見出し画像

1. Trattoria 29 /29 in bottiglia シェフ・竹内悠介さん(2/3)  “料理とイタリア”  現地へ渡った料理人のちいさな20の物語


 日本に帰国してからちょうど半年後、竹内さんは再びイタリアへ戻る。今度ははっきりとした期限は決めずに、イタリア各地で働くことを目指す。まずはフィレンツェに入り、以前勤めていた[Vinolio(ヴィノーリオ)]の同僚・横内さんとその友人でアクセサリー作家の舞さんと合流して近況報告が交わされた。
 その後の話だが、この舞さんは竹内さんと結婚をする。2011年に開店した[Trattoria29]は竹内さんと舞さん二人で切り盛りされ、後に横内さんもメンバーに加わる。ともにイタリアで「美味しいイタリア料理」を探し、食べ歩いた3人。それぞれの心の中にある料理や店に対する意識はイタリアで育まれ、自然と共通する感覚となった。


ボローニャの山奥にある、一つ星のTrattoriaで

 さてイタリアに戻ってきた竹内さんは、予定通り[Trattoria da Amerigo(トラットリア・ダ・アメーリゴ)]へ出向いた。よく、本当に美味しい店は中心地ではなく郊外にあると言われるが、この店もその言葉通り、エミリア・ロマーニャ州ボローニャの山奥の町に1934年に生まれた。ボローニャの中心地からは車で約1時間かかるが、『Gambero Rosso(ガンベロ・ロッソ)』はもちろん『ミシュランガイド』にも載っており、一つ星を獲得している。
「ボローニャは生パスタがすごく有名。Tortellini in brodo(トルテッリーニ・イン・ブロード)という、小指の爪の先くらいのラビオリをスープに浮かべる郷土料理があるのですが、この店のそれがすごく美味しい。あと意外に思われるかもしれませんが、イタリアの料理店でも、コースの最初から最後まですべて美味しいというのは珍しくて。シェフの得意・不得意が現れるというか。でもこの店は、すべての料理を丁寧に作っていることがしっかりと感じられるんです。最後のひと皿まで美味しさで満たされる。そういうお店でした。シェフは女性で、僕が働いていた時に60代前半ぐらい。午前中は近所のおばあちゃんたちが2〜3人働きにやってくるのですが、彼女たちがパスタ生地をつくるんですよ」

画像1

 竹内さんが[Trattoria29]で出していたパスタメニューは、すべて生パスタだ。生パスタづくりは、乾麺のパスタとは違う奥深さがあるという。繊細な作業が伴い仕込みは大変というが、そこに楽しさがあるのだそうだ。
「僕だったらすべての材料のグラム数を計ってつくりたいところを、おばあちゃんたちは、結構目分量でつくるんですね。でも最終的には、すべてのバランスをピタッと合わせてくる。その辺は本当に目を見張るものがありましたね。シェフのアンナは、イベントで100人前を作らなければならないような時でも、塩加減をぴったり決めてくる。それを見ているだけでもすごく楽しかったですね。本当に歳を重ねて得た技術というか。ただひたすらに、圧倒されてしまいました」


画像2

[Trattoria da Amerigo]のシェフ・アンナさん

画像3

リコッタチーズを詰めたトルテッリをつくる様子

画像4

ファルファッレ

画像5

[Trattoria da Amerigo]の仲間たちと

城壁に囲まれた小さなRistoranteで知る、新たな世界

[Trattoria da Amerigo]での契約は半年間。そこで知り合った日本人の料理人に教えてもらい、次はマルケ州のグラダーラという、ちいさな町で働くこととなった。このグラダーラは山の上にポツンとある、城壁に囲まれた町で、城壁の中にあるグラダーラ城はダンテの『神曲』の舞台としても登場している。ふらっと散歩するような感覚で歩くと1時間もあれば、ぐるっと回れてしまうようなところだ。
「城壁の門をくぐってすぐ右手に[La botte(ラ・ボッテ)」というお店があって、そこで働くことになりました。その店は家族経営で1階がRistorante(リストランテ)で、2階はOsteria(オステリア)という構成でやっているのですが、1階は息子2人が、2階は両親がやっているんですね。Osteriaはわりと伝統的なイタリア料理を出していて、Ristoranteは挑戦的な料理を出している。というのも、その頃ちょうど世界では[El bulli(エル・ブリ)]が全盛期だったのですが、息子たちはその影響をすごく受けていて。例えば料理を乗せたお皿にガラスのボールを重ね、中に燻製の煙を入れて、お客さんの前でボワッと煙を見せたり。僕は忙しいほうを手伝うという役割だったので、そういう両極端の料理を学べたことが興味深かったです」

画像8

[La botte]

 イタリアは料理は保守的と言われることが多く、外国の料理が広まりにくいと言われる。竹内さんがいた当時は、イタリアは他国に比べて[エル・ブリ]のような料理にチャレンジするのが遅いほうだったようだ。しかし、少しずつその動きは芽生えてきていた。最近ではそんなイタリア料理の世界もグローバル化してきている。イノベーティブなひと皿を追求する人が増えてきているのだ。
「もう一つ、その店のおもしろいところを。実はこの店では、中世の食事会というのを、月に一回開催していたんです。中世に建てられた城壁の中にある店なので、その頃の貴族たちに食べられていたものをコースにして食べようという試みですね。今とは食事も違って、パスタもショートパスタしかなかったし、今よりさらにシンプルな料理が主流。でもお城の料理なので結構飾り付けにこだわっていて。シェフたちは、昔の文献を調べてメニューを考えていました。給仕する人もその日だけは、中世の服を着ていました(笑)。当時はナイフやフォークはまだ使っていなかったようで、食卓にはスプーンとフィンガーボウルだけが用意されるんです」

 マルケ州で竹内さんが新たに感じたイタリア料理のおもしろさには、スパイスの使い方もあった。イタリア料理ではよくフェンネルなどのスパイスが使われるが、マルケ州ではフェンネルの葉っぱをよく使うなど州ごとに使い方が違った。他にもクローブはマルケ料理でよく登場する。
「各地でつくられる料理のTrippa(トリッパ)も、マルケ州ではクローブやフェンネルの葉を入れますが、トスカーナ州ではセージやローズマリーを入れていたり。食材もトスカーナはトマトがメインになるけれど、マルケのものはセロリや玉ねぎなど野菜がゴロゴロ入っていて色合いもピンクがかっていますね。生パスタも地域によって作り方は、さまざま。北と南という大きな分け方でも、全然異なりました」

 グラダーラでの生活は約10ヶ月。海が近いグラダーラは夏はハイシーズンであり休む暇もなかったそうだが、冬は州に一回の休みを使ってマルケの有名店を回った。時には、ホワイトアスパラガスが有名なヴェネト州の町・Bassano del Grappa(バッサーノ・デル・グラッパ)まで、バスや電車を乗り継ぎ6時間かけて訪ねたりした。

画像6

画像7

画像9

画像10

画像11

城壁に囲まれた街・グラダーラ

 

再びイタリアに来て、約1年が経った。竹内さんは、このあと念願の[Cecchini(チェッキーニ)]で働くこととなる。


ー 1. Trattoria 29 /29 in bottiglia シェフ・竹内悠介さん(3/3) へ続く

<Information>竹内悠介さんの料理・お店
Trattoria 29 29 in bottiglia
「29 in bottiglia」ONLINE SHOP

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?