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信じられないものを信じる、ということ

こんばんは。
年末に読んだ本と、ときどき聴いているコテンラジオで何となく関連しそうな部分があったので、考えていた事を記事にしてみようと思います。
本は石川明人氏の『宗教を「信じる」とはどういうことか』
コテンラジオは『老いと死の歴史(#289~#296)』
からです。

石川さんの本から抜粋しますが、そもそも「信じる」という言葉・行為がとても幅広い意味を内包しています。特に宗教に関して日本人の”神を信じてはいない”というのは字面のままには理解してはいけません。正月に多くの人が初詣に行くのは、特定の宗教(神)を日々固くは信じないが、雰囲気としての神様は信じる、ような感じでしょうか。考えてみると、そもそも神は信じる対象なのか、間違いなく存在するなら当然の事実であり「信じる」などとわざわざ表明する必要があるのかという考えも本には書いています。信仰者であっても、常に「信じる」と言葉に出さないと神の存在についての認識が危うくなるのではという気もします。

本の中ではより深い信仰者の言葉も紹介されており、そこでは”神の存在”に向けた信じる事の深さのレベルも様々だと感じました。以下の文章は神が存在を超えた存在(?)であるなら人々の理解上の”存在”レベルでは無い、という事でしょうか。

神は存在しない。神は本質と実存をこえた存在それ自体である。だから、神が存在すると論じることは、神を否定することである。

パウル・ティリッヒ「組織神学」

人が捨て去ることのできる最高にして究極のものとは、神のために神を捨て去るということである。

マイスター・エックハルトの言葉

単なる逆説的表現では無いと思いますが、仏教の世界でも語られています。

仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺し、羅漢に逢えば羅漢を殺し・・・そうして始めて解脱することができ、なにものにも束縛されず、自在に突き抜けた生き方ができるのだ

「臨在録」より

本ではこの後、この世には信じられない程の災害や悪が存在するのに、その悲惨を目にしながら神を信じられるのか。同じ神を信じている人同士がなぜ敵対するのか、などの話が続きます。著者はキリスト教徒ではありますが、信仰者といえども皆が同じレベルではないことを丁寧に紹介しています。

で、この本を読み終わった後、偶然にコテンラジオで”老いと死の歴史”を聴いたので、そこでの「死」についての話を続けて書きます(ラジオの中では”老人”という定義の話も面白かったのですが)。人は自分自身の生と死を体験できるが理解できない、そして他人の生と死は体験できないが事象として理解は出来るというは部分がありました。自分人の生と死を理解できないというのは、実際には分からないので常識という枠組での中で捉えると”理解できない”という事になります。生とはいつから生なのか、死とはどの時点で死とするのかは世界的な共通認識がなく、妊娠中絶の話や脳死やミイラなどの話に関わる部分です。

死と死後の世界について、これまで我々は民族や宗教ごとに物語や儀式を持っており共通理解があったのですが、科学の発展と共に物語や儀式というものおの重要性は、”合理的でない”という理由で徐々にその共有価値が崩れつつあるようです。ただ便宜上というか、現実社会での判断基準が無いと困るので法律上の判断はありますが、人の心にストンを腑に落ちているわけではないと思います。コテンラジオの中では”死”と”進化”についても、とても興味深い内容があるのでおススメですが、今回は脇に置いておきます。

続いて、死後どうなるのかについて世界で語られているいくつかの分類が紹介されています。宗教で語られる、あの世での永遠の生を得るタイプや輪廻転生タイプもあれば、ニヒリズムのように虚無の世界も、又は次元は異なるが我々のすぐ傍にいつづける、という分類も紹介されています。これは人間には理解しえない事象に対する1つの回答であり、歴史的にそれぞれの国・宗教・民族で固有のものが物語として信じられていました。しかし現代に生きる私たちは、死や死後の世界のように頭では理解出来ないものを前にしたときにも、やはり頭で考えてしまい袋小路に陥りがちです。理性で理解できない事象を心で信じると、いう態度・深さに現代人は弱いのではないかと思います。

私もそうなのですが、理解できないものを強く信じるという能力が不足している人は多いのではないでしょうか。これは心の問題でありながらも、トレーニングのように日々鍛錬しないと身につかないのではと思います。そう考えると、冒頭に書いたように宗教を信仰する人々が日々祈り、神の存在と神への信頼を都度宣言するのは、信じる能力を日々鍛錬しているのではないでしょうか。

私はいい年になりながらも右往左往の人生を過ごしているので、信仰者のように普段から揺るぎない信念を持つ人を尊敬します。ただ、迷い考え続けるのも自分の人生だとも考えています。

1月でnoteを始めてから1年が経ちました。これからも継続していこうと思います。皆さんの記事も楽しみにしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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