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プロとして
プロフェッショナルとはどういう事だろうか。某公共放送の番組に「プロフェッショナル」というのがある。私も好んで見ている番組だ。選ばれたプロフェッショナルの人達は、特段に自慢する事もなく、コツコツと自分の仕事を全うしているだけである。しかしながら、その裏に隠れている技術の習得、修練というのは半端ではない。鬼気迫る修行と言えるのか、表現することも難しい。また、特別にセンスがあるようにも思えない。しかも、口が開かず無口な人が多いようだ。ただ、信頼に値するほどの経験値からにじみ出る容姿というかオーラというのは凄みを感じる。

彼らは、プロフェッショナルという人達は、必ず「結果」を出すのである。プロなら必ず結果を出すことが「信条」だからである。結果が出るまで辛抱強く耐え忍んで、己と戦っているのである。言い換えれば「結果」を出すことができなければ「プロ」ではないのである。

では結果とは何だろうか。お医者さんであれば、健康を脅かす病魔と戦い命を救うことだろうか。お巡りさんであれば、市民の安全を脅かす犯罪や事件を解決し、市民の命を救うことだろうか。自衛隊や消防員は、、、国民の命を、、、スーパーの人であっても食を扱う以上は、、、食する衛生上のことから命を、、、働くという事は何らかの理由を経由して、結果的に国民であり、市民であり、人の健康や命を守ることに繋がっている共通点を持っているのではなかろうか。少なくとも、そういう仕事に就きたいし、誇りを感じるまでに修練したいと思っている。しかしながら、間違い無く「プロ」には、支えられてる、支えているパートナーや支持をしている人達がいる。表立って登場して来ることはなくても、この「プロ」と同じ「志」に共鳴している人である。また、チームであるとも言える。企業で言えばトップや会社の理念や方針に共通点があると言える。

我々は住宅を扱う仕事をしている。そこに住まう人々の健康や命を救うことはもちろんのこと、万が一の災害にも対応できることで、快適性を損なうことなく、不自由なく、安全で安心な健康的な暮らしができる住宅を供給するのである。もちろん個々において予算もあるし、働いている以上は、自信の報酬等もあるだろうが、まず先に「使命感」があるはずだ。医療も車の販売もそう思う。電車だけでなく身近なところでは、スーパーへの日常の買い物だけかも知れないが、「車」の運転さえも凶器を走らせているので、自分の運転で人の命や健康を奪いかねない事故を起こすリスクがあるのです。だからこそ「覚悟」がいるのです。どんなに準備をしていても、事故を起こすリスクがあり、万が一の為にも「保険」等にも自らの義務として保険料を支払い加入しているのである。しかしながら、自分の意思でお客様を蔑ろにして私利私欲の為に、自分の給与やポジションの保身のために、使命感を持たず覚悟がない人は「プロ」ではないのである。責任を回避しているようでは、「プロ」を名乗る「資格」は無いでしょう。

物理的な資格は勉強すれば、いずれは取得できるかも知れないが、人としての資質や仕事を従事できる資質、プロとしての資質は、気持ちだけでは取得できないのである。だからこそ「プロ」としての「称号」を容易く口にできないのである。

インフルエンサーの目的は、顧客ファーストではない。フォロワー数やアカウント増であり、その人の収入源(もしかしたら副業?)となっているもので、個人に特定の「有益な情報」ではない。私利のためである。むしろ、口下手なプロフェッショナルの言葉を無断で仕入れ、転売している商法なのである。その「道」のプロでない人の転売情報を鵜呑みにしている人がたくさんいる。情報社会の悪しき副産物かも知れないが、こういう商売もあるもんだと感心しているものの、とんでもない利益を上げて自慢(発信)しているから、これらをマネして(コンサルという形で数を増やすネズミ講である)汗をかくことはせず、PCだけの情報発信で利益を蝕んでいるのである。ただ、この蝕なんでいるユーザーというか、すっかり洗脳(マインドコントロール)されて、フレーミングにハマった人達が、我々プロの前に出て来て、それらしい戯言を発するのだが、情報の出元を聴いたり、情報の根拠を問うと、本当のプロよりもプロらしく振舞っている輩(やから)が発信源であることが殆どである。

それでも、プロは人の子であり、どんなに覚悟を持ったプロだからと言ってミスをすることもある。そのミスが原因で前へ進めない人も入れば、職を辞することもあるだろう。だからこそ、ミスは決して許されるものではないと心得ているのである。手を抜くということが許されないのである。だからこそ、どんなに小さなことでも些細なことでも、最善の準備と対策を練って取り組んで挑んで来るのである。

本当の「プロ」に出会ったことはありますか?出会えるように頑張りましょう。