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2. Cuccagna シェフ ・ 今木宏彰さん(2/4) “料理とイタリア”  現地へ渡った料理人のちいさな20の物語

 無事審査に通った今木さんはイタリアへ向かい、2ヶ月間の研修プログラムに参加。初めてのイタリアであり、初めての海外渡航だ。携帯電話もまだ普及していない時代であったから、今のようにSNSで気軽に連絡が取れる私たちから考えると、その孤独さは計り知れない。飛行機に乗った時から、日本と断絶されたような緊張感が今木さんを覆った。ただその時はまだ、ともに研修を受ける日本人に囲まれた生活であり、戸惑いも少なかったという。研修プログラムが終わると、今木さんは希望していたイタリア北東部のエミリア・ロマーニャ州へ。いよいよ完全に、日本人ひとりという生活のはじまりだ。
 研修機関からはリッチョーネにある[Ristorante il Casale]を、紹介してもらうことに。リッチョーネは、エミリア・ロマーニャ州のリミニ県にある港町で、夏はバカンスを楽しみに州外からも多くの人が訪れる。アドリア海に面したビーチには、気持ちの良いほど眩しい青空が広がる。
 当時ヨーロッパにはステージと呼ばれる料理人の実地体験システムがあった。外国人の料理人を対象としたもので、食事と住居を用意してもらいRistoranteで学ぶ。今木さんもステージを利用して、[Ristorante il Casale]で修行することになった。シェフのマンマとその家族で営まれRistorante。そこで、リッチョーネのあるロマーニャ地方の郷土料理を学ぶ。手打ちパスタはもちろんだが、Piadina(ピアディーナ)の美味しさを、初めてこの街で知った。タコスのようなその見た目は、小麦粉とラード、水、塩を使ってつくられるシンプルな生地。リッチョーネでは人々が貧しかった時代にパンの代わりに広まり、現在も愛されている郷土料理だ。昔ながらの食べ方としては、チーズやハム、野菜などを包んで食べられる。他にも、パルマ産の生ハムやストラッキーノチーズを挟んだピアディーナに、地元の牛肉ステーキを薄切りにしサラダを挟んでバルサミコをかけたピアディーナなど、具材が変われば見せる表情も変わる。最近では、Piadineria(ピアディネリア)と呼ばれる、専門店もあるそうだ。

「エミリア地方とロマーニャ地方は、同じ州でも料理が少し異なりますし、同じロマーニャ地方の中でも街によって伝統的な料理が少しずつ違う。ピアディーナも、ここのピアディーナは生地が重たい、ここのものは軽いとか。生地自体が変わってくる。そうやって食べ歩くことからはじまって、休日になると近郊はもちろんちょっと離れたところまで、『Gambero Rosso(ガンベロ・ロッソ)』や『ミシュランガイド』を見ながら、足を運びました」

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[Ristorante il Casale]のマンマと娘のマリエラさん


イタリア人の気質やエネルギーに圧倒される日々

 今木さんは、イタリア語が全くわからない状態で現地へ渡航し、語学学校に数ヶ月通ったわけでもなかった。でも次第にコミュニケーションが取れるようになっていく。そこには今木さん独自の、勉強方法があった。
「語学がままならなかったので、いろいろ料理を知りたくてもわからないことだらけ。かといって、どうやって勉強したらいいかがわからなかったんです。一つだけラッキーだったのは、部屋でNHKのイタリア語講座の教材を見つけたこと。どうやら、以前そこで働いていた日本人が10冊置いていったようなんですね。それを読み漁りました。あと、毎日厨房でよく耳にする単語をとにかくカタカナでノートにメモして、帰ってから辞書を引く。日本人と違ってイタリア人は、僕から話していかなければ『こいつは話したくないんだ』と考えるんだ、ということにも気づいてきて。日本人だったら言葉がわからないのかな?大丈夫?と気にかける人が多いと思うんですが。だから語学はままならなくても、とにかく話しかけていくことで彼らに受け入れてもらおうと努力しましたね。その甲斐もあってか、すごくかわいがってもらえました」

 次第に語学力が身についてきた今木さんは、その仕事ぶりが認められ、今後の条件交渉をするような機会も得ていった。ステージは基本的には無給で働くが、その後もRistoranteで働き続けるには、オーナーたちに必要とされる存在にならなくてはいけない。必死に毎日取り組んだ今木さんは、覚えたイタリア語も駆使して、給料をもらえる立場になった。そうして約1年間、[Ristorante il Casale]で働いた。

