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芥川賞・直木賞を受けて感じる作家の凄さ

お久しぶりです。2023年、最初の投稿ですね。

何か書きたいなと思ってはいたものの、中々手が動かずにここまで来てしまいました。何かを生み出す時っていうのは、いつも突然訪れます。

今回は、ついこの前発表された第168回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)を受けて、「読むこと、書くこと」について関心を持つことになったので、今年の執筆活動の足掛かりとして、この拙稿を書いていこうと思った次第です。

今回の芥川賞・直木賞は、それぞれ二作ずつの選出となり、合計四作品と豊作になりました。これは中々凄いことのようで、本を売る側としては嬉しいことでしょう。それと同時に、買う側(読む側)としても、楽しみが広がって良いことだと思います。なにより、由緒正しき賞に値する作品が2023年になってすぐに四作品も生まれたのです。作家の皆様の血の通った努力の結晶を、この機会に味わってみましょう。私も、この数日の寒波や仕事での疲れから、まだ書店へ足を運べてはいませんが、今週末にでも、書店へ足を伸ばそうと思います。

そんな中で、実は昨日、短編小説を書こうとnoteで筆を走らせました。しかし、書き始めて10分少々で手は止まってしまいました。舞台設定、人物像、メッセージ、ストーリー。考えることは山ほどあります。虚構を、ただただ自由な発想に身を任せて書き連ねようとしても、天才でもない限り書き切ることはできませんでした。

こうして、改めて、作家の偉大さを噛み締めるのでした。皆さんも、何かテーマを決めて小説執筆にチャレンジしてみてください。思わぬ発見があるかもしれませんよ。

結論、私はこうして現実を現実のまま描写することに向いてると思います。ノンフィクション作家として、素人ながらも筆を取っていければと思います。そもそも書くって楽しいことですが、先の見えないトンネルを進むようで、物凄く不安で不安定で不確実で、エネルギーを使うことなんですね。

この苦しみを知っている人はどれ程いるでしょう。多くの人は、読書感想文なんかで「生みの苦しみ」を味わったことでしょう。しかし、それはまだ序の口で、自らテーマを設定し、筋のとおった文章を作るとなると、より一層、生み出すことの難しさを感じることになります。端的なものは、卒業論文でしょうか。一万字を越える文章を体系的に書き切るという経験は、そこそこ価値のあることです。

とにかく、読むことに惹かれた私は、書くことにも惹かれたのですが、やはり頻繁に納得の行く文章を書けるほどのエネルギーもセンスもありません。それでも、こうして思い出したかのようになんとなく書き始めると気づけば1000文字を越えているわけですから、これまでの訓練は無駄じゃなかった気がします。思い返せば、大学時代に本を読み終わる度に書評を書き始め、授業でコメントペーパーやレポートを求められれば、その度に真剣に文章を書いてきました。こうして、インプットとアウトプットを繰り返すうちにノンフィクションであれば、ある程度はまともな文章を書くことができるようになりました。

色々と書きましたけども、フィクション作家(小説家)の凄さというのは圧倒的で、現実世界から卓越した感性、観察眼を駆使して何かを削りだし、それを抜群の表現力によって磨いていく確かな能力が彼らには備わっているのです。

そんな作家に憧れながらも、私は私の場所で、細々と誰かに響くかもしれない、そんな可能性を秘めたエッセイを書き続けようと思います。

芥川賞・直木賞作家の作品については、四作品読むことはできませんが、一冊は読みたいと思いますので、その時は、また久しぶりに書評といいますか、読書感想文みたいなものを書けたらと思っていますので、またよろしくお願いします。

言葉を愛する皆さん、言葉の力を信じる皆さん、表現を大切にする皆さん、今年もよろしくお願い申し上げますね。ではでは。




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