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「移動するべき移動」とは?

このブロギを珍幹線で書いている。
朝7時まで眠ってしまい
早朝に書く時間がなかったからでR。
タマタマにはそんな日があっても良い。
コロニャーゴになる前
サラリーマッドマンだった時は
毎週のように珍幹線や珍空機に
乗っていた感覚があったが
本当に乗らなくなった。
移動する必要があるものと
必要がないものが
線引きされたようにも感じる。
移動したくて仕方がない営業マンには
暗黒の時代の到来である。
正直コレって移動する必要ある?
と思う案件はまだいくらでもある。
最初の対面は実際に会った方が
イイようにも思えるが
目的が明確なら
「初めは実際に会った方が良い」と言う
曖昧で迷信のようなしきたりも
一度考え直す必要があるだろう。
このように移動と言う概念は
大きく揺らいでいるが
実際に移動には「移動時間」と言う
とてつもないロスが発生する。
以前よりそれを強く感じるようになった。
2時間で完了出来る案件だとして
移動が片道1時間だと往復で2時間。
合計で4時間かかる。
さらにマインドを切り替える
時間なども考慮すると
生産性は移動しない時に比べて
5割を切っている時もある気がする。
そうなると生産性の低さに
ストレスを感じるので
精神衛生上もよろしくない。
「移動するべき移動」に
徐々にフォーカスして行きたい。
場所の空気感、気温、湿度、匂い、
人が放つオーラや雰囲気など
それを感じなければ
理解出来ないものは間違いなくある。
その体験があるのとないでのは
説得力もまるで違ってくる。
移動の意味が問われている。
「移動するべき移動」と言う概念は
常に頭に入れておいて
自分なりにルールを定めるのも良いだろう。
移動への意味付けである。
ポストコロナのスタンダードは
間違いなく様変わりするだろう。

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