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私には、37兆個の応援団がいる

二十歳の時に亡くなった同級生のことを、たまにふと思い出す。

彼は病気だった訳じゃなく、亡くなる前日までは普通に元気だったらしい。
でも翌日の朝、起きてこない彼を心配してご家族が様子を見に行ったら亡くなっていたらしい。
彼の心臓は、何の前触れもなく急に止まってしまったのだ。

心臓が明日も動くことは当たり前のことじゃないんだって、そのとき知った。

この身体が毎日問題なく動いてくれること、
きっと凄いことなのに、いつしか当たり前のことに感じてしまう。

でもよく考えたらさ、年中無休で給料も出ない。
にも関わらず感謝もされない。それどころか自分の体のここが嫌だとか言われる始末。

身体や細胞の立場からすると、拗ねてストライキしたくなってもおかしくないよね。
それなのに、毎舜一生懸命、動いてくれている。

そう、どんな時も。

たまにこの動画を思い出す。
結構本質を突いてるんじゃないかと感じている。

たとえ暴飲暴食してしまっても、一生懸命消化してくれる胃。
こうしてひとつひとつの臓器や細胞たちが、全力で支えてくれている。

母のような無償の愛。

ウイルスが入った時は熱を出し、必死に戦ってくれる。

悲しい時や心が傷付いた時、脳が司令を出し
ストレスを和らげるために涙を出して、寄り添ってくれる。

胸に手を当ててみると、ドクンドクンと鼓動を感じる。まるで応援団が太鼓を叩いてくれているみたいだ。

いつだってひとりじゃなかったのだ。

現代では、人間の細胞は約37兆個存在すると言われているらしい。

ひとりどころか、37兆個の応援団がいつも私の中にいてくれたんだ。

よく「奇跡はなかなか起こらない」とか言うけど、自分が37兆個の細胞に生かされているということ。これって奇跡すぎやしませんか、、
奇跡はあっさり起こっていた。

この無償の愛に生かされていることを思い出せば、強くなれる気がする。

中村倫也が結婚しても、私には37兆個の応援団がいる。

人生で何か失敗したとしても、私には37兆個の応援団がいる。

周りに置いてかれてるような孤独を感じたとしても、それは勘違い。
だって私には37兆個の応援団がいる。最強すぎるのだ。

最近分かったことは、
孤独を感じた時って、だいたい外側の世界ばかりを見てしまっている、ということ。

そもそもこの孤独感って誰が感じてるんだろうって考えてみたら、自分の身体や細胞たちなんじゃないかと思ったりする。

外側の世界ばかり見て誰かと比較したり、自分には価値がないとか思っちゃうと
細胞たちが「いやいや、私らがいてるやん!こっちを見て!皆あなたのこと年中無休で応援してますやん!なんで気づいてくれないの?」っていう細胞たちの寂しさが、孤独感の正体なのかもしれない。

その外側に向けた矢印を内側に向けてみると、
応援団たちの愛に気づくことができる。
つまり誰もひとりじゃないってことじゃん。

この身体と心があるからこその私。
お金があったとしても、この身体がなければ使うことができない。
幸せだとされる環境にいたとしても、幸せを感じられる心がなければ、結局どこにいても苦しい。

そう考えたら、自分の身体と心を大切にすることは最優先事項だと思う。

これは決してワガママとかではなくて、むしろ逆。

自分の身体に感謝できてこそ、初めて周りの人を心から大切にできる気がする。
自己犠牲の上に成り立つ優しさなんて、
本当は、ないと思うんです。

だから私は、自分の身体と心を大切にしてる人を見ると信頼できる人だなぁって思う。

あと人ってどうしても「何か優れているもの」を持っていたり、「何かができるということ」が価値になると思いがちじゃないですか。

私もそうだった。
だから、これができるようになったら、とか
こんな自分になれたら、自分に価値を感じられるのに、、そんなことをいつも思っていた気がする。

長年、無価値観が強くて苦しかったなぁ。

でも逆だった。何ができてもできなくても、この命そのものに価値がある。

だから、自分には価値がないと思ってしまった時は、深呼吸をして胸に手を当てるようにしている。

鼓動を感じる。

あぁそうだった、生きてるだけで
もの凄い価値があるんだった。

今日私はまたひとつ歳を重ねた。

1番の相棒である、この身体。
今まで生かしてくれてありがとう。
これからもこの身体と共に、色んなことを味わって体験していきたい。

孤独を感じている人へ。
大丈夫、存在してる人みんな誰もひとりじゃない。この事実に気付けば、もう自分自身や他人を傷つけることはなくなると思う。

世界平和だ。

価値は生命に従って付いている
ほらね君には 富が溢れている

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