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さて、いくらかかったでしょう!?

いらっしゃいませ!
我が家に代々伝わってきた江戸時代の普請帳の中身を、令和の事務員がエクセルで紐解く話。第9話目(全15話)です。■初めから読む


大工さんのスケジュールが判明したところで、次はお金の話です。

都度払いの明朗会計

大工さんのスケジュールが記載された後、「銀払之覚」の題名で、支払った人と年月、金額が記載されています。
12月14日、12月15日、12月19日・・・と、発生都度支払われている様子です。


普請帳には、こう書かれていた!

銀払之覚
一 百三拾八匁五分 材木代
霜月八日吉日
一 四匁 彦平へ てうの初の祝儀
同日
一 弐匁 喜八へ同断
同日
一 弐匁 新五へ同断

文化財建造物保存技術協会 編著. 2010.3. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010839493

この後、支払い先は、「彦十、八郎、喜八」、支払った理由は「同断(←さっきと同じの意味=祝儀)」と続きます。その後も、かや(茅)、わら(藁)、釘代など、工事でかかったお金が記載されています。

最初に支払われたのが、霜月八日吉日(たぶん1788年11月8日)。
その後、翌年(1789年)の七月十三日まで支払いが続きます。


エクセルで計算してみた

原文を載せると、めちゃくちゃ長くなってしまうので、ひとまずエクセルで計算したのものを載せます。

銀1匁 2,166円
銀1分 216.6円
銀1厘 21.66円
で計算します。
計算根拠(外部リンクへ飛びます)は、材木代を計算した際と同じです。
小さくて見えないですよね。表をクリックすると大きくなります。


建設費

建設費(`・ω・´)ゞ

主な経費(建設費)

【材木代】
忘れた頃に出てきた、材木の合計金額(百三拾八匁五分)。

材木代と記載された金額は、木材を仕入れた時に記載されていた合計金額とピッタリ一致しました。

【祝儀】
祝儀を渡した相手は、先述のスペシャリストたちです。新五→新五郎、彦十→彦十郎、もう「郎」を書くのも面倒だったのでしょう( ;∀;)。 祝儀を渡した相手の中に、伝兵衛と栄蔵だけ名前がありませんでした。伝兵衛と栄蔵は、村人カウントだったのかもしれません。(この後の、関係者リスト(村人)にも登場します)

かや
屋根の材料(茅葺の家です)
15〆(貞四郎から6匁で購入) 1〆あたり866.4円
19〆(幸助から7匁6分で購入) 1〆あたり866.4円
誰から買っても、1〆あたりの価格は同じでした。(←価格統一されているようです)

【わら】
13〆購入(矢野ち・十助から5匁2分で購入) 1〆あたり866.4円
「〆(しめ)」という単位は、現在も使われているようです。

むしろ
5枚(貞四郎から2匁で購入) 1枚あたり866.4円
針のむしろでお馴染みの「むしろ」です。
偶然なのか、価格が統一されているのか、「かや・わら・むしろ」は単価が同じでした。

【作料】
大工さんたちの日当(←たぶん)

【貫】
壁面において、柱同士を水平方向につなぐ材のことのこと

【畳】
16畳購入(為蔵から五拾七匁六分で購入) 1畳あたり7,798円
これは、高いのか安いのか!?
ちなみに、現在の畳の価格はこんな感じです(外部リンクへ飛びます)
畳 【通販モノタロウ】 カーペット・フロア (monotaro.com)

【仕切之内】
仕切→売り手が買い手から受け取るべき代金
そこそこの金額(約563,160円)が、親方の彦平さんに支払われていました。現場責任者として、かかった経費を統括する役割もあったかもしれません。


前払金!?の件

前記事「どんな工事をしたの?」のところで、「これって前払金なんじゃないか?」と記事にしたの覚えてますか?

