が見えないのに、なぜか店内は混んでいる。うどん定食を頼んだが、高い(840円)うえに量が少なく、しかも不味くてがっかりした。
 さて、地図を確認したところ、思いのほか距離を稼げていないことが判明。複雑な海岸線沿いに引かれた道は、カーブとアップダウンの連続なので、ぼく自身の意識ではかなり一所懸命漕いでいるつもりなのに、現実にはなかなか先に進んで行かない。これでは、今日のゴールと目論んでいた紀伊長島に到着するころには、日が沈んでしまいそう。
 昨日の洗濯物が乾ききっていないので、どこかできちんと干し直したい。可能なら、寝る前にテントに風を通す場所や時間を確保したい。
 入り組んだ湾の奥に位置する古和浦の集落に達したのが、15:30。
 ここから紀伊長島へは、尋常でなく曲がりくねったスーパーハードな峠道を越えなくてはいけない。無理だ。集落を通過し、トンネルを抜けた直後の左手に小さな休憩所を見つける。助かった!
 トイレは工事中だったが、湧き水の水道と、陰にはテントを張るのにおあつらえ向きな芝生スペースまであるではないか。
 ちょっと早いけど、今夜はここで。

目の前には西日に照らされた海が。綺麗だったな……。

 夕飯の準備をしていると、自転車の荷台にさかきのような木の枝をくくり付けたお婆ちゃんが通りかかった。引いていた自転車を止め、じっとぼくを見る。
「泊まるのか?」
 そうです、と答えたら、昼ご飯の余りだからと言って、大きな焼イワシを5匹もくれた。思いがけない出来事に驚いていると、続けざまに、
「イノシシが出るから気をつけろ」
 と言う。近々、集落でイノシシ狩りをする予定だとも。ほ、本当ですか?
「もしイノシシが出たら逃げます」
「逃げちゃダメだ。死んだフリしろ」
 ええ?!
 相手がクマであれば、死んだふりで難を逃れるという対処法は耳にするが、イノシシの場合もそうなのか。さらにお婆ちゃんは、
「もし出たら助けにくるから電話しろ」
 と言い、自宅の電話番号を二度、繰り返した(その番号はメモ帳に書き留めてある)。
 それにしても日本は広い。当たり前だが、東京に暮らしていて見聞きすることだけが、世の中のすべてではない。
 ありがとう、お婆ちゃん。
 幸いその晩、電話が必要になる事態は起こらなかった。


【旅の5日目】
1995年10月14日(土)
愛知県渥美町中山町岬(現在は田原市)→ 三重県南島町古和浦(現在は南伊勢町)
走行距離(当日)72.95km
走行距離(累計)490.49km
出費(当日)2,724円
出費(累計)8,754円


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