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なぜ親しい人ほど不満を持ちやすいのか


前回、怒りの感情とどう向き合うかというタイトルで記事を書きました。

(※記事にスキをつけて下さった方々に感謝です!🥰)



思えば、

常に怒っている家族がいたこと

自分自身もキレ散らかしていた過去があること

そういった背景から、『怒り』は私にとってかなり深いテーマでした。


怒っている家族を見てきて、そんな風になるまいと思いながらも、自分も似た性質があると気づいた経緯から

“怒り上手な大人”になることが、私の永遠のテーマでした。


で、

今回は、前回の記事で書ききれずに消化不良になってしまった部分があったので、それを補足する形で書いていきたいと思います。


前回の記事で、姪っ子が母の使っていた化粧品を黙って持っていったことに対して、母がブチギレてしまったことを書きました。

その後、姪っ子は母に対してどこかよそよそしく、心を閉ざした状態になってしまいました。

そんな姪っ子に対して母は、「反省するどころかふてぶてしい態度をとっている!」とさらに腹を立てていました。
(※会話は普通にしてますし、むしろ母の方が歩み寄っている状態です)

そんな、反省していない!わかっていない!と怒る母に、

「いくら伝えたいことがあっても、それを怒りでコーティングしてしまうと、相手には何も伝わらない。それは結局、相手に引かれたり、相手を傷つけるだけだ。」

「お母さんの“大事”と姪っ子の“大事”がかみ合っていなから、姪っ子にはお母さんの気持ちが伝わっていないのだ。」と話しました。


はい、こうして文章にすると、ただ正論をぶつけているような感じですね。

案の定母は、「自分は不快な気持ちにさせられたのに姪っ子は反省してない」の一点張りで、

最終的には、「もういい、あんたは○○(姪っ子)の味方なことしか言わない」と母から言われてしまいました。




正直、めんどくさっ難しいと思いました。




どちらの気持ちもわかる(つもりでいる)手前、なんて言葉をかけたらいいのか非常に難しいのです。

結局、「そんな○○(姪っ子)の態度が腑に落ちないのね」と私がいうと

「そう!そうなのよ!」と少し納得してくれて、会話が終わりました。

怒っている人に対しては、理由がなんにせよ、正論ではなく“受容・傾聴・共感”の姿勢が大事だということをつくづく思い知りました。



なぜ親しい人に対して不満を持ちやすいのか


自己肯定感が低いほど、近い人に不満を持つようになります。
だって、それは他人ではなく自分自身だから。
そして、依存的態度が強まるほど不満が強くなります。
相手を変えようとするからですね。

どうして二人の距離が縮まるとケンカや不満が増えるのか?~依存的態度と鏡の法則~


母との会話から

“家族には自分の気持ちをわかってほしい!”

“家族なんだから、それくらいわかってくれて当然だ!”

という気持ちが伝わってきました。

家族なんだから、人をいかに不快にさせたのかをまずきちんと理解して、

そしてそんな不快な気持ちにさせたことを反省して、謝ってほしい。”

そんな思いを感じました。


けれど、

はっきり言って、それは不可能です。



なぜなら、姪っ子は悪いことをしたとは思っていないからです。

正確には、悪いことをしたということは母のキレっぷりを見て理解してはいるのですが

自分には、悪いことをしたという意識がないからです。(あくまで私の憶測ですが)



例えば、

楽しそうに遊んでいたおもちゃを勝手に取り上げたり

一生懸命積み上げていた積み木を倒してしまったことで

幼児がわんわん泣き出したら、誰だって“悪いことをしたな”と申し訳ない気持ちになります。

子どもはおもちゃで遊ぶのが仕事のようなものです。

その幼児にとって、遊んでいたおもちゃや積み木がいかに大切なのか、理解できるからです。

そして、その原理が自分にも通用すると母は思っています。

けれど、それは通用しません。

なぜなら、“納得感”がそこにはないからです。


化粧品を勝手に持っていったことは悪いとは思ってるけど、そんなに怒ること?

そんなにブチギレられるほどのことをした覚えはない。


というのが、姪っ子の言い分だと思います。

姪っ子は姪っ子で、“家族なんだから、そんなことでいちいちブチギレないでほしい。”

と思っているのです。

そこに、“納得感”がないのです。

そしてその“納得感”は、本来は怒っている人が相手に与えるべきなのです。

こういう理由で自分はイヤな気持ちになった、だからあんなに怒ってしまったのだ。

という説明なしに、ただ怒りの感情だけを相手にぶつけても

それは結果的に、たんなる“感情の暴力”にしかなりません。

納得感を与えるどころか、相手の心を傷つけることにしかならないのです。



母と姪っ子がお互い持つ、この

“家族なんだから”という思いがぶつかりあっている以上、

どちらかが歩み寄らない限り、和解することは難しいように思います。



よくよく考えてみると、家族のみならず、友人や恋人や同僚に対して

こういった“自分の気持ちを分かってくれること”が前提で行動してしまうことは、よくあることのように思います。



お寿司屋さんで、フランス料理のコースを頼む人はいません。

なぜなら、お寿司屋さんに来ていることを知っている・・・・・からです。

けれど、私自身にも心当たりがあるのですが、親しい人に対しては、どうしてもこういった無茶な要求をしてしまいがちです。

家族なんだから、恋人なんだから、友達なんだから、一緒に働いている仲なんだから…

そういった理由で、お寿司屋さんに来ているにもかかわらず

フランス料理のフルコース出してよ!!と、ついつい要求してしまうことがあるのです。

フルコースは出せなくても、マリネくらい出せないの?と、思ってしまいます。

たとえお寿司屋さんだとしても、“フランス料理が食べたい”と親しい人に言われたら、がんばってフランス料理を作ってみるのが、“愛情”だと思っているのです。



この章の冒頭でご紹介した文章は、

カウンセラーの根本裕幸さんのブログから引用させて頂いたものです。

要するに、人は自己肯定感が低いと親しい人に対して要求過多になってしまうというのです。

実は自己肯定感が低く、自分のことを愛せていない人ほど相手への不満が大きくなります。

どうして二人の距離が縮まるとケンカや不満が増えるのか?~依存的態度と鏡の法則~

心理的距離が近づくと、相手はどんどんあなたの「鏡」になっていきます。
夫婦のような近い距離ならなおさらです。
そうすると常々自分に対して不満を持っていたり、自分のことを嫌っていたりする人が鏡に自分を映し出したらそこに何が見えるでしょう?ってことです。
そう、自分が映ってるんです。

どうして二人の距離が縮まるとケンカや不満が増えるのか?~依存的態度と鏡の法則~



私たちは、見ず知らずの人に対してあれこれ要求して、それができないとキレるということはしません。

当たり前の話ですが、見ず知らずの人に対して、個人的な期待をしていないからです。

しかし、自分のまわりにいる親しい人に対しては

わかってほしい
理解してほしい

という気持ちが、どうしても強くなってしまいます。

そして、相手に合わせたり相手の要求を受け入れることを、おっくうがったり怠ってしまいがちです。

ふつうに考えれば、結婚相手に対して、

“自分らしくいられてラク・・だから結婚したのに、どうして自分ばっかりガマンしたり受け入れたりしないといけないの?”

と思うのも、無理もない気もします。

しかし当然のことながら、お互いがそういうスタンスでいる以上、関係がよくなることはありません。


実は自己肯定感が低く、自分のことを愛せていない人ほど相手への不満が大きくなります。

というのはつまり、自分の中の欠けている部分を、誰かによって埋めてもらおうとしている状態と言えます。

けれど、その欠けている部分は、その人にしかわかりません。

どのくらいの大きさでどんな形かは、その人にしかわからないのです。

それを、“小さすぎる!大きすぎる!もっと適当な形のものはないの!?”と親しい人に対して要求したところで、

「は?なんのこと?」となってしまうのは当然のことです。

しかし困ったことに、自分が何か欠けているということすら気づいていない人もいます。

自分には何が足りないのかわかっていない、足りないことすらわかっていないのに、それをまわりの人に求めようとするからうまくいかないのです。

はたから見ていたら、いたってシンプルで滑稽とさえ思える行動なのですが、

怒りや不満の渦中にいると、こういったことになかなか気がつけなかったりします。

自分の過去を振り返っても、人間関係で失敗してきた原因はこの、

“無自覚で当事者意識の薄い”自己肯定感の低さからくる依存的な態度だったように思います。



という流れがあって、前回の記事の結論部分の“自分のトリセツを作ってそれをまわりの人に伝えよう!”という話につながります。

そしてなにより、そういったトリセツを作ることで自己理解が深まり、自己肯定感が上がるんじゃないかと思います。

なぜなら、傷ついている自分に一番に寄り添えるのは自分だからです。

傷ついている自分にまっさきに駆け寄るかわりに、誰かが来てくれるのを待つことが、

いかに非効率的で自然に逆らっている状態なのか、気づくことができるからです。

お寿司屋さんでフランス料理のフルコース食べたい!とわめきちらすのではなく、

自分でフランス料理を作ってみたほうが早いと気づくことができるからです。



とはいえ、

そんなことができるなら、この世からすべての争いごとはなくなるんじゃないか、とさえ思います。

なぜ親しい人ほど不満を持ちやすいのかその原理がわかったところで、

私自身が今後まわりの人に対して、いっさい依存的な要求をしないかと言われれば、正直1ミクロンも自信がありません。はい。


しかし、自分のトリセツを作り自分の中で何が足りないのか見つめ直すことで、状況はだいぶよくなる気がします。

自分自身が抱える問題を今すぐ解決できなくても、

あ~こういうところにコンプレックス持ってるのね。
あ~こういうところ我慢してたのね。

と思うだけで、そのコンプレックスや我慢していたことがすぐに解消されなくても、気持ちはだいぶ楽になると思うのです。

そうしてできた余裕が相手を思いやることにつながり

同僚だから
友人だから
恋人だから
家族だから

と、相手に対して要求過多になってしまう状態から一歩引いて

相手のことが冷静に見つめられるようになると思うのです。




以上です。

毎度のことながら、長文になってしまいました。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました😊



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