大工賄カ捨ニシテ作料銀弐百五拾目ニ定候

と書かれていた件です。
建設費の中から、彦平さんに支払われていた「仕切之内」だけを抜き出してみました。

最後「7月10日」の「仕切之内(相済))」の「相済」は「相殺」を意味するのではないかと思いました。(建設費の合計金額も、相殺済みということで、相済の10匁は計算から除外しています)
おそらく、250匁で最初に前払金を支払って、最終的に260匁かかったから、10匁追加で払ったの・・・か!?(たぶん)


酒・米代

建設費を合計して締めた後(〆九百拾九匁弐分五厘)、米代と酒代が記載されていました。

普請帳には、こう書かれていた!


一 七拾目 酒代(但百四拾目之内七拾目平用引)

一 米拾五石 飯米 代九百目六拾目かへ(但拾八石之内三石平用引)

一 七匁三分 喜八作料(但拾七匁三分之内拾匁平用引)

文化財建造物保存技術協会 編著. 2010.3. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010839493

平用引って何?

これも想像ですが、「自宅用」だったのではないのか?と思います。
自分で使う分と、村人たちに配る分を一緒に買って、自宅用と普請用に勘定を分けていたのではないかと思います。

お酒・・・呑みすぎじゃないですか?

酒代に70匁(約15万円)も使ってます。
どれくらいの量だったかは不明。
1升あたり2000円で計算したとしても一升瓶75本分です。

お米・・・何人で食べましたか?

米代は、ナント900匁(200万円弱)。
量が記載されていて、拾五石(15こく)買ったようです。
1石=150kg → 15石=2,250kg
1合=150gなので、5人家族で一人1日3合食べたとして、1000日分の量です。昔は子沢山だったとはいえ、いくら何でも多すぎます。
やっぱり、作業した後で「ご飯食べていきんさい。」か、「ご飯持って帰りんさい。」のどちらかを言っていたんだと思います(妄想ですが)。

お米を炊いたのは誰?

この大量のお米は誰が炊いたのでしょうか?
たぶん、働いてくださった方のお母様と奥様方でしょう。
現場で炊いたのか、それぞれの家に持ち帰って炊いたのかは定かではありませんが、男衆が一生懸命に家を建てている間に、薪で火を起こし、かまどでお米を炊いて労ったのではないかと思います。

この建て替えの目的が、「大飢饉をみんなで乗り越えようでぇ!」ということであれば、ご飯をみんなで食べることも大事だったのかもしれません(*'ω'*)。


合計金額(建設費+酒・米代)

合計金額と謎の作料

計算が微妙に合わない・・・

どう計算しても、合計金額が微妙に合いません。
材木代だってピッタリ合ってたのに。

ちゃんと記載されていました。
外ニ附落し幾ヶ條有之候哉 相知レ不申候
附落し:記入漏れ
幾ヶ條有之候哉:いくつかある
相知レ不申候:もう分かりません

「明日やろうは馬鹿野郎」
後でやろうとすると忘れる。
いつの時代も同じですね( ;∀;)


謎の作料

合計金額を記載した最後の最後で、
未九月渡作料六匁四分五厘
と謎の作料が記載されていました。

誰の?
頼むから彦平さんのだと言ってくれ!!
(詳しくは、次記事「大工さんのギャラ」をご参照ください。)


江戸時代の家の値段って?

銀払之覚の合計は、壱貫八百九拾六匁八分五厘( 約4,108,577円)になりました。これは、高いのでしょうか?安いのでしょうか?
しかも、費用の半分は酒と米代です。

江戸時代の家賃については、下記をご参考ください(外部リンクに飛びます)。
【東建コーポレーション】江戸時代の借家 (token.co.jp)

9尺2間(4畳半)で、家賃が月400~600文。現在の貨幣価値で月8,000円から12,000円前後だったようです。
それを考えると、戸建て(分譲)の価格としては、それほど大豪邸でもなかったのかもしれません。大飢饉で食べることすら精一杯の時の話ですから、そういった意味でも「程よい」家だったのかもしれませんね。


たくさんの方々の丁寧な仕事のおかげで、天明に建てられたこの家は、江戸、明治、大正、昭和を経て、戦時中は疎開先として家族の命を守り、平成、令和と現在もそのままの姿で残っています。

次回は、大工さんのギャラについて、もう少し深掘りしてみようと思います。

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