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2. Cuccagna シェフ ・ 今木宏彰さん(1/4) “料理とイタリア”  現地へ渡った料理人のちいさな20の物語

 [Cuccagana]に初めて行ったのは、少し眩しい日差しのなか桜の花びらが風と共にゆっくり舞う、ある春の日だった。シチリア料理のお店があると知って、梅田駅から御堂筋線に乗って、緑地公園駅で降りる。駅前の桜を眺めながら、少し先に見えるイタリア国旗を頼りにお店を目指し歩いた。

 南イタリアには、私はわずかしか訪れたことがない。バーリやアルベロベッロ、プローチダ島には行ったことがあるけれど、シチリアには行ったことがない。
 でも[Cuccagna]で店内に射し込む陽の光を浴びながら、目の前の料理を口にすると、不思議と過去の南イタリアの様子が頭の中に、断片的に蘇ってくるようだった。そのシンプルな料理の奥にある、食材の瑞々しさとシェフの視点は、私の中で南イタリアの記憶を凝縮し、まだ見たことがないシチリアを想像させる、そんな初めての体験をした。一つひとつの食材を、時間をかけて味わいたくなる。次の料理はどんなものなのだろう?と、食材の新しい魅力を知る(あるいは改めて感じる)ようなワクワクする体験だった。
 イタリアのラジオがかすかに流れ、陽気な光が射す、ちいさなお店。その空間は、心の中に閉じ込めたくなるような暖かな空間だった。

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[Cuccagna]のスペシャリテ・レモンのパスタ

 

シェフの今木宏彰さんが、[Cuccagna]をオープンしてから16年。現在も2〜3年に1度はシチリアへ通っている。今木さんと会ったのはまだ数回だけれど、その太陽を背負ったような明るい雰囲気と、軽やかでありながら着実に、美味しさという芯の通った料理を手がけていく姿は頼もしく、まさにお店の雰囲気は今木さんそのもの、という感じだった。
 そんな今木さんが初めてイタリアを訪れたのは、27年前。25歳というまだ青年の頃だった。

手づくりのおもしろさと、シンプルな潔さ

 もともと、料理には全く興味がなかったそうだ。高校時代は格闘技に励み、体育大学への進学を目指して練習を重ねる日々。将来は体育教師やスポーツ関係の仕事をしたいと、夢へ向かって一歩一歩進んでいた。でもその夢は叶わず、諦めることになった。そこから今木さんの料理人への道がはじまる。
「目指していた夢を叶えることができなくなって。じゃあどうしようか、と改めて考えなければいけなくなりました。そんな時、実家が飲食店を営んでいたこともあって、両親から調理師学校に行ってみたらと勧められて。今までやったこともなかった料理に挑戦してみることになったんです」
まずは、大阪の辻調理師専門学校へ進学。今までとは全く違う、新たな日々がはじまった。料理に興味がなかったというが、イタリア料理には惹かれるポイントがあったと語る。
「勝手なイメージではありますが、パスタ生地を練ったりするイタリア料理は、フランス料理や日本料理に比べて、どこかダイナミックなイメージがあって。美術や工作が得意だったので、自分にはあってるんじゃないかなと思って専攻したんですね」
 卒業後の進路を特に思い描いたわけではなく、黙々と学んだ。今木さんが最初に感じた感覚はまさにビンゴで、ピッツアや手打ちパスタなど生地を捏ねてつくりあげることに、手づくりのおもしろさを感じ、魚を丸ごと一匹オーブンでバッと焼き上げるシンプルでダイナミックな調理法など、その潔さにも夢中になった。
「今までやったことがなかったので、全てがすごく新鮮だったんですよ。イタリア料理専攻科の先生も陽気で楽しかったのもありますね。それに、つくったものを初めて食べてみたら、わりと美味しいじゃないかって思って(笑)。自分でもできるんだ、と熱中していきました」

 卒業後は先生に薦められるまま、神戸の老舗レストランへ就職した。寮に住み、明け方から掃除や仕込みの手伝いがはじまる。昼には先輩たちのお腹の具合を聞きながら、賄いをつくる。今のようにスマートフォンはない時代。一生懸命に料理書を調べて、先輩たちが「食べたい」とつぶやくメニューを、つくっていった。褒められる時もあれば、「うまくない」と残されることも。夜になってすべてが終わると、ようやくイタリア料理を教えてもらえる。先輩から材料を渡されて「つくってみな」と、パスタの練習がはじまった。
「練習といっても、手取り足取り教えてもらえるわけではないので、普段からどれだけ先輩たちの料理を見ているかというのが重要で。自分なりにやってみて出したものを、評価される。その連続でした」
 そのお店は当時では珍しく、オーナーは1970年代頃にイタリアで修行を積んだ人だった。ロンバルディアやローマ、ミラノの有名レストランを中心に渡り歩き、そこで学んだスペシャリテが看板メニューとして立つ。帰国後もイタリアへ定期的に通うオーナーは、伝統的なイタリア料理を届けようと、中には現地から仕入れた食材を使って考案したメニューも。お店の雰囲気も、限りなくイタリアを感じるスタイルを追求していたという。働くメンバーの中には、イタリア人の姿もあった。まだ見ぬイタリアのイメージが今木さんの中で、少しずつ蓄積されていく。

 その店は他店舗展開をしており、今木さんが働いていたのは南イタリア専門のレストランだった。ピッツァの担当からはじまって、数年後にはキッチンであらゆるポジションを経験。その後、今木さんは新たに、大阪のRistoranteへ足を踏み入れた。
「その当時は、イタリアでは“ネオ・ルネッサンス”といって現代イタリア料理の興隆を思わせる、『ミシュラン・ガイド』で星を取るようなリストランテが出てきた頃でした。創作的な新しいスタイルの料理が出てきた時代だったんですね。それによって、日本のイタリア料理店も、その流行に乗る雰囲気が生まれていて。僕が新しく入った店も、そういう創作的な“Nuova Cucina(新イタリア料理)”と呼ばれるメニューを手がけるRistoranteでした。でも、僕がもともと修行してきた店は、イタリアの伝統的な郷土料理を提供する、Osteria(オステリア)やTrattoria(トラットリア)を意識したスタイルだったんですよ。入ったのはいいものの、感覚が全然違って。働くうちに、僕の中でやってきたことと、店の目指すところの温度差がすごくあることがわかって、ズレがでてきてしまった。僕自身も、これってどうなんだろう?と疑問を抱く場面が多くて。最初のお店で見てきた料理と、今のイタリア料理の主流だと言われる料理が違いすぎる。どっちが本当なんだろうか? どっちが正解なんだろうか?と、戸惑うようになったんです」


本当のイタリア料理を探して

 まだ訪れたことがないイタリアで流行しているという、新しい料理の動き。そこと対局するかのような伝統的な料理の存在。“今の”イタリア料理とは、本当はいったい何なのだろうか。本場のやり方とは? リアルな姿とは? モヤモヤと葛藤ばかりが、ふくらんでいった。料理学校を出て、料理人として働く歳月が4年経った時、「現地に行って確かめよう」そう、心に決めた。

「イタリアに行くことを決めたのですが、その当時の給料ではすぐに渡航することができず、アルバイトをはじめました。Ristoranteをやめて、チェーン展開をしている普通の飲食店です。やはり街場のRistoranteでは、渡航費を貯めることは難しかったので」

 イタリア渡航に向けてのアルバイト生活がはじまった。当時の葛藤を解決するべくイタリア行きを決めたわけだが、実現までは約3年間という歳月がかかった。Ristoranteから離れチェーン店で働くという選択は、初めの決意から時間が経つに連れ、新たな葛藤になる可能性もあったのではないだろうか。

「チェーン展開でパスタを出す飲食店だったのですが、そこのオーナーさんがすごく理解がある人だったんです。Ristoranteにいた人間が働きにくることは稀でしたし、『君みたいな人材は、なかなかいない』と言ってくれて、メニューを任されるようになったんですね。どんどん考えて、君がいいと思うことをやってくれって言われて。もちろんイタリアに行く資金が貯まったら辞めさせてもらうことは最初から伝えていたのですが、しばらくして店長を務めることになりました。自分のやりたかった料理を自由にできたので、僕も楽しかったんです」


1994年、ついにイタリアへ旅立つ時がやってきた。
行き先は、エミリア・ロマーニャ州。イタリアについてまだあまり知らない状態で、書物を調べたり情報を求めていく中で、気づくと「美食の街・ボローニャ」という言葉に頻繁に出会ったからだ。でも現地に伝手があるわけではなかった。そこで今木さんが選んだのは、ICIFという機関が行うイタリアでの研修プログラムだった。イタリア北部のピエモンテ州の州都・トリノの郊外で行われる研修プログラムに参加し、終了後はそこから実務経験を積めるRistoranteなどを紹介してもらう。こうして初めての、海外生活がはじまった。


ー“料理とイタリア”  現地へ渡った料理人のちいさな20の物語 ー 2. Cuccagna シェフ・今木宏彰さん(2/4)につづく

<Information>今木宏彰さんのお店
シチリア料理専門店 Cuccagna

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