見出し画像

「量」と「質」を考える
これらの言葉は理屈では必ずしも対義語でないが、社員の育成だとか評価方法、又は業績に至るまで、いや経営理念においても、相慣れない性質がゆえに両方を満たすことが困難になることは理論上において納得できる。しかしながら、モノサシ的に図る方法としては、良く用いられる表現方法である。

では、企業を起こそうモノなら継続して業績を短期間の内に、一定の規模を構築する必要がある。すなわち会社としての土台を築く方法である。「質」のことを気にしている場合ではない。手っ取り早く「量」を追いかけるのは賢明であり、次の手順として「質」を考えていくのが「セオリー」であることは間違いない。表現方法としては、「売上」(量)と「利益」(質)と言っても過言ではない。極端だが、クレーム度外視で清濁併せ呑むという方法論もあるのは事実です。

しかしながら、にわかコンサルタントや頭でっかちの倫理では「質」が最も重要視されている。ステートメント的においても「質」を担ぎあがる方が、メディアや消費者的には注目が集まるであろうか。では「質」だけで経営は成り立つのであろうか。少なくとも規模を拡大する上では「量」を無視することはできない。つまり、「売上」と「利益」のどちらを優先するかでは、誰のために売上を伸ばしているのか、誰のために利益を確保しているのかを問う必要があるということである。

この時期になると大手企業含め「決算」発表があり、店頭公開している(上場)企業は株主総会が開かれ、全ての業績を開示することが求められ、その結果によっては経営陣の評価等も議論されてしまいます。場合によっては代表取締役でさえ、日本を代表する外部役員などの肩書も関係無く、退陣を要求されることもある。

今の会社に求められている問題は何なのか?財務状況を立て直すことか、とにかく売上を伸ばすことか、利益を確保することなのか、、、、様々な問題点から優先順位となる近々の課題を見つけ出し、相応にふさわしい人員配置を適正に行うのである。企業のトップや各部署のリーダーが容易に変更されるのも、大概こういう理由である。

一方で、「女性」役員や幹部が一人も見当たらない。。。

これは政府の方針でも目標を掲げているからこそ、内情は抜きにして女性を登用せざるを得ない配置である。炎上覚悟で言わせてもらえれば、適正かどうかの問題ではないのである。では、予めそのような人事を登用するために、育成基準や評価基準、すなわち羅針盤などキャリアパスなどを構築すれば良いと思うのだが、、、、、余りにも能力に関係の無い既得権益の強い人材が権力を握っている場合など、感情論や私的事由、また容姿などにも左右されかねない。

女性を幹部に仕立て上げるのにとても苦労した経験があるが、やはり実行力ほど効いてくるものはない、つまり実績である。愛想が良いからとか、目立っているよりも、堅実的にチームや部署をまとめる力や、指導力が際立っている方が良いからである。当時は役員として、後方支援を行っていたものの、周りに何と言われようとも、頑として戦って来たこともあり、その根拠と裏付けが出来た事は大きいと思われる。(昔の話しだが。。。)

「量」だけを求めるのなら「量」を求める資質に応答できる育成が必要でしょうし、それ以外の育成を求めることを望まないようにしなければならない。逆に「質」を求めるのなら、「質」を求める資質に応答できる育成が必要でしょうし、自分よりも周りの成果(業績)を向上させる腹づもり(丹精)を向上させなければならない。

上に立つ人材ほど自分の功績を控え目にする姿勢を意識することが賢明であるし、その様子を部下の人は見ています。数字や分析の指標だけで判断すると、火傷を起こす場合があります。つまり、現場の声を聴いていないからです。優れた経営者ほど、経営幹部、経営に近い人ほど、人の話しをよく聞き、聴くのが上手です。ビジネスは設けてナンボかも知れません。利益を無くして会社の存続も難しいでしょう。しかしながら売上や利益を残した人は、歴史において名前を残していません。名前を残しているのは、史料として語り継がれるのは「人格」が整った人ばかりです。

最近メディアを騒がしている某中古者販売の会社ですが、会社の方針を語る上では一理正しい理屈がありますね。業績が悪い、お客様が来店される展示場が汚い、セールスイベント案内や広告が用意されていない。掃除が行き届いていない、でも収入(賃金」はキチンと支払われている。そりゃ〜怒られますよね。ポジションの降格も仕方ないでしょうね。厳しさと遵法性は異なります。社会的ルール違反や逸脱する行為は別にしても、昇給・昇格したのであれば、降格・減給はビジネスの社会では当たり前。競争原理である以上、仕方が無いことではあるものの、幹部以上が既得権益を実行して何らかの責任を取らないのはマズイと思いますが。。。

「量」と「質」を考えるよいきっかけになっていると願います。