「あるとき営業中に、停電になったことがありました。街全体のブレーカーが一気に落ちたんです。その時すごく焦って。日本だったら、真っ暗な状態で営業を続けるのは難しいじゃないですか。でもこの事態に、お客さんたちが拍手をしながら『ヒュー!! ヒュー!!』と言ったり、店の中が賑やかになってきて。どうするんだろう?と、シェフに聞いたら『えっ、営業するに決まってるじゃないか』と。『みんな蝋燭を持ってきてくれ!』と言うと、Cameriere(給仕)たちがどんどん蝋燭を持ってきて、お店中に並べ始めたんですね。暗闇の中で灯る数々のキャンドルが、すごく幻想的で綺麗で。もちろん厨房にもキャンドルを。そういうハプニングをひっくり返す、イタリア人の気質やエネルギーに圧倒された経験でした。日本だと、どうしてもネガティブな方向に考えてしまうような。何か問題が起こっても、逆の発想で良い状況へ変えてしまう。すごく興味深かったですね」

 1年働いていれば、時には具合が悪くなることもある。そんな時に、シェフでもあるマンマが「しんどいなら、これを食べなさい」とつくってくれたのが「Riso binanco(リゾ・ビアンコ)」だった。湯がいたお米にたっぷりのオリーブオイルとパルミジャーノをかける。「具合が悪いのに、オリーブオイル……? しかもチーズかぁ」と不安に包まれたが、ひと口食べれば、その疑いは一瞬のうちに晴れた。
「ああ、なんて美味しいんだろうって。究極にシンプルな美味しい料理ってこれなんじゃないかって。お腹が痛い時にオリーブオイルをどばどばかけている様子には、本当に『え〜……』という感じでしたが、いい意味で期待を裏切られたというか。さらさら食べられたんですね。やっぱりお母さんの味やなって。イタリア料理の素晴らしいところは、マンマの味ということなんやなって。相手を思う気持ちが美味しい料理をつくる、そう実感したんですね。料理人もみんな『俺のマンマが、一番料理がうまい』って、本当に言いますし。それでちょっと日本のことを思い出したりりもして」

少しずつ、でも着実に、イタリアとイタリア料理に魅了されていく。家庭料理から広がるその世界をもっと、もっと知りたいと思うようになった。


「こうでなければならない」というルールを、問い直す

「厨房で学んでいくうちに、イタリア人は、わりと合理的な性格なんじゃないかなと思うようになりました。例えば野菜の掃除をしていたとして、『何で、皮をとるんだ?』と聞かれて『ここは苦くて、口に残るでしょう?』と言ったんですね。日本ではそうやって教えられてきましたから。すると『お前、食べたことあるのか?』と言われて。『ない。日本ではこれを取るのが当たり前だから』と答えると、『誰が言ったんだ!? 食べたことないんだろう? 食べてみろ』と。『口に残るか?』と。それが、残らなかったんですよ。『ほら、そしたら取って捨てる必要ないじゃないか。もったいない。そこが旨味に変わるんだよ』って。そうなんだ……と驚きでしたね。そういう、無駄がないやり方をする。ある時もブイヨンをつくろうと、日本でやってきた通り、血抜きをするために鶏肉を水にさらしていたたら、『何やってんの?』と。『臭みを取るために、血抜きしている』と答えたら、『臭みって、それが旨味じゃないの? 水にさらすことで、肉の旨みを逃してるのか? しかもその間ずっと水を流し続けて、もったいないじゃないか。いつブイヨンができるんだ?』と。『2日後です』と答えたら、『水に晒さないで出汁をとって、飲んだことはあるか?』と聞かれ、そういえばないなぁ……と(笑)。日本で料理をしていると、結構こうしなければならないというルールがあるのですが、わりとそれがひっくり返されることがあって。必ずしもイタリア料理にはそのルールがハマらないこともあるんだ、と感じました」

 野菜は色鮮やかで食感が残るように火を通し、繊細に調理をする日本。でもイタリアに来てみれば、その尺度が変わってくる。例えばアスパラガスを色鮮やかに湯がいてみれば、「これは生。ここまで湯がくんだ!」と、湯がきなおされた。それまで見てきた綺麗な緑が、一転、どす黒い見た目に。でも食べてみると口の中に甘みが広がり、圧倒的に、このくたくたのアスパラガスが美味しかった。
「イタリアは日本よりも乾燥しているし、太陽の光も強い。土地のミネラルも豊富。だからできあがる野菜も力強い。軽く調理したくらいでは、旨味が出ないことを知ったんです。でも日本でも、伝統的なイタリア料理をつくろうと思ったら、国産の野菜を使う時でも、イタリアに近い火入れをすることが大切だと思いますね。日本の野菜は瑞々しいので全く同じように火入れする必要はないけれど、色や歯応えよりも力強い旨味を引き出すことが重要だと思います」

1年が経った頃、今木さんは新しい環境で学ぼうと、お店を出ることに決めた。[Ristorante il Casale]のシェフに紹介してもらい、中部イタリアのウンブリア州にあるRistorante[Taverna del Lupo]へ出向いた。


“料理とイタリア”  現地へ渡った料理人のちいさな20の物語 ー 2. Cuccagna シェフ・今木宏彰さん(3/4)につづく


<Information>今木宏彰さんのお店
シチリア料理専門店 Cuccagna

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