見出し画像

素晴らしき国民皆保険制度と生命保険の関係性

結果的に医師が日々接する患者さんの属性はそれなりに偏りがあります。(中略)

健康への意識があまり高くない集団はというと、生活にあまり余裕がない層になります。所得レベルが低い人も多い。(中略)

結果として患者さんは高齢の方や健康への意識があまり高くない人の割合が必然的に高まります。

この描写にはハッとさせられた。「日本の国民皆保険制度は世界に誇るべき仕組み」と医療福祉関係者は口を揃える。

その理由は「所得が低く健康意識の低い人間が、治療を受けられないまま放ったらかしにされることがない」からだ。

そのような事態になれば、日本の治安はたちまち損なわれるだろう。健康を失うと人は平静を保てなくなるし、お金がなくて失うものがないのだから犯罪に手を染めるハードルは極めて低くなる。

巨額の社会保障関係費は、国民皆保険制度という治安維持装置に使われているのである。

外国人労働者を受け入れるか否かの議論で「治安が悪くなる」という反対意見をよく聞くが、これは正確ではなくて、「日本に来たはいいが生活の糧を得る手段がなく、放置された人間が増える」と治安が悪化するのだ。

日本に手厚い社会保障があるとはいえ、カバーされていない要素はやはり存在する。病室を少人数または個室にするための差額ベッド代、食費、歯ブラシなどの各種消耗品などは公的保障の対象外だ。

昨今はテレワークに浸透により病室で働くことも可能になっているが、社内情報を他の人間が聴いているところで喋るわけにもいかない。特に責任の思い役職の人たちは仕事を続けるためにも個室への移行はかなり重要度が高いのではないか。

昨今進んでいるインフレも食費をはじめ各種費用を膨らませる要因だ。「民間の生命保険は贅沢品だ」といえば確かにそうなのだが、入院時のQOL追求のために保険料を払える層が各自で備えるのは選択肢としてアリだと思う。

ちなみに、日本の社会保障の持続可能性については、「自身の意思によって生涯を終えることの権利とも向き合わなくてはいけない」と本書は述べている。

認知症でまともに日常生活を送ることができず、家族からの見舞いも途絶える中で、医療技術によって延々と生きながらえている患者の様子を見ながら、至った考えなのだろう。

ある種筋が通っているようにも見えるが、現実問題として自ら安楽死を選ぶ人間はそこまで多くはなさそうに思う。

持続可能性を語るのであれば、「一箇所に集まっての集中管理」のような効率化策か、「富裕層から高額な医療費を支払ってもらい、その分だけ他の人に安く提供する」という再分配方式に流れることが考えられる。

人口減少の煽りを受けて赤字の医療機関も増えていることから、病院における方針転換の波は徐々に始まりつつある。

保険会社は保険金を支払って終わりではなく、その後に続く人々の生活も想像すべき時代に突入しつつあるